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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

華麗なる日本の輸出工芸 世界を驚かせた精美の技

日本の工芸品の粋を見た。
手仕事の美である。
一つは明治から昭和初期にかけて主に欧米へ輸出された工芸品、もう一つは昭和初期からつい近年まで生まれ続けた彫金の品々である。

ここでは輸出工芸品の感想を挙げる。

たばこと塩の博物館で7/3まで「華麗なる日本の輸出工芸 世界を驚かせた精美の技」展が開かれている。
この案内だけでも、目に星が飛び込んできたような拵えである。
平安の昔から江戸時代にかけての日本の職人技の素晴らしさは知っている、と言いたい。
しかしながら明治初期の工芸品の良さは知らない、と言ってもいい。
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以前から、明治以降のそれはややもすれば華美に流れすぎ、諸外国への迎合の度合いが強すぎるものが多いように感じていた。
つまり横浜から海外へ輸出される工芸品は、多少品位に欠けるようなイメージがあった。
しかし今回の展示品の数々を見るや、そんな意識がキレイさっぱり払拭されてしまった。
確かに日本人の家に伝わる品々の様相を見せてはいないが、まことに見事な工芸品なのである。
これらが今も活きていることを、ここでこうして眺められることを、ただただ喜んだ。

青貝細工の美貌、芝山細工の麗容、螺鈿、蒔絵の優美、寄木細工の愛嬌、やきもの・漆器の明るさ・・・
なにもかもが素晴らしく、その当時の諸外国(=世界)の人々だけでなく、時間を遠く隔てた現代の我々も驚愕するしかない、見事な出来映えなのだった。

眺めながらただただ「凄い」としか言葉が出なかった。「凄い」あるいは「綺麗!」または「可愛い!」、本当にそればかり。
長崎、横浜と産地が違うことで職人の手も変わり、嗜好も異なってくる。
どちらがどうということは言えず、共に豊かに華麗な展開を見せている。

チラシに選ばれたのは芝山細工花鳥図屏風である。
sun516.jpg
芝山細工は珊瑚、象牙、鼈甲などを盛り上げて貼り付ける技法だと解説にある。
以前、京都の思文閣ギャラリーで小さな芝山細工の箪笥を見て、深い欲望に駆られたことがある。
結局自分の手に負えるものではないのであきらめたが、画像だけでも手に入れることができて喜んでいる。
それについての記事はこちら

江戸時代中期に小川破笠という職人がいた。彼は独自の技法で様々な工芸品を拵えたが、貝殻などを表面に貼り付けた細工物は、見るからに愛らしく、賞玩したくなる様を見せていた。
芝山細工の起源が何か、いつからあるかは知らないが、破笠のそれとは少しばかり趣は違っても、親戚筋くらいの近さはあった。

それにしてもこの美貌はどうだろうか。
黒漆地に煌めくばかりに花が咲き、鳥が舞う。
刻まれた美ではなく、盛り上がり、迫りくる美なのである。3Dとでもいうべきか。

屏風、衝立、飾り箱、アルバム、箪笥、飾り額・・・
あらゆる家具工芸に展開される細工物。

明治の世ではヨコハマからの輸出品は憧れの品々だったそうだが、生糸と並んで花形だったことがよくわかる。
西洋人の美意識に深く食い込む美貌の工芸品たち。
見ているだけでもため息がでる。

明治の有田焼や京薩摩焼は好みから外れるのであまり関心がわかないが、それでもこうして美麗な姿が揃うと、わたしもまたかつての西洋人のように驚嘆し、その美に囚われる。

大きな花瓶で目に付いたものが一つ。
墨田焼というやきもので(今戸焼とは違うらしい)、花瓶の胴に「桜下母子遊興図」を再現していた。子の手を引いて楽しげに満開の花の下を行く日本婦人。その盛り上がった桜といい、婦人の表情といい、本当に華やかだった。

セルロイドの工芸品もあった。
セルロイドについては昨夏、わたしは日本セルロイド協会を見学して、色々なことを学ばせてもらっている。
可愛い玩具たちが揃っていた。
神戸人形のような顔の黒いものもある。
人力車もある。戦前から戦後しばらくまでの庶民の仲間だったセルロイド。

少し新しいところでは'50年頃の会津漆器がある。
これはキリスト教の教具一式だった。
聖母子像、磔刑図などなど。依頼を受けて拵えたものたち。古びを見せない会津漆器。

麦藁細工の玩具や文具がある。
関東では大森が、関西では城崎がその産地として知られている。わたしは友人から城崎土産にと、麦藁細工の猫の顔のついた書類ハサミをもらい、今も手元で使っている。弱れば補修し、完全に壊れるまでは手元で大事にしたいと思っている。
そんな風な愛着を持たせるのが、これら慎ましく愛らしい細工物の性質なのだ。
ほかにアーケード状の天井を持つヒキダシ(開くとピロピロリーンと音がする)もあり、ノスタルジーが胸を灼く。

箱根細工は寄木細工とカラクリで構成された細工物だと勝手に認識している。
ここにあるのはもう少し大きな工芸品だった。
箪笥、ライティングデスク、テーブル、飾り棚・・・
なにもかもが見事で、その手法の繊細さにときめくばかりだった。
どんなに薄く削りだしたのだろう。それをどのようなデザイン感覚で配置していくのか。
日本人の美意識の深さを改めて実感した。

これら輸出工芸品を世界に売り出していた「ヨコハマフジヤマ商会」の店先が再現されていた。
入ってみると、ほしくなる物ばかりで構成されている。
小さい頃、グリコのおまけやその他を大量に集めていて、時々「お店屋さん」として小綺麗に並べるのが楽しくて仕方なかったが、それが拡大化したものを見ている気がした。

洋館にこうした日本の細工もの、工芸品を置く。アンバランスのバランス。夢の国から持ち出した細工物たちで彩られる西洋の館。
ただただときめくばかりだ。

そしてその情景には覚えがあった。三十年ほど前の山岸涼子の作品「ドリーム」の舞台となった建物と調度品がまさにそれだった。タイトル通り「夢」を思わせる美麗な工芸品に囲まれた世界がそこにあった。
ほかにもこのセンスは波津彬子にも流れていて、彼女の描く作品のうちには、やはりこの明治の輸出工芸品が西洋の荘厳な邸宅に飾られていた。

わたしのときめきが他の人にも伝わるだろうか。
これら華麗な工芸品の中に佇む喜びの深さがわかってもらえるだろうか。
いや、伝わらずとも理解されずともいい。
この細工物の美は誰の意図をも忖度せずに活き続けているのだから。

会場では工芸品への愛情が深まるようにと、同時代の古写真が展示されていた。いずれも風景写真であり、手彩色がなされている。いくつか知る作品もあったが、これらはミュージシャンの坂崎幸之助さんのコレクションからの出品だった。
以前にも坂崎幸之助コレクションの一端を眺めたが、本当に素敵なものばかりだった。
今回特に惹かれたのは、亀戸天神の太鼓橋を手前にした一枚である。この写真は遠近感を面白く利用して、藤をばさりと垂らしていた。

この素晴らしい展覧会は7/3まで続いている。
ぜひとも勧めたいと思っている。
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