美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 **なお現在コメント欄を閉鎖中です。

白洲正子 神と佛、自然への祈り

世田谷美術館での「白洲正子」展に出かけた。前後期に分かれての展示で、今から書こうとしているのは既に終了した前期分の感想である。
後期はGWの最中に行く予定だが、まとめてしまうと今回受けた感銘が散らばってしまうおそれがあるので、遅ればせながら本日挙げることにした。
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評論と随筆と古美術鑑賞と能と。
存命中の白洲正子へのイメージと言えばこの四点がすぐに浮かび上がった。
少し前に没したが、没後さらに彼女の人気はいや増しに増して、今では絶対の価値観を有するほどになっている。
美術館ではなくデパート展でも人気は高く、彼女のライフスタイルに憧れる人も多い。

今回の展覧会は「神と仏、自然への祈り」とタイトルが付いているとおり、神仏像や参詣曼陀羅図、民俗学的な見地から見いだされたものたちが集まっていた。
わたしは彼女の愛した古い工芸品の多くを、あまり好まない。手仕事の実感が伴う土臭いものよりも、むしろ「手仕事」「職人芸」を忘れさせるような、フワフワした綺麗なものの方がずっと好きだからである。
その意味ではわたしの「見ても関心のわかないもの」がなく、「見たかったもの」が集められた、心地よい展覧会だった。
膨大な展示のうち、自分の興味をそそったものだけについて書いてみたいと思う。
また、展覧会は幾つかの章に分かれているが、混ざり合って展示されているものも多く、そのあたりは忖度しないことにした。

世田谷美術館の建物の構造として見事だと思うのは、まず観客の心を掴む場が、最初に設けられていることだった。
半円型の天井の高い空間に、NHKの協力で設営された映像が流れている。
巨大な滝の実景である。
単に心地よい映像ではない。
これは聖なる滝の姿が捉えられているのだ。
日本で信仰される滝とは和歌山の那智の滝である。
それが清々しい映像の中で迸り続けている。

そしてその映像は、そのまま那智滝(つまりご神体そのもの)として祀られているかのような配置を取っている。
左右に神仏の形を写し取った像がある。
熊野速玉大社の国宝・家津美御子大神坐像と飛鳥時代の金銅十一面観音立像である。
前者は恐ろしい表情の神であり、後者はにこやかな微笑を浮かべる仏である。
神はタタリをなし、仏はヒトを救済する。
そのことを思う。

参詣曼荼羅図をいくつか眺める。
ガラスの向こうのそれら大きな図を見ているときに、震度3の揺れがあった。
ここでガラスが割れればまずいな、とそんなことを思いつつみつめていた。
不思議に静かな心持ちでいた。

那智参詣荼羅図 熊野那智大社
那智参詣荼羅図/熊野歓心十界図 和歌山・正覚寺
那智参詣曼荼羅図 和歌山・補陀洛山寺

いずれも色鮮やかな大きな図だった。たぶん寺内で絵解きに使われたのだろう。
参詣曼荼羅図は即ちその社寺の境内案内図でもある。場所によっては神仏登場スポットもある、というガイドブック的な要素もある。
ナマナマしい狛犬、川で禊をする人々、滝に打たれる修行者の両脇にはコンガラ童子とセイタカ童子が現われ、頭上には不動明王を表す焔が見えている。
・・・ここまでは他の社寺境内図、参詣曼荼羅図と大きな違いはないが、次が熊野オリジナルの図柄の登場である。
舟がある。補陀落渡海するための舟である。
四方に鳥居を立てて、中に30日分の食料を詰めた木棺に納まった切望者の舟である。
その舟に祈願をこめる人々の姿が描かれていた。

十界図はヒトの一生を描いている。赤ん坊に始まり老齢に至るまでを放物線を描いた道上に配し、さらに四季の移り変わりをも加えている。
筒井筒の少年少女がやがては高砂に至る・・・そんな図だった。
そしてその下半分には地獄が広がっている。
実はわたしが最初に十界図を見たのは、池上遼一版「修羅雪姫」でのことだった。
思えば十界図と無縁なまま生きてきたのだった。
去年辺りから六波羅あたりで見るようにもなったが。

長命寺参詣曼荼羅図/長命寺十界図 滋賀・長命寺
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こちらも滝に打たれる修行者があり、参詣する人々があり、狛犬もおり、という情景が描かれている。違っているのは、湖水を行き交う舟がわらわらと描かれていること。
近江が琵琶湖という「うみ」と共に活きているのをこんなところでも見る。

国宝 彩絵檜扇(古神宝類のうち)和歌山・熊野速玉大社
チラシに配されている、白梅に竹の図を見ることが出来た。展示変えが色々あるようだが、扇の美というものは形を考えてのことだから、その制約の中でどんな表現が出来るかということも考えなくてはならないし、「扇」にふさわしい絵ということをも考えねばならない。

丹生明神像/狩場明神像 和歌山・金剛峰寺 
女神と男神。平安時代の衣装をまとっている女神。狩場明神は「狩場」だけに白犬を連れた立ち姿で表現されている。丹生=丹=不老不死ということを少しばかり考える。

行道面 多聞天/夜叉天(高野山天野社伝来)
前者は緑黒な顔色で、なにやら気合が満ち満ちている。後者は「ほー」と吹きそうな口元が印象的。

ホールを出て、次の展示室へ向かった。

富士図扇面絵  江戸時代には富士講も大流行し、富士への関心が沸き立っていたが、この時代に生まれた扇面図。白い富士と藍色の背景。その扇面を鶸色の軸で収める。
色の配置が絶妙。

道成寺縁起絵巻(下巻)和歌山・道成寺 
大蛇ではなく竜と化した女が七重に鐘を巻きつけ、憤りの焔を吐き続ける。
女だったものが去り、鐘の下を開けると黒焦げのガイコツが一体現れる。それを見て驚き嘆く僧侶たちと、稚児を先頭に駆け寄ってくる人々と。

空也上人像 六波羅蜜寺  彫像ではなく絵の方の像。私は長らくあの口元の「南無阿弥陀仏」の六文字を「口からメザシ」と見做していた。

大津絵(釈迦涅槃図)滋賀・月心寺  朱色が目立つ大津絵らしい絵柄ではあるが、涅槃図である。人々の嘆きが描かれている。こういうの涅槃図は初めて見た。

松尾大社の女神像が来ていることにも驚いた。存在感の篤い像。他の神仏像の誰彼よりもなお。
愛らしいわんこもある。高山寺ゆかりのわんこ。和犬の愛らしさが表現しつくされている。
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また平等院からも琴を弾く天女像が来ていた。尤もこれはシンセサイザーを弾くようにもみえてならないのだが。(シンセでは『聖☆おにいさん』になるのだが)
やがて像を眺めるうちに、異様に美しいものをみかけた。
奈良の松尾寺にあるトルソである。
8世紀の千手観音の残闕。胴体だけのこの木像は朽ちたるものの美をみせつけていた。
美麗な像。手足をなくし、顔を失ったからこその、この麗容。
おそらく、今回見た美麗なものの中で一番の地位にあるように思った。

他に明恵上人樹上座禅像、春日大社の舞楽面で不思議な表情を見せる新鳥蘇などが深い印象を残した。いずれも正子の言葉と共に在る。
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役行者像を二体ばかり見た。
始めのほうに展示されていたのは奈良・櫻本坊所蔵の19歳の姿、なにかしらニッと笑っているように見える。若い感じはしない。現に「神変大菩薩」の呼び名のついた像である。
そして終わりのほうに壮者を過ぎ、老齢に入ったような役行者像がある。足元には前鬼・後鬼が控えている。

白洲正子 神と佛、自然への祈り  そのタイトルにふさわしい展示だと思った。
現在は後期展に入っているので、多少の展示替えがある。
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コメント
No title
あの大震災が無ければ、3月終わりに那智から熊野古道を
娘と二人で歩く予定でおりました。 その下調べに注文した本を、あの後読み込んでいます。 今は、よく知りもせぬ内に詣でなくて良かったと思っています。
2011/05/02(月) 15:08 | URL | 山桜 #-[ 編集]
☆山桜さん こんばんは

>今は、よく知りもせぬ内に詣でなくて良かったと思っています。

ストイックで真摯な山桜さん。わたしなんぞは本当に恥じ入るばかりです。
補陀落渡海には深い関心があるのですが、「蟻の熊野詣」「三熊野詣」すらきちんと理解してないことを、今更ながらに思いました。

また落ち着かれたらどうぞ母娘の旅を!
2011/05/04(水) 23:23 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
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