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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

文字表現  筆墨精神、20世紀のタイポグラフィ、書道博物館の優品

そんなに離れてない期間に、文字に係わる展覧会を三つ見た。
京博の筆墨精神、庭園美術館のタイポグラフィ、書道博物館の優品である。

文字と言うものを改めて考える。
文章ではなく文字である。
筆墨精神と冠された展覧会では中国の書を味わい、タイポグラフィ展では20世紀のポスター芸術に顕れる書体を楽しみ、書道博物館では中村不折の需めた書や拓本、本人の手蹟から特に選ばれた優品を、眺めた。

共通する面白さは文字の形である。書体と言うべきか。
古代から漢字の祖国中国では、一つの文字に複数の書体があり、書家はそれら異字体を紛らせることなく書き分ける訓練を積みもしていたそうだ。
また印刷技術が大いに発達した20世紀では、ポスターの文字も装うようになっている。中世の飾り文字ではなく、字そのものからのメッセージを、見るものに届けるために。

筆墨精神は王義之から呉昌碩まで、と副題があるように書聖・王義之の草書を基にした「宋拓十七帖」や「明拓・定武蘭亭序」などが出ていた。
これらは京博の上野コレクションから来ている。
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上野コレクションが京博に寄贈されて50年という節目の年、関西では中国書画コレクションを持つ美術館・博物館が一年をかけて順次その公開をする。
辛亥革命からも百年、温故知新のキモチで中国の古い書を眺める。

正直に言うと、これらの文書を眺めていても、達者の手かどうかもわからないし、それどころか判別できない文字もある。手書きというものは達筆であるが故に、かえってわからない形状に変わることもある。

日本の場合、三筆や三蹟と謳われた達者たちの手蹟は文脈の流れもあって優美に感じるものが多いが、中国の書は一文字一文字への強い思いが表に出ているように思えた。

五世紀の法華経・大智度論残巻は明治の大谷探検隊が将来したものだそうだ。
大谷探検隊ファンの私などは、それだけで尊く見えてくる。
東寺や石山寺に伝来した旧い文書もある。
三国志の残巻もある。

唐代の玉篇巻第九残巻にはこんな文字があった。
「・・・豫章 旧志 日」 あの豫章のことだろうか。

高山寺に伝わる仏教説話「冥報記」、智積院の金剛般若経なども多少そそられた。
東福寺の額字「首座」「書記」などは大きい字だった。
首座しゅそ、と聞くとお寺ライフを描いた「ファンシィ・ダンス」を思い出す。
三井記念美術館所蔵の「孟法師碑(唐拓)」は女仙・孟法師没後に弟子たちが建てた碑だということで、〆の文字「殉」がとても魅力的だった。
王陽明の書も初めて見た。これまで見たことがなかったので、ちょっと嬉しいキモチになる。小学生の時に知った王陽明のその手跡を今になって見れたのだった。

この展覧会では「中国書画の世界」とあるだけに画もまたいいものが出ていた。

沈南蘋の花鳥画があった。目の大きな黒い鳥たちはカラスなのか叭叭鳥なのかはわからないが、妙に可愛い。沈南蘋の絵は日本に多く残っている。
羅聘「袁枚像」肖像画なのだが、賛によると乾隆16年にこの絵を袁家に持ってゆくとそこの家人に嫌がられた、らしい。
手に菊花をもった、麿赤児ぽいオジサン像である。

ほかに鎌倉時代の国宝「山越阿弥陀図」京博所蔵が出ていた。実際臨終の場で使われた掛軸らしい。これは冥土・陰・・・じゃなかったメイド・イン・NIPPONの絵だが、この名品が京博にあるのもまた、意義が深いのだった。

筆墨精神は2/20にて終了。

さて20世紀のタイポグラフィ。デザインのちから・文字のちから。
そのタイトルに全てが含まれている。
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これまで庭園美術館ではロシア構成主義関係の展覧会を何度か開催しているが、そのときに見たポスターの文字は、みんなとても印象的だった。
またウィーン分離派のポスターなどにも印象的な手書き文字が入っていて、それが絵を一層魅力に見せていた。

今回展示されているのは全てが何らかのポスターである。
タイポグラフィーを見る、という意識を持たなければ、20世紀ポスター芸術展かと思いもしよう。
よく見るソ連のポスターもあった。
目を共有する男女の額にUSSRとあるあれ。このタイポグラフィーも「いかにもソ連」だと見ていたが、改めて「タイポグラフィー」ということを考えながら眺めると、「文字の力」「書体の魅力」というものを感じさせられる。

実際のところ、わたしなどは文字の書体に特にこだわるほうである。
好きな書体・いやな書体などがあって、それにかなり左右されもする。
だから文字表現というものに関しても色々と思うところがあったが、それを口にしたりはしなかった。する状況になかった、というべきか。
それが今回このように展覧会として出てくると、感心するばかりになる。
なぜか。
やはり、これまで「タイポグラフィー」をメインにした展覧会がなかったから、だと思う。

色んな面白いポスターを見る。
絵ではなく文字表現を追う。
これはなかなか機会がなかったことだから、その行為自体をひどく楽しめた。

展示とは無縁な話だが、江戸の芝居小屋が鳥居派の絵看板に席巻されたのは、それまで看板が「あらすじと役者名」とを書いたところにたまに添え物程度の絵がついたものだったのが、鳥居派の絵看板は、間近では変なバランス感覚の役者絵が、遠くから見ればバッッと目立つものに変わった・・・そんな作りが江戸市民の心を掴んだからだ、と言われている。
遠目からでは字ではなく巨大な絵でなければダメなのは確かだ。
しかしながら、20世紀に入ってからは文字表現もまた絵と同様に強い立場になった。
そのことを、数々のポスターから実感する。
ポスター芸術におけるタイポグラフィーの絵との親密性、そのことを思いながら眺め歩く。

能のポスターがあった。
黒地にカラフルな文字の羅列がとても魅力的だった。
この文字表現は文字ではあっても絵以上にインパクトが強い。

「森」と「林」の文字を大小濃淡さまざまに加工して、白地にまるで植樹するように文字を置いていったポスターがある。
絵ではなく文字だけの表現。しかもその文字は「森」と「林」の二文字だけで、何の意図があるのかをその二文字からだけでは読み取ることが出来ない装置を持たされている。
しかしながら、その文字の集合体から、文字の意図ともいうべきものが読み取れもする。
そのことがひどく面白かった。

文字の崩壊ということを考える。ゲシュタルト崩壊。しかし意図的に崩落させられた文字は、今度は文字という機能をなくしたことで、絵と融和するかと言えば、そうではない。
意味をなくし、形を半分なくしたとしても、文字は文字のままなのである。

・・・そんなことを思いながら庭園美術館を離れた。3/27まで。

根岸の里、と俳句の定番になっていたその場所には所々に奥ゆかしいたたずまいがあるものの、おおかたはすっかりハデハデしいなにかに変わりきっている。
台東区立書道博物館では中村不折の愛した旧い中国の書や拓本、彼自身の書や絵画などが集められているが、今回はその中から選ばれた作品のリクエスト展、もう8回目。
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ここでもやはり王義之や顔真卿らの手蹟を元にした作品が出ている。
ところでわたしは便宜上「王義之」のギの字を「義」で書いているが、本当は羊の下になにやら難しい字をあてたギなのだ。
文字の展覧会の感想を書きながらも、こうしてええ加減なことをしているのには反省。

ここでは伝・聖武天皇や光明皇后、橘逸勢、最澄、空海、小野道風、紀貫之らの書が出ていた。
百万塔陀羅尼も一つ並べられていたが、これは世界最古の印刷物を収めた小塔。
万博にある民博でも見ているが、文字そのものにこれまでは関心が向かなかった。
今回は、文字表現そのものを観る気で展覧会にいる。

井伊直弼の書はなかなか力強かった。幕末では山岡鉄舟の書が人気が高いが、これくらい強い文字は行書でも私には好ましい。

ほかに正岡子規が不折に送った手紙や、彼が江戸時代?明治に活躍した俳人らの句からチョイスしたカルタ集、漱石からの手紙などが出ていた。
子規の選んだ俳句で面白かったものを少しばかり。少しばかり間違えて覚えているかもしれないが。
南大門 たてこまれや シカの声  正秀
正行か 思ひを鷹の 子別れ  史邦

不折自身の書をモティーフにした看板や商品ラベルなどもあった。
清酒「眞澄」「夢殿」、神州一味噌、新宿中村屋・・・・・
なかなかこういうのを見るのも楽しい。文字そのものが商品を連想させたりする。
京都などでは様々な文人らの手による看板をよく見かけるが、さすがに東京では余り見ない。
それで思い出した。
数年前アカデミー外国語映画賞をとったオランダ映画「キャラクター 孤独な人の肖像」のタイトル文字、ナゼかアラーキーだった。その理由はいまだに知らない。

書道博物館「みんなが見たい優品」は3/6まで。

文字ということで最後に泉屋分館の中国青銅鏡展。(3/6まで)
漢代から唐代の青銅鏡を集めた展覧会である。
京都・鹿ケ谷の泉屋博古館に坐す鏡たちが、80点余り六本木へ出いている。
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東方父、西王母、四神、神仙、葡萄唐草、鳳凰、獅子らのモティーフのほかに、めでたい文字も連ねてある。
文字の持つ重さ・深さを知り尽くす中国文明が生み出した、吉祥の言葉を刻まれた鏡。
青銅鏡という枠の中に納められた「祈り」が、そのまま天へ届いてゆく日もあったかもしれない。
鏡は時代が下がるにつれ精緻さは高まるが、面白味(非日常的な意味での)が消え、写生的な楽しさを感じさせる作風へと変化を見せる。

「文字」を深くたどる三つの展覧会と、文字をも含んだ工芸品の展覧会と。
様々な楽しみを味わえさせてもらった。
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コメント
いろいろな文字表現
タイポグラフィ展だけ観ただけでは、ここまで
文字について、考察することは出来ませんよね。
やっぱり、こういう似たテーマの
展覧会があった場合は、できるだけ
観に行った方が、より理解が深められます。
さすが、遊行さんです。見習わなくては。
2011/02/25(金) 21:16 | URL | えび #-[ 編集]
文字は体を表すという実感
☆えびさん こんにちは
一つ一つの展覧会、それを書くにはわたしのアタマが負けてまして・・・
これだけ集めたらまぁ形になるやろ、というせこい話なんですよ。
たまたま期間が寄ってて助かりました(笑)。
2011/02/26(土) 11:39 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
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