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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

パウル・クレー おわらないアトリエ

京都国立近代美術館開催中の「パウル・クレー おわらないアトリエ」に出かけた。
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パウル・クレーの思想はとても魅力的なのだが、その作品はわたしには少しばかり遠い。
抽象表現を理解できる能力がわたしには欠如している。
見て楽しむだけ、ということではパウル・クレーの本当の魅力を知ることは出来ないだろう。
せっかくスイスのパウル・クレー・センターから多くの作品が来ているのだから、思索しつつクレー芸術を眺めよう、と決めた。
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展覧会はいくつもの章で構成されている。元からの壁面と、特設された壁面を使っての展示である。
章のタイトルは展覧会を構成する枠として、またクレー芸術を理解するテキストにもなるように選ばれている。
プロセス、として「写して/塗って/写して」「切って/回して/貼って」「切って/分けて/貼って」「おもて/うら/おもて」とそれぞれの作品が分けられている。
そこへ行く前に「自画像」と「現在/進行形」があり、「プロセス」が長く続き、最後に「過去/進行形」がある。
能の「序破急」を思わせる構成かもしれない。
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自画像として1919年の作品が集められていた。
怪獣にしか見えないもの、ポーズをとるものなどがある。
そこから展覧会が始まっている。

ところどころにクレーの写真がある。恣意的なものではなく綿密な計算に則っての撮影。それらを見て行くことで(たぶん)クレー芸術を理解する手助けにもなる(かもしれない)。

日本語訳されたタイトルを見るだけでときめく作品が集まっているのが「現在/進行形 アトリエの中の作品たち」。
庭園建築のプラン、隠者になった子ども、赤い旗のある建築、破壊された村・・・
わたしはその空間を歩く。

タイトルが「庭園建築のプラン」であっても、設計図ではない絵画。
「赤い旗のある建築」は縦の楕円形に収められた風景でもある。
「破壊された村」の色彩構成は少しシャガールを思った。
「花ひらく木」を見ているとキルティングがしたくなってくる。
またヴィンタートゥーア美術館に所蔵される「花ひらいて」の裏に描かれた、タイトルを持たない「無題」(それこそがタイトルなのか)は、胃の中で針金の魚が泳ぐような光景に見えた。
「公園の池」は記号化されたヒト・池・木々などで構成されているが、それは縄文時代の日本からみつかった「古代絵文字」のように見えた。
「獣たちが出会う」ヤマネコ?ゾウ?よくわからない。
いま「わからない」と書いたが、そもそも「わかる」ことに意味があるのだろうか・・・。

油彩転写の作品群を見て歩く。
(展示のために設置された)壁には1と数字がついている。

船の凶星のための素描  六芒星の真ん中に少しマークが入っていて、それが凶星らしい。その星の下には多くの船が集まっている。
矢 アフリカン・アートのような矢。
綱渡り師 これは好きだと思った。

それにしてもなんと多くの画家たちがパウル・クレーの影響下にあるのだろうか!
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2として「切断・再構築」の作品が現われる。
クレーは間違いなく芸術の錬金術師だった。
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蒸気船が植物園のそばを通り過ぎる  言葉通りではない世界がそこにある。
少しずつ自分が何を見ているのかがわからなくなってくる。

カイルアンの眺め。カイルアン、門の前で。 二つの作品を眺めるとなんとなく心が安らぐのも確かだった。それはきっと水彩だからだと思う。
これらは<3切断・分離の作品>の範疇にある。
カイルアン、門の前で なにがいるのか。ラクダかクジャクのように見える何かがいる。
連続性を持たない画面。
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黒地にいろんな色を切り貼りした「人口庭園」がある。
どうしてそのタイトルなのかはわたしにはわからない。
しかし技法はとても好きで、タイトルそのものも好きなのだった。
それはたぶん「人口庭園の秩序」礒田光一の文芸評論を思い出しているからかもしれないが。この黒地にぺたぺたといろんな色を貼る、というのは自分でもしてみたくなる。

別れを告げて  照る照る坊主のような顔つきの墨絵風な。数年前の展覧会で初めて見たときも今も、同じ感慨が湧き起こっている。
どういうわけかこの絵を見ると映画「M・A・S・H」の挿入歌がアタマに流れ出す。
朝鮮戦争時代までに生まれていた変な歌。そのタイトルのわからない歌の中にこんな歌詞があった。
“・・・say good-bye”
日本人の女の歌手が歌っているらしいが、妙に気だるくベタなアクセントで、しかもメロディラインはなにやら琉球サウンド風でもある。
しかしどこかせつない。
そのせつなさがこの「別れを告げて」いる照る照る坊主に漂っている。
そんな勝手なことを私は感じている。
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クレーの子どもの肖像を見るのも前の展覧会以来。
純粋に可愛い、と思う。
わたしはきっとクレーの絵画世界から本当は遠く離れて生きているのだと思う。

考え込んで クレーの晩年の一枚。この目つき、トミー・ウンゲラーの人物を思い出す。彼もクレーの影響下にあったのだろうか。
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多くのクレー絵画を見て歩いた。リストと絵の照合にちょっと手間取ったりしながら。
これだけ多くのクレー絵画を見て歩いて、自分もまたクレーの色彩に染まるかと思えばそうでもなく、やはりわたしはひとりでそこにいた。
深い疎外感を隠したまま会場を出る。他の人はきっとクレーの絵を見て楽しいキモチになったろう、と思いながら。
京都展は5/15まで。
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