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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

没後百年 菱田春草展

今日まで長野県立信濃美術館で開催されていた「没後百年 菱田春草展」は魅力的な展覧会だった。
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春草は信濃の人で、そのために今年は同時期に飯田市美術博物館でも特別展が開催されていた。
こちらは永青文庫の「黒き猫」のお仲間が、木から下りたばかりの姿を描いている。
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飯田へも行きたかったがムリだったので、このチラシを得ただけでもよしとしている。
この猫とは東京美術倶楽部で見て以来久しぶりの再会。
そういえばあの「黒き猫」はまもなく京都国立博物館に現れる予定だった。
この信濃展でも黒猫に会えるだろうか。
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展覧会は前後期に分かれていて、私が行ったのは後期だった。

老子 伝承どおり老子は牛に乗り西へ向かおうとしている。牛の腰を押す坊やも背に何やらくくりつけている。この子も老子と共に旅に出るのか。横顔が意外なくらい近代的な坊やである。牛はこれでもかというほどに線描がなされている。

五郎時致 今しも室内へ入り込もうとする横顔。きりっとした青年の顔がいい。
五郎も先の坊やも、共に可愛らしさが共通している。

高野山古寺 明治28年の作。どの寺かは知らないがL字型の堂の扉は全て開けられていて、内部の仏像たちがのぞいている。弥勒もあれば三尊もあり、薬師如来もある。
この寂れ具合はひどい。庭に咲く雑草が一層わびしさを募らせる。
廃仏毀釈の嵐の後の姿がこれなのだ。
六月に見た展覧会「宝を護れ 大正時代の保存プロジェクト」あのプロジェクトがなくばこの絵以上の衰退が待っていたろう。 

砧(婦人) 夫の不在の寂しさを月下で叩く砧で示す。松園さんの名作にもある、あの「砧」である。ここにいる婦人は長い髪を後ろに流していている。前髪も全て後ろへ。
19世紀末のリアルタイムの婦人に見える。物思うようでいて、何を思っているかは掴めないひとだった。

水鏡 チラシ左の天女である。かなり大きな絵で今回対峙して、色々なことに気づいた。
アジサイ、オモダカなどの花々と、足元の薄い緑と。天女は目を寄せて足元の水面をみつめていた。自分の影を眺めている。しかし水鏡は全てを映し出しはしない。
春草はこの絵で無常観を表そうとした。それを踏まえて絵を見ると、天人五衰という言葉が浮かんだ。同時に、若い画家がそんなものを描くべきかどうかということも想った。
彼が夭折した人だ、ということを改めて思った。

羅浮仙 チラシ右の梅の精。馥郁たる美女。優しい表情を浮かべている。
他の作家の羅浮仙を集めた企画を、このブログ上で挙げたことがあるが、そのときも春草の描く美女はにこやかなままだった。

寒林 林の中の石の上に猿の親子がいる。しぃんと静かな空間。猿は動こうともしない。
風もやんで、何の音もしない。聴力を失ったような静かな静かな世界。
不思議な諦念を感じてしまった。それが何なのかはわからないのだが。
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朦朧体の前に細密描写の絵があった。どちらも近世風俗の美人画である。
美人読書、美人行楽。
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特に読書美人の着物の細かい描写がすごい。総絞りの着物を着ていることがはっきりとわかる。少しばかり暁斎風美人でもある。
春草の描く美人のうち、近世風俗のひとびとは、はっきりした線描で装っている。
あとに現れる「双美摘草」も同様の美人画。

朦朧体について少しばかり。
文芸性のある絵が好きなわたしは、「常磐津伏姫」や前期に出た「稲田姫(奇縁)」、そしてここにはない「菊慈童」がひどく好きなのだが、描法はいわゆる「朦朧体」というもので、発表当時の評判は最悪だったらしい。
ところがわたしが実際に見たのは今2011年だし、図録で見たのは1990年なので、朦朧体のどこがよくないのかがまったくわからないのだった。
それを通り過ぎた時代の者には、当時の悪評が理解できないのだ。
つまり変な喩えだが、わたしなどはビートルズのずっと後の世代なので、ビートルズの音楽がいいのはわかりはするが、ビートルズの音楽の衝撃というものはわからない。
一つの分野、一つのグループにすぎないのだった。
だから朦朧体の作品を見ても「ああ、こんな描写もある」で終わってしまう。
どんな衝撃でも、時間が経ちすぎると、それは衝撃ではなくなるのだった。

常磐津伏姫 悲しい、侘しい生涯をよく表現していると思う。小さい頃から八犬伝が好きなわたしは、この伏姫を見て「ああ、いよいよ・・・」という感慨を持つばかりだった。
しかし伏姫の自死がなくば、八犬士は世に出ないのだ。埋められた玉が世に顕れるための最初にして最大の犠牲。

竹に猫 竹に白百合を前にじーっとそちらを見る白地の猫の横顔。背中や尻尾は薄墨ではいたようである。水野美術館展で見た猫である。チッチッチッと呼んでもこちらを向きもしない。

風景画を多く見る。
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名前は「春」であっても、心象風景は秋だったのではないか、と常々思っている。
春草の描く秋の物寂しさは、他の作家にはないものだった。
春を描いたものもまだ暁の頃か夕暮れが多く、春昼を描いたものは殆ど印象にない。
飛ぶ鳥も皆、秋の、それも晩秋から初冬の空を行く。
眺めて歩くうちに、身に寂しさが湧き出してくる・・・

大観との仲良しぶりは絵を見ていても感じる。そして大観との体質の違いもわかる。
大観はやはり長命の人で、元気な生涯を送った人だということを、絵から感じる。
一緒にインドへ行ったときの作品を見ても、そんな違いを感じる。

乳糜供養 スジャータから乳粥を貰う釈迦の優しく弱弱しい姿。秋のある日。
釈迦と魔女 こちらは大観で、誘惑する魔女たちの色っぽさ・元気さ、無視する釈迦の強さ、そんなものがありありと出ている。

弁財天 インド美人の姿での弁財天が、蓮の上でインド楽器を抱いている。
春草の描く美女の中で唯一はっきりした意志の強さをあらわにしたような顔立ち。インド美人でないと、それを表現しえなかったのか。 
表情や髪の流れにも魅力がある。

砧 こちらの砧は本当に野の中でトントンと一心に打っている。ススキに囲まれ、黄金の満月に見守られながら、つつましげな美人が一人でトントンと打っている。

今回の展覧会では播磨屋本店所蔵の名品を多く見ることができた。
これまで友の会会報で少しばかり見てきたものがあるが、こんなにも名品を持っていたとは思わなかった。
播磨屋主人は思想的な活動に熱心だが、出来れば所蔵品の展示を行うような施設を拵えて欲しいと思う。
「とらや」や「源吉兆庵」のように。

最後の最後にすごいものが待ち構えていた。
黒猫 まだ毛もほわほわなちびの黒猫がこちらを見ていた。よく実った柿の実の下で。
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どうしようもないくらい可愛い!
この展覧会に来て本当によかった、と思った。
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2011/10/18(火) 21:32 | | #[ 編集]
この件について、メールいたします。
2011/10/19(水) 12:31 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
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