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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

没後十年 上村松篁 鶴に挑む

上村松篁さんの没後十年ということで、松伯美術館では特別展「鶴に挑む」を開催している。
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常にこの美術館に通っては多くの絵を楽しんでいるので、改めて「没後十年」ということを、意識していないことに気づいた。
松篁さんの新作にはもう出会えないが、長い生を充実して送られた松篁さんの作品群は、いつまでも新鮮だった。
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閑光 昭和二年の作だから随分若い頃になる。蓮の咲く水面、装飾的すぎる情景。全てが静止している。時のとまった屏風。

さて鶴の特集。
冠鶴 チラシの鶴。ホテル日航大阪に住んでいる。わたしはあんまり・・・
玄鶴、竹鶴、真鶴、丹頂と言った作品も全て「鶴」である。
「鶴に挑む」姿勢は成功したと思う。
わたしがニガテなだけの話だ。

鶴が怖いというのは鳥類だからというだけでない理由がある。
赤江瀑「禽獣の門」という小説に、中国山地の某所に巨大な鶴がいて、人を襲うという設定がある。その襲撃の様子と存在感がナマナマしく、細部も粗筋も忘れたのに、そのシーンばかりが何度も反復するのだった。
その気持ち悪さが常に背筋にある。
尤も、松篁さんの鶴は、岡山城の郭若沫さんの鶴たち同様、ほんわかランドに住まうものの顔つきを見せていた。

鴛鴦 池にカップルがたくさんいる図。とはいえ鴨も一羽いる。にぎやかそうだが、しかし騒がしさのない情景。
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万葉の春 これはいつ見ても本当にいい。
桃の色の違い、天平時代の若い人々、おおらかな空気。
本当にこちらの心も浮き立ってくる。
男がかざそうとするのは八重の山吹だと、今日気づいた。
小さい何かを日々新たに気づき、嬉しい心持ちになる。
「お家芸か隠し芸か」・・・うまいことを言うヒトもいたものだ。
微笑みながらこの巨大な壁画から離れた。

燦雨 インド孔雀と火炎樹と。熱国の美を画面にとどめた、それだけでもすばらしい。石崎光瑤の絢爛な世界を、自分の手でも作り出してみたい、という想いがこの華麗な作品を生みだしたのだった。

夕千鳥 七羽の千鳥が楽しそうにステップを踏んでいる。
黄色い花は月見草。見ているだけで丁寧な唱歌が頭の中を流れ出す。

春輝 特に好きな絵である。梅の中で「山娘」二羽が歌っている。これと似た構図の、桃の中の山鳥の絵は文楽劇場に飾られているが、どちらも本当に好きな作品。
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薪能 これは京都で何か企画が立ったときに描かれた一枚ではなかろうか。ちょっとそのあたりのことが思い出せない。配色の艶やかさにぼぉっとなりながら眺める。
謡が響いてくるような、静かな凄みもある。

芥子 赤、ピンク、白、白に紫がにじむ・・・そんな色の芥子たちが咲き誇っている。
息子の淳之さんの解説によると、制作当時既に芥子栽培は厳しく禁じられており、某大学の研究栽培を写生したということだった。

若い鷹 不安げな顔つきをしているが、それでも「鷹」である。泣くわけにはいかない。なんとか顔だけでも上げなくては。

春愁 ビューンッ飛ぶ小鳥が描かれている。12年前の作品。亡くなる二年前の作品か。しかしこうして勢いよく飛ぶ鳥を描いている。
そのことを思うと、胸が熱くなる。

松園さんの唐美人、娘、鼓の音を見る。
芙蓉の咲く窓を背にした「唐美人」、二人の娘たちのあでやかな着物を見るのも楽しい「娘」、小鼓の紐の塗り方が他の部位と違うことに今回初めて気づいた「鼓の音」・・・
何度見てもいいものはいい。

淳之さんの近作「白鷹」のピィンとした強さ、「雪間」の黄ばんだ熊笹に降り積もる雪と低く飛ぶ雁と・・・
年々歳々ほんとうに淳之さんの作品は魅力が深くなる。

上村家三代の人々の絵をこうしてこの松伯美術館で折々眺めていると、松篁さんが「没後十年」だということを忘れてしまう。
新作がでなくなって十年、そんな風にしか思えず、そして跡を継ぐ淳之さんの年々みごとな広がりを見せる作品世界に接すると、いつまでもこの喜びが続くように思うのだった。

展覧会は11/27まで。
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