FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

琳派芸術 第二部 転生する美の世界

出光美術館の「琳派芸術―光悦・宗達から江戸琳派」の第二部を楽しんだ。
「転生する美の世界」とはまことに巧い副題だと思う。
第一部の「煌く金の世界」は本当にきらきらした金屏風が集まり、その豪奢さに圧倒され、朗らかな喜びに包まれた。
そのことについてはこちらに詳述している。
今回は江戸琳派を中心にした世界が広がる。

私淑する。抱一は光琳に私淑する。
私淑する、という言葉の意味を考える。
「直接教えを受けることの出来ない作家などを自分の先生として尊敬し、その言動にならって修養すること。」
そのようにわたしの手元の辞書にはある。

酒井抱一は尾形光琳に<私淑>した。
<琳派>の正当な後継者だと宣言するようなことはしなかったろうが、先達の顕彰これに努めた。
光琳の没後百年に際し、光琳の展覧会を開催したことを思うと、こちらの胸まで高まる。
なんという適材適所だろう、彼がそれを行うことは必定だったに違いない。
殿様の弟だからというても、誰もが抱一のように芸術性豊かな人とは限らない。
芸術家であり、パトロンでもある彼が「殿様の弟」だということが、幸いだったと思う。

見せてもらった作品たちのことについて、少しばかり書こうと思う。
(前フリと本文との微妙なミゾについては気にしてはいけない)

会場では最初に「琳派の系譜」として其一の三十六歌仙図が現われる。
これは明快でカラフルな三十六歌仙が一堂に会した構図だが、いつも引きこもりの斎宮女御を探すような人もいて、彼の前が丁度一人分空けられているのはご愛嬌か。
モシモシ、斎宮女御はやっぱり几帳の中に隠れてはりますよ・・・そう教えたくなる。
掛軸の天地は流水に扇面。こちらの色調も明快でカラフルなのだが・・・なんとこれ、描表装だった。中廻しは連続パターンなのだが、これも描いたそうな。びっくりな一点。

風神雷神図屏風 抱一  この風神雷神を見る前に畠山記念館でも抱一の風神雷神を見てきたところだが、あちらが「ファイトー」「イッパーツ」な二人組だとすれば、こちらは「いくよ?」「OK?」な温泉卓球風な二人組である。
足の爪は鋭いが、丸い眼球に粒のような黒目が可愛い。どちらも口を開けているので阿吽にはならぬが、金歯を自慢しあっているようにも見えた。

宗達 歌仙図色紙(大伴家持) 光悦風な和歌色紙が隣にあるのを家持くんが見ている、ような構成なのは元は別なものを集めての貼り付けものだからだそうだ。
それでイヤシなわたしは和歌の始めの「いもや」という三文字に反応している。

宗達の物語絵がいくつか出ていた。
まず西行物語。
一巻でよかったのは襖絵に描かれているシカの絵。それで西行物語の流れを無視して絵を見ていると、色々と妄想が湧き出してくるのだ。貴人が身分の下の士を・・・などなど。
四巻は萩が生い茂った屋根の下での対話シーン。シカたちがびょーんと飛んでいる。
(少し離れた先に展示されている)二巻は、例の「願はくば花の下にて春死なん」・・・寝そべってはりますわ、西行さん。

続いて源氏絵であるが、「葵」で源氏が、碁盤に立たせた幼い紫の上の髪をチョキチョキするシーンを見ていて、個人的に気持ち悪くなってきた。
絵が悪いのではなく、光源氏という男が気持ち悪くなったのである。
普段は何も思わなかったが、この絵を見て、いよいよ光源氏がきもちわるくて仕方ないのだった。

伊勢は「武蔵野」「若草」の色紙と色んなエピソードを詰め込んだ屏風(ただし伝・宗達作品)など。
どうもわたしにモノノアハレが足りぬのか、コイゴコロと無縁なのが原因かわからぬが、伊勢も源氏もあまり好みではなかった。

屏風展示のためのスペースへ降りる。そこには抱一の八橋図屏風が出ていた。
このスペースはまことに素敵な空間だと思う。
奥から手摺越しに眺めるのもいいし、短い階段を降りて間近で眺めるのもよく、長いすに座ってぼんやり眺めるのもわるくない。
遠目から見れば、そこに池があり、小さい木の橋が架かっていて、水辺に紺色の花菖蒲が咲き乱れる様子を亭の窓からのぞく心持ちにもなろうし、間近で見れば自分もこの板橋のどこかに立っているような気にもなる。
今回は、その板橋を支える橋梁(というほど立派でもないが)の木組みに目がいった。
背景が金屏風のこの絵の中で、X型に造形された縛り紐もやはり金色乃至同色なのが、目に残った。何度かこの絵を見ていたが、それまでは花ショウブの紺色と葉の緑にばかり気を取られていて、気づきもしなかった。地の色と溶け合っている。
背景とその縛り紐とが直結した、そんな錯覚が生まれている。

いよいよ銀屏風の世界である。
銀はブームがあったらしい。与謝蕪村、山本梅逸も銀屏風を用いたそうだ。
梅逸の絵は頴川美術館で色々と見てきたが、背景を埋め尽くすほどの花々や小禽にばかり見蕩れて、銀屏風なのかどうかをこれまで気にしてこなかった。
そして今、抱一の銀屏風は夜の比喩だと見做していいのだろうか。

金は太陽、銀は月を示す。
それは大和絵だけの約束ではなく、遠くインカ帝国などでも変わらない。
抱一の夜は黒ではなく銀だった。
銀屏風に開く紅白の梅。
sun067.jpg
梅は花の形だけでなく香り、幹・枝振り、と見所の多い存在である。
金時人参を思わせる紅色の梅と、香りの深そうな白梅と。
ほかに何の絵も描かれていないことで、紅白の梅木がいよいよ華麗に・可憐に咲き誇る。

どちらかと言えば白梅が愛でられているようにも見える。
「夜の梅」という羊羹は闇に浮かぶ白梅をイメージして作られたが、確かにこの白梅にも同じ魅力がある。背景の色が違っていても。
しかし紅梅にもまた異なる魅力がある。
金属音が響くような空間に、この紅梅は咲いているのだった。
銀の工芸品を中国の銀の産地に因んで「南繚」とも呼んだりするが、この銀には確かにそんな風情があった。

裏表で見せる魅力が異なるのは、なにも特殊な事象ではない。
抱一上人の雛屏風は、表の金屏風に四季花鳥図が描かれ、裏は銀屏風に波濤図が広がっている。
雛屏風だけにサイズは決して大きくはない。
愛らしい小さな空間にびっしりと、四季折々の植物と生物が活きている。
紫陽花、芙蓉、芥子、花菖蒲、撫子、蒲公英。
スミレほど小さき人に生まれたし  漱石にそう読まれたスミレも咲いている。
夏から秋にかけては朝顔、桔梗、白菊などが咲き、小禽が川の青い流れを眺めている。
そして裏の銀屏風の波濤は抽象的な表現にも思える一方で、「銀の波」という言葉が視覚化されたようにも思えるのだった。
琳派の作品ではなく、平安時代の法華経が書かれた扇面の下絵のようにも見えた。

其一の秋草図屏風が二枚出ていた。
絹本の方は金砂子を撒いて優しい空間に仕立て上げている。☆型の桔梗も赤い薄も愛らしい。もこもこした花も撫でてあげたくなるようだ。
それに対し、銀地に描かれた草花は、なにやら物凄いような存在感がある。
白い花も青い朝顔も、目を見開き、瞬きもせぬまま何かを凝視しているような。
輝ける闇。
酸化した夜。植物の息遣いがナマナマしく聴こえてくる・・・・
sun294.jpg
全く関係ないが、漱石「夢十夜」の第三夜にこんな一文があったことを思い出す。
「・・・今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に」
この屏風はたぶん、文化年間より後の時代に生まれている。

其一の師匠たる抱一の傑作「夏秋草図屏風」は東博で暮らしている。
出光にその草稿があることを、今回初めて知った。
見る。・・・かなり現代風だと思った。
二百年近い前の構図とは思えなかった。草稿を見て初めて知ることも幾つか出てきた。
完成される前の絵には作家の思考の軌跡などが見えもする。
完成品より下絵が面白い作風の絵師もいる。
わたしはこれまで東博本の完成された面白さだけを味わってきたが、今回出光で草稿を見て、全く別な歓びを味わえたのだった。

其一の藤花図の大きさにちょっとびっくりした。砂子の地を背景に青い藤が豊かに咲き誇っている。大きな絵ではあるが、京焼のようにも見えた。

芒野図屏風  千葉市美術館所蔵の其一作品。霧の流れも表現されている。
数年前に都美で見たパーク・コレクションの麦図屏風を思い出した。
ここに描かれた野に立ち、そっと息をついてみたい。
そんな思いに駆られる。
霧に包まれた芒は金泥で表現されているが、高温焼成された磁器のような美貌がそこに具わっていた。
加山又造さんがRIMPAの系譜の人だということを、この屏風を見て思い出した。

抱一の作品の中でも特に好きなのが十二ヶ月花鳥図もの。
今回も本当に嬉しくなる絵ばかりがある。
螺鈿のような紫陽花、丸く可愛い柿の実とメジロたちと・・・
sun292-1.jpg sun292.jpg

他にも好きな絵が多いが、このへんで。
それにしても抱一はいったいどれくらいこのシリーズを世に送り出したのだろう。
酒井候、貴殿の弟御の月次図を所望いたしたいのだが云々・・・
色んなことを思うだけでも楽しい。

蒔絵師の原羊遊斎と抱一とのコラボ作品はいくつか見ているが、いいコンビだと常々思っている。光琳と乾山、抱一と羊遊斎、神阪雪佳と弟・祐吉・・・琳派の系譜にはいいコンビの名が連なる。

その羊遊斎の拵えた四方盆がまた大変すてきだった。
十枚揃えの盆にはそれぞれ異なる植物の「影」が描かれている。
影というよりむしろ花影と言う方が近いか。
影絵のような絵柄。黒地に金で花影が描かれる。
細かな絵柄よりずっと魅力的な作品に仕上がっている。
なおその下絵類も今回ここに展示されている。

其一の桜・楓図屏風は金屏風にシックな佇まいを見せている。
満開の白い桜、幹の根元ばかりの楓、その立ち位置がまたとてもいい。
シンプルで奥が深い、春秋を代表する木々。
上下、描かれていない木々を想わせる。

四季花木図屏風  近年「春」より「秋」の美に多く惹かれる。
この秋の花木は少しばかりモーリス・ドニ風にも見える。
☆型の桔梗がニッと少しばかりイヤな笑いを浮かべているように見える。
何かに似ていると思ったら、「鋼の錬金術師」のフラスコの中にいた頃のホムンクルスによく似ていたのだった。
sun293.jpg

今回も乾山のやきものが色々と出ていたが、だいぶ展示替えもあり、新しい気持ちで眺める。

銹絵絵替扇面形皿  「萬丈銀河舞翆巒」と文字がある。壮大だなぁ。

色絵能絵皿  八橋・・・水彩画という趣、花月・・・清水の舞台に桜花、人はなし。
お能の情景を視覚化するのはコトバが頼りになる、と改めて思う。
多少の大道具があっても、能舞台はたいへん観念的な場なのだ。
しかしそれでもこうして人々の意識する風景はこうして表れる。
やきものを通してそんなことを考えた。

銹絵絵替長角皿  四海一閑人・・・乾山?!昔の蔵前国技館に似たドーム型のような建物が描かれているのがちょっとフシギである。わたしが何かと見間違えているのか?

色絵絵替角皿  小さくて可愛いお皿。白椿の絵柄が多いのもいい感じ。欲しい、と思う一品。和の花を描いたお皿は何故こうも愛しいのだろうか。

3/21までなので、もう一度行く。
関連記事
スポンサーサイト
コメント
No title
すみません、連投です。

鈴木其一は割と好きです。
板橋区立美術館の「鈴木其一展」でまとまった作品を見て、
表現が近代日本画に直結しているのに感動しました。
2011/03/04(金) 23:23 | URL | 飛行鬼 #91CvM.Pg[ 編集]
☆飛行鬼さん こんにちは

> 表現が近代日本画に直結しているのに感動しました。

明治から戦前までに生まれ、活躍した画家たちはまだやはり前代と地続きなのを感じます。
それも公式の狩野派を見捨てたからこそでは、と思ったりしています。
四条円山派は京都に活きて、琳派も現在へ繋がっている。
其一のセンスは彼らの目指したものを、先取りしていた・・・・・
色彩といい構図といい。
そこが今、其一ファンが増えてる理由の原点なのかも、と勝手に想像しています。

2011/03/06(日) 16:58 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア