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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

百花繚乱!挿絵の黄金時代 懐かしい昭和20-30年代の挿絵画家たち

弥生美術館は3/27まで「百花繚乱!挿絵の黄金時代 懐かしい昭和20-30年代の挿絵画家たち」展を開催していた。
「敗戦後」に雨後の筍どころの騒ぎではない勢いでザーッと、いわゆる「カストリ雑誌」が現われてはやがて消えていったが、ヤケクソな明るさとどうにもならないモヤモヤとが合致したのか、非常に面白い(その分だけ品は良くない)読み物がダーッと生まれていった。
文章だけでは本は売れない。キラキラした美人画を描く挿絵画家たちが引っ張りだこになり、疲労を後に廻して作品を大量生産していった。

今回、自分への覚書の記事でもあるので、非常に長い。
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中でも日本一仕事の多い岩田専太郎は「一人流れ作業」までしてのけるくらいで、めちゃくちゃな状況なのだが、それでも生まれた絵はやっぱり魅力的なのだった。
専太郎の画業は50年以上だが、大正から戦前の作風はダークなアールヌーヴォー風味の漂う妖艶なものだった。
とはいえ専太郎は小説の作風によって自在に表現を変える職人でもあったので、「鳴門秘帖」と「夜光虫」などは同一人物の手によるものとは思えぬほどの違いがあった。
そしてそのどちらもが魅力的なのだから、読者も出版社も小説家も、専太郎の絵を欲しがるのは当然のことだった。

弥生美術館では過去に専太郎も、専太郎と共に「三羽烏」の一人と謳われた志村立美も回顧展をしているが、どちらかといえば「きれいな」作品を集めていた。
今回ほど彼らのカストリ雑誌での仕事を集めた展覧会は、なかったと思う。
カストリ雑誌は怪奇ものと扇情的なものとを柱にして、読者をソソる読み物をどんどん送り出していた。
わたしなどは万博も知らないが、子供の頃から、戦前から敗戦後あたりの大衆文学が大好きで、図書館の閉架棚からその当時の時代小説や探偵小説(社会派推理小説とは違うのだよ、社会派とは)などを出してもらっては読みふけっていた。
それらを飾った挿絵を今回、目の当たりにしているのだ。

今はないが、かつて雑誌には冒頭にフルカラーの一枚ものの口絵があった。
「本文は110ページから」というような断り書きがあり、その絵を一目見ただけで読者の好奇心・興味をソソるように出来ている。
(「詳しくはHPで」「続きはHPで」みたいな感じかもしれない)
新作小説、人気連載、翻訳作品の口絵が冒頭を飾るから、どうしても雑誌社はいい絵描きを捕まえなくてはならない。
どんな絵でも描ける専太郎は、自分でも何を描いたか認識できないほど、多くの作品をそこに出している。

メリメ「カルメン」があった。ラスト近くの1シーンが口絵に取り上げられている。黒レースのかぶりものの正装をしたカルメンと軍服姿のホセ、そしてカルメンがよく占っていたトランプが描かれている。
このスペインのファム・ファタールは男から逃れようとしつつ、その男を長く濃い睫毛で捉えてもいる。
「ロマンス社」の口絵として、巧い作品だと思う。

こうした口絵というものは、読者が「少しばかり知る」物語がいちばん、ソソる力を持っているように思う。
近松の曽根崎心中(梅川が倒れ、その向こうに忠兵衛の死体が転がる)、舟橋聖一「夏痩せ」の浴衣を着た女たちに話しかけようとする男、池田大伍「明月八幡祭」の手古舞姿の美代吉殺し、「明烏」で雪の折檻をうける三千歳を助けようとする直侍、西条八十「与謝野晶子」の少女晶子の読書姿などなど・・・
その当時なら誰もが知る物語の絵がそこにある。
そして「その当時なら誰もが知る物語」とは、時間が経てば忘れられる物語でもある。
その刹那性こそがたまらなく好きだ。
実際、この中で今もよく知られるのはせいぜい「曽根崎心中」「カルメン」くらいか。

婦人生活という雑誌では「ポーズの美しさ」として様々なTPOに合わせた服装とその着方などを、「美人画家」でありモテ男・専太郎の目から見た紹介ページを掲載している。
専太郎がモテ男なのは有名な話で、モテる十訓みたいなのも残されているが、それを読むと確かにモテるだろうな、と感じる。
やっぱり優しく接する、というのがいちばんだ。

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「りべらる」昭和25年のカレンダー絵がこの八百屋お七の半鐘へ向かう姿。
わたしの所蔵する「昭和挿絵傑作選 大衆読物篇」表紙絵を飾る一枚。
この本は国書刊行会が昭和末に出版したもので、わたしはその数年後に天牛書店で入手した。
余談だが同時に狩野博幸「近世風俗画」五巻セットも購入し、挙句翌日は東京へ出かけたという忘れられない記憶がある。'93年のひな祭りの日。

他に口絵で面白いのは、「延命院日当」の日当とおこののヌレバ(奥女中おこのが懐紙を噛み咥えてながら、華麗な内掛けを灯りにかけようとしている)、「痴人の愛」で男が馬になりナオミに乗ってもらうシーンなど。
こちらは「女殺油地獄」。あいにくモノクロしか画像を持ってないが、今回実物を見ると華やかなフルカラーだった。
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これら口絵を載せていた「りべらる」誌は大虚堂書房というところから出ていた。

講談社の戦前からの人気雑誌「キング」にも専太郎の麗筆は踊る。「現代女性美」など。
その「現代女性美」の線上に昭和30年の週刊朝日「女性風俗四十年」がある。
昭和5-6年、12-13年、戦中、敗戦直後。5?6年はステキなコートを着ているが、12-13年は和装になり、戦中はいわでものモンペスタイル、敗戦直後はキリッとしたパンパンのスカート姿。最初と最後がやはりかっこいい。

専太郎のスナップ写真が出ていた。
文士劇の楽屋でくつろぐ専太郎と立美。昔は文士劇というものがあり、昭和の文士たちは大方が機嫌よく出演していたそうだ。
わたしは最後の最後の文士劇をTVで見た。あれは多分「新宿夜話」かと思う。

川口松太郎と専太郎の交友は有名で、川口の文に専太郎の絵という取り合わせは黄金ものだった。実際に川口は「飯と汁」という自分らのモデル小説を書いている。
川口が深川の講談師・悟道軒円玉の家に住み込み中に、あるヒトの紹介で知り合い、それから死ぬまでずっと仲良く付き合い続けた。
川口松太郎は今だと新派の「鶴八鶴次郎」くらいが著名だが、実に多作の人で、絶大な人気があった。
専太郎の挿絵が着いた作品のタイトルをちょっとここに挙げてみる。
「蛇姫様」「二人静」「七つの唇」「新編丹下左膳」「振袖狂女」「日光月光」「新吾二十番勝負」・・・
このうち「蛇姫様」「新吾二十番勝負」は映画でもよく売れ、今でも時折「京都TV」あたりで放映されてもいる。
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フルカラーよし、モノクロペン画よし、なにを描いても魅力的だった。
それにしても「新吾二十番勝負」の新吾は前髪がばさばさの美青年で、今見てもときめく。

その「新吾」は産経新聞昭和34年12月23日夕刊に連載予告が出ていて、読者の期待を大いにそそっている。同時期に朝刊では下母澤寛「逃げ水」が連載中で、そちらの挿絵も専太郎なことを編集部は「しばらく並行いたします」と断っている。
下母澤寛「逃げ水」はわが家にあるが、わたしは未読。高橋泥舟の話かと思う。
下母澤寛は今では「座頭市」「父子鷹」で知られているが、戦前からこの昭和30年代辺りまで、実によく読まれていた。
ちなみに下母澤寛「突っかけ侍」の挿絵は小村雪岱。
その下母澤寛と専太郎のコンビではこの「逃げ水」のほかに「からす組」「お坊主天狗」がある。(概要を読むとこれがまたそそられる・・・)
他に松本清張「かげろう絵図」、司馬遼太郎「竜馬がゆく」邦枝完二「毒婦暦」、大仏次郎「鞍馬天狗 新東京絵図」村上元三「いわさきやたろう」なども専太郎の仕事。

またスナップが出ている。こちらは挿絵仲間が仮装して笑っているもの。
富永謙太郎の若衆、田代光の駒形茂兵衛、志村立美のお蔦さんか。専太郎だけ洋装で鳥打帽姿だが、見ようによっては「カリガリ博士」の眠り男ツェザーレに見えなくもない。

段々と週刊誌が勢いを見せる時代になり、週刊サンケイ、週刊朝日、サンデー毎日などの表紙絵を専太郎は描く。(週刊新潮は谷内こうたが亡くなるまで描き続けた)
婦人誌の表紙も綺麗。現代女性の元気そうな美貌がいい。
ところで雑誌の展示などでは見出しも見える。
昭和24年「鏡」誌「森雅之と五人の女」(そりゃ?モテたでしょう!私もファン)など。

チラシ左下の裸婦は三島由紀夫「音楽」挿絵。これについては丸谷才一が面白い評論を挙げている。つまり三島のこの小説が流行すれば、「音楽」という言葉に別な意味が加わったろう、というちょっとばかりえっちくさい話である。

専太郎の自伝「溺女伝」があった。これは彼の女性遍歴の実録もので、実はわたしも持っていた。しかしわたしは彼の絵の話が読みたかったので、ちょっとサヨナラしたのだった。
専太郎は昭和49年に急死している。そのときお葬式には正妻さんのほか大勢の恋人たちが集まり、彼女らが自治的に役割分担したらしい。女のうちで顔を見ないものもいて、そのことを尋ねると「あれは心栄えが良くないから」と連絡しなかったと答えが来た、というエピソードがある。
そのことは丸谷才一か戸板康二の本で読んだ。

専太郎の展示の最後に挿絵仲間との合作が出ていた。
日本映画の黄金時代と戦後の挿絵の黄金時代は時期が同じなので、映画俳優の似顔を絵物語にはめる仕事が流行っていた。
「平凡」昭和26年10月号。映画「折鶴笠」より、専太郎は長谷川裕見子(船越英一郎の母)、立美は長谷川一夫、トミケンが山田五十鈴を描いている。

次から画家が変わる。
御生伸「零戦黒雲一家」(彼は有吉佐和子「複合汚染」の挿絵画家。既に弥生で回顧展開催済み)、田代光は「平凡」の口絵に寝そべる裸婦を描いている。南方系の肉感的な裸婦。
ほかに堂昌一などなど。

次に志村立美の仕事が並びだす。
専太郎は伊東深水門下だが、こちらは山川秀峰門下で、晩年まで師の秀峰を長く慕っていた。どちらの師匠も鏑木清方門下だから、歌川玄冶店系は昭和の真ん中まで命脈を保っていたことになる。

立美はカストリ雑誌の表紙もどんどん描いていて、それらを眺めるのもたいへん楽しい。
「近代ロマン」では白熊の毛皮に寝そべる裸婦がそのシロクマのアタマを持ち上げて笑う絵を描いている。昭和エロというよりこれはアメリカのエロ雑誌風な面白さがある。
うっとうしい戦争に負けて、やけくそな明るさがダーンッとやってきて、みんなアメリカナイズドされたのが、ちょっと影響しているのかもしれない。

それにしてもカストリ雑誌の見出しがまたソソるソソる。
「人生劇場」の尾崎士郎も「白昼の死角」の高木彬光も、そんなカストリ雑誌にたくさん書いている。
時代小説特集本「小説の泉」昭和24年のある号の表紙絵は、立美には珍しく天明年間の浮世絵風な美人画で、黒地に桔梗柄の浴衣を着る女を描いている。
雑誌の目次を見るだけでも楽しい。タイトルが面白くて仕方ない。
作品ラインナップを連ねる。
江戸川乱歩「猫町」(朔太郎のとは違うらしい)、大下宇陀児「危険な姉妹」、角田喜久雄「緑銀虫」、野村胡堂「浮世絵の女」、村上元三「稲妻草紙」、陣出達朗「蛇眼窟の裸女」、木々高太郎「影のある女」、渡辺啓助「女王の浴室」・・・・・
どう考えても猟奇的なタイトルだし、作家も作家だし・・・♪

立美は映画絵物語を得意にしていたようで、実にたくさん出ていた。
ひばりと右太右衛門。京マチ子・津島恵子・岸恵子・乙羽信子・島崎雪子の五人が江戸風な装いで妍を競っている。
富田常雄の柔道小説を基にした昭和28年「春雪の門」では、若尾文子と菅原健次を描く。
大仏次郎「風船」は森雅之と北原三枝。大映映画「藤十郎の恋」では長谷川一夫と京マチ子。本当によく似ているし、それだけでない良さがある。

ところで志村立美の本名は「仙太郎」センタロウである。同じ名の「専太郎」に興味を持ったことで、岩田専太郎と仲良くなったのだ。
そして立美というのは、師匠の秀峰が彼を可愛がってつけた愛称「辰巳」からきたもので、美人画、挿絵画家として立つ、と言う決心をこめて名乗っていたそうだ。
実際彼は挿絵の世界から退いた後は美人画家として活躍し、現在もその作品はカレンダーやパズルなどになって流通している。

元気な色っぽさが漂う立美の絵はその後も人気があった。
他の作品を見て行く。見たくなるものばかりが揃っている。
小島政二郎「新珠」 女優と同じくアラタマ。立美は小島とは「人妻椿」でも協働。
昼寝する美女の髪を、のみとりするような手つきの猿が。
角田喜久雄「髑髏銭」 字面だけでもときめくなぁ。モノクロの線描がいい。
三上於兎吉「美女地獄」、胡堂「風流活人剣」、村上「妖姫伝」、菊池寛「人間魔」・・・

林不忘の丹下左膳は多くの画家が描いているが、小田富彌の殺気漂う丹下とは違い、立美の丹下はかっこいい!
胡堂「美男狩」シリーズがあった。「妖術篇」の絵は、オバケ絵の襖を後に下げ髪の臈たけた女が坐す。オバケ絵は墓場に集まる可愛いオバケたちで、一つ目小僧や提灯オバケなどなど。「巨宝篇」は艶かしすぎる女が描かれている。
角田「恋慕奉行」はちょっと被虐的で、ドキドキする。
「剣豪特集号」表紙絵なども艶かしくてステキだ。
小島政二郎「北斎」では洗い髪というより、それこそ今風なロングへアのキツい顔のおねえさんが描かれている。どんな筋立てなのかわからないから想像するも楽しい。
珍しく下絵も並ぶのがあるが、タイトルをメモりそこねた。
櫛巻きの女がにっと笑っているもの。
婀娜っぽくて本当に魅力的。
やっぱり絵は、見る者になんらかのときめきを与えなくてはならない。

他に講談社の絵本もあった。「安寿と厨子王」。端正な絵本。
・・・昭和30年代までの時代小説・怪奇小説はどれもこれも面白いのが多すぎる。

ところでちょっと「ヲヲ」なのが昭和32年の週刊サンケイのある日の見出し。
「南極日本隊 内乱の真相 田英夫 隊員手記」 ううむ。あの田英夫か。
一体何があったんだ、南極日本隊!?
時事ネタでは他に昭和のご成婚絵があった。

挿絵画家たちが自ら「さしゑ」という雑誌を出していたことを、今回初めて知った。
その本はあまり長期間出ることはなかったが、挿絵画家たちの矜持というものが見えるようだった。
昭和30年の「さしゑ」誌には全国の挿絵画家MAPが出ていた。
東京だと専太郎、島根に石原豪人、北海道に梁川剛一などといった風に名前が地図と共に書かれているが、大阪には手塚治虫の名もあった。それと中一弥も。
手塚は挿絵画家ではないが、漫画家もその頃はお仲間入りしてたのかもしれない。
その地図を見る限り、昭和30年時点では青森、和歌山、富山が挿絵画家を輩出していなかった。
青森の棟方志功は谷崎「鍵」「瘋癲老人日記」を描いたが、少し後年のことになるか。
和歌山の川端龍子は挿絵ではなく童画を描いているから、ちょっとニュアンスも異なるらしい。

志功や龍子の名を挙げたが、専門の挿絵画家でなくとも、洋画家、日本画家の区別なく、多くの画家がその頃は挿絵を担当していた。
谷崎の「少将滋幹の母」は小倉遊亀が平安時代の扇面図などを基にした絵をつけ、舟橋「花の生涯」は木村荘八、丹羽文雄「恋文」は硲伊之助、阿部知二に脇田和の組は2本ばかりここに作品が出ていた。鈴木信太郎、東郷青児の装丁もあった。
展示はされていないが、小磯良平、向井潤吉、宮本三郎も多くの挿絵を残している。
中でも杉本健吉の「新・平家物語」は画家渾身の作品だった。
また惜しくも見に行き損ねたが、宮本三郎美術館では彼の挿絵仕事の展覧会が3/21まで開催していた。

とにかく敗戦後は「ヲヲ」な作品が多い。
面白いコママンガがあった。昭和24年「キング」誌上の西塔士郎「ノガミ殺人事件」。
ノガミは上野の隠語で、ここらは敗戦後、パン助や女装したのが多数佇んでいたそうだ。
香山滋も登場した。彼の作品は橘外男、久生十蘭、夢野久作ともども、大学の頃よく読んでいた。社会思想社の教養文庫は、こうした作家の本を出していたのだ。

陣出「萬媚地獄」の口絵にはっとした。小村雪岱「お傳地獄」の再現を見たのである。
女が背中に刺青を彫らせている図。よく見ると雪岱唯一の弟子・山本武夫がそれを描いていた。山本武夫の回顧展は数年前に目黒で見たが、師匠の衣鉢をついで、いい仕事をしているが、全く同じような構図のそれを見ると、やや忸怩たるものが胸にあふれてきた。
能面・萬媚の面影を背に写そうとする女の執念の物語。

雑誌表紙絵では他に「苦楽」清方、「スタイル」高野三三男、「主婦の友」宮本、「ホーム」田村孝之助、「オール読物」広田多津があった。
ここにはないが、近年では高山辰雄も長らく「文藝春秋」表紙絵を描き続けていた。

ここまでが一階の展示。次からが二階の展示。

挿絵画家たちはとにかく人気者だったから、雑誌のグラビアに絵だけでなく本人たちのちょっとした写真も出ていたようで、それを見るのも面白かった。
思えば昔々は文士たちも日本全国津々浦々へ「講演旅行」していた時代があったのだ。
そのことを書いた水上勉、丹羽文雄の随筆が懐かしい。

さて二階でびっくりしたのはカストリ雑誌の大群だった。
一体どれくらいあるのか、モノスゴイ数カストリ雑誌が並んでいた。
表紙を描いた画家名を記したものもあるが大抵は未詳である。
その中で一目でわかるのは、山名文夫だった。あとはもぉわからない。
見出しの中には、ゴッホ研究や「二笑亭」発見者でもある精神医学者・式場隆三郎の評論も一本あったが、これまた・・・。

次は週刊誌時代の表紙絵が並ぶ。(ここまで号数はほぼ書いていないな、わたし)
昭和29年「週刊タイムス」は岡本唐貴の日舞の女、長新太も描いているし、「週刊朝日」は深水に「サンデー毎日」は寺内萬次郎が担当している。

他に朝倉摂、戦前大活躍した伊藤彦造の挿絵もあるが、今思い出したが、朝倉摂は数年前に新聞連載の皆川博子「花櫓」に挿絵をつけていた。
やっぱり物語にふさわしい絵がついているのが嬉しく思った記憶がある。

ここからは幼年向け・少年少女向けの挿絵または童画、あるいは雑誌の付録が現われる。

初山滋「アンデルセン童話」、武井武雄、堀文子、黒崎義介、川上四郎らの一枚ものがある。
こぐまのコロ助も出ていた。
白木茂・文/いわさきちひろ絵「水の子」はちひろ美術館でも見ていないので、これを機に是非みたいと思った。
講談社の絵本も鰭崎「花咲じじい」は何度も見ているが、びっくりしたのが馬場のぼる「にこにこでんしゃ」。動物たちが機嫌よく電車に乗ろうとする絵本がそこにあった。
絵柄は後年のものと変わらずあたたかい。色彩は絵の具も紙もよくないが、それゆえの温かみが出ていもする。
幼年向け雑誌「めばえ」の表紙絵に清水義雄の浮き輪のクールな少女。「めばえ」なのに、なのに、なのに・・・なんてかっこいいんだ!
他に偕成社の少年少女世界の文学などがある。もぉ泣きたくなってくる。

さて絵物語の時代へ来た。
山川惣治らの時代である。「少年王者」「バルーバ」などの密林が部隊の冒険もの、小松崎茂の宇宙、加太ひろし「黄金バット」それからナゾな「山男ダンさん」・・・仏像に扮した悪党が描かれていて、これも読みたくなってくる・・・福島鉄二「沙漠の魔王」はアメコミ風で、猪熊源一郎や松野一夫の健全な少年向け表紙絵、石原豪人、武部本一郎の作品もある。

マンガもいよいよ本格的に現われる。
鉄人28号、矢車剣之助、赤胴鈴之助、鉄腕アトム(これらは皆「少年」誌掲載)、赤塚不二夫・水野栄子・石森章太郎合作の「くらやみの天使」、あすなひろし「白い夜」、望月あきら「ユリ!」、石森章太郎「サイボーグ009」・・・
松本あきら(松本零士)の少女マンガ、牧美也子、わたなべまさこ、高橋真琴の作品はマンガだけでなく可愛らしい付録にも活きる。
その少女雑誌の付録もキラキラしている。
内藤ルネ、田村セツコらの可愛いグッズが満載の展示・・・。

以下、驚いたものたち。
北村寿夫作/加藤敏郎挿絵の「新・笛吹童子」は般若面の下で前髪の少年と少女が座しているが、「笛吹童子」とはまた別物があったことを初めて知った。
つのだじろうのコミカルな少女マンガ「こまどり姫」、石川球太までもが描いた少女マンガもあるし、ついにみつけた山中峰太郎による「超訳」ホームズもの「夜光怪獣」・・・たぶん「バスカヴィルの魔犬」・・・ピーター・オトゥールのようなホームズと大きな犬が描かれた表紙。
「まぼろし探偵」「ビリー・パック」もあった。
わたしは大学の頃ムリをして「ビリー・パック」をまんだらけで買った。団塊の世代のオジの影響で、彼らが愛したコミックやTV番組を、わたしもまた愛していたのだ。

他に「きいちのぬりえ」があった。今では町屋の方で「きいちのぬりえ」館がある。
一度出かけてみたいと思っている。
それから笑ったのが赤胴鈴之助カルタ。
「と」が「とーふーい なまあげ がんも ドシーン」・・・絵札は鈴之助がトウフ売りとぶつかるシーンが描かれている。
北斗の拳のカルタにこんなのがあったのを思い出す。
「あたたたた 北斗神拳 秘孔つく」

以上、「百花繚乱!挿絵の黄金時代 懐かしい昭和20?30年代の挿絵画家たち」展の感想を終える。
次には三階の高畠華宵室。

「広告絵と日本画」
華宵は津村順天堂の「中将湯」広告で名を売った。
血の道の妙薬という暗?いイメージの中将湯に華宵美人の広告がついたことで、みんな買い求めやすくなったそうだ。
中将姫を描くだけでなく、その当時の最先端美人が飲んだり、家庭を守る婦人がにこにこしながら飲む絵を描いているので、本当にイメージが良くなった。
村松梢風が中将湯の宣伝に短編小説を書いている。
NY帰りのモガが向こうで中将湯のファンになり、帰国後も愛飲しているという話を聞く、モボである「わたし」が「実は僕も飲んでるんだよ」と告白する。
二人は仲良く寄り添って中将湯を飲みながらラグジュアリーナイトを満喫する・・・
なかなか楽しい短編だった。
他には、今も函館にある森デパート、ビクターレコード、日本海上保険・・・それらのポスターが並んでいる。

日本画では華宵の畢竟の大作「移りゆく姿」六曲屏風が久しぶりに出ていた。
これは明治から昭和初期までのあらゆる婦人風俗を描いたもので、一人一人を見るだけでも何かと学ぶことがある。
わたしは1面の、明治36年頃流行したショールをまとう娘がいちばん好きだ。
彼女は丁度その時代に泉鏡花が書いた「風流線」のヒロイン龍子を思わせてくれる。
龍子は清方も描いているが、わたしのイメージではこの華宵の娘の方がイメージに近い。

長々と書いてしまった。たぶんこれまでの記事で一番長い気がする。
いかに自分が弥生美術館のコレクションのファンであるかを露呈している。
ここで改めて弥生美術館との出会いを書いておく。

弥生美術館は’89年の春と秋に出かけ、どうしようもなく好きになった美術館である。
好きになったが、わたしは大阪の住人、弥生美術館は文京区弥生から動かない。
それでも「わたしの好きなものしかない」美術館への愛情は日々募るばかりだった。
しかし東京の美術館の展示替えごとに出向く根性が、その頃はさすがになかった。
それでもとうとう'91年の暮れに会員になり、以来20年「友の会」会員として一度として展覧会を見損ねる、ということはなく過ごしてきた。
が、今期はあの未曾有の大災害で忸怩たる思いに噛まれ、ついに行きそびれてしまうという事態になりかかってしまった。
・・・・・葛藤を越え、今こうして見に行くことが出来、大いに堪能し、喜んでいる。
業が深い、と思いながらも。
今後もどんなことがあろうとも、弥生美術館に通い続けようと決めている。
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