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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

池袋モンパルナス展 ようこそ、アトリエ村へ!

随分前にどこの美術館での開催かは忘れたが、「池袋モンパルナス」展が行われ、興味を引かれたのに行きそびれたことがある。
そうなると口惜しさばかりが先に立ち、長い間鬱屈していた。
今回、板橋区立美術館で「池袋モンパルナス展 ようこそ、アトリエ村へ!」を見学できて、やっと心が晴れた。
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戦前から戦中の池袋には多くの芸術家が住んでいて、まさに「モンパルナス」の様相を呈していたそうだ。
大正末が舞台の乱歩の小説「孤島の鬼」でも池袋は郊外の新しい町として描かれ、少しばかり世間から距離を置いた人々が、自分たちのルールに従って、どこか優雅な生活を送っていた。

むろん心は優雅でも金銭にゆとりがあるわけでもない。
しかしそのモンパルナス(=アトリエ村)では、芸術家たちの楽しい暮らしがあったことは確かなのだ。
詩人・小熊秀雄の詩に「池袋モンパルナス」という言葉が現れたときには、そこはある種のパラダイスを形成していたのだ。
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板橋区立美術館は企画力も高いし、大道具の使い方も巧い。
今回もアトリエの間取りの再現などが設えられている。
毎回ここの展覧会にはそうした楽しみがある。
だいぶ前の「地獄極楽」展では臨終の場が再現されていたし、「浮世絵の死角」でも江戸の町中にいるような心持ちにさせてくれる作りがあった。

アトリエの間取りは小さい玄関に小さい台所(流し台のみ)
と手洗い、押入、三畳一間に、そして板の間のアトリエという全部で10~15畳くらいの構成になっている。
これは注文建築などではなく、この界隈がアトリエ村になる・なっていることを見て取った家主と周旋屋が拵えてまわったようで、百棟以上が作られたそうだ。

再現アトリエの壁にはロシア構成主義風な展覧会案内ポスターも貼られ、ガラスケースには当時の雑誌などもある。
このアトリエはどうやら画家・吉井忠の部屋らしく、彼のスケッチ(長崎町の戦災を受けた様子のもの)や「女」が飾られていた。

この「女」は当時の読売新聞に「北欧的写実精神云々」と評論が寄せられている。机に肘突く女は夏物ワンピースを着ているが、季節は判然としない。それは風景画でも肖像画でもないからだ。
卵が机の上にあり、女の手にも卵があり、外は荒野で民家が遠くにちらりと見えるだけ。
描き方が写実な分、かえってシュールになる、というのが面白い。

アトリエの外の壁(!)には吉井の当時の日記の活字版が展示されている。(原本は翻刻されたらしい)
'39~'45年の日記にはナマナマしいリアルさがあった。
抜粋されたその日記を読む。
文章は当時の文語体。非常に面白い語り口である。
(さらに要約したが)

・ヒゲさん(古沢岩美)応召でしょんぼり
・麻生(三郎)ゲッソリやせた
・(ダダイスト)高橋新吉に会う
・'41年当時、福沢一郎が当局に挙げられ、「シュールはいかん」と検事に言われる一方で「しかし絵は大いに描け」と励まされる
・京都の北脇昇が来てゐる(独立美術協会に入会)
・(瀧口修造が検挙され)奥さんのアヤ子さんから話を聞く

いろんな人々の動向と共に戦争のことや食事のことなどが書かれている。
この同時期の人の日記では、パレオにいた土方久功の饒舌な日記や、さすが漢文の素養が溢れ返る中島敦の日記などを読んだが、文体は違ってもそれぞれの肉声がそこにあることで生まれる、強いリアリティがこちらの胸にも響いてくる。

さて第一展示室と第二展示室の間には映像が流れていて、それを見てみた。
実相寺昭雄による「怪獣のあけぼの」10巻、池袋モンパルナスの生き証人たちに話を聞く内容だった。
ここに展示されている画家のうち、寺田政明の息子が俳優・寺田農になり、今日も活動を続けているが、彼と共に研究者が画家の未亡人に話を聞いたり、寺田自身の回想を聞いたりしている。

詩人・山之口獏の名前が出たので、ひどく懐かしく思った。
小学生の教科書には山之口の詩が二編ばかり採られている。今もすぐに思い出すのが、小さい娘ミミコの理屈を描いた詩だった。
父ちゃんの下駄をはくんじゃないぞ、で始まる詩。
ミミコはミミコで理屈をこねるのが面白かった。

山之口獏は沖縄から上京し、ここに住まい、近くの沖縄料理店によく出かけたそうだ。
彼の詩に、郷里へ戻って沖縄語で話すと「上手ですね」と標準語で返されて憮然となる心持ちを描いたものもあった。

少し戻り、「怪獣たちのあけぼの」・・・なんと巧いタイトルだろうか。
寺田農は彫刻家け白井謙二郎の未亡人を当時のまま建っているアトリエに訪ねる。
よくこのアトリエが残ってますねと言うや、高齢の未亡人はこともなげに「それは(白井が)90歳まで生きたから」と答える。
確かにその通りだった。
戦災に遭わず、引っ越しもせず、改築もせず、使い続ければ、なんとか生き残るものだ、建物は。
話は小熊にも及ぶ。詩人でもあり、マルチタレントでもある、という。

芸術家の息子が俳優になる、というのも一昔前にはあった。今回初めて知ったが、ジャン・ポール・ベルモンドの父も彫刻家でポール・ベルモンドという人だそうで、息子が父の作品を美術館で眺める写真があった。
他では松山省三の息子は先代の河原崎国太郎だった。
夢二の息子の一人も新派で役者をしていたが、彼は若くして戦死している。

映像の他に、板橋区立美術館特製の「池袋モンパルナス」mapが展示されていた。50円で販売されてもいる。
北川が銭湯のそばに住み、お社のそばに丸木夫妻がいて、立教大そばに銭湯とお社があり、そのあたりに古沢が暮らす。
雑司ヶ谷には'45年2月まで「上り屋敷」駅もあった。
そういえば、乱歩は立教大に隣接した邸宅に暮らし、それは今では立教大に寄贈されている。


前置きが長いようだが、これらを踏まえてからでないと「池袋モンパルナス展 ようこそ!アトリエ村へ」を本当には楽しめないと思う。
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小熊秀雄 夕陽の立教大学  オレンジ色の綺麗な夕陽!道にも光が広がっている。
見栄えのする大学の建物がそこにあり、夕陽にとけ込むような人の姿が二つあった。
日本の風景には見えない、1935年の「夕陽の立教大学」。

ケンカ  女、男、男の立ち位置。中の男が泣いている。怪我をしている。ボヘミアン・ヘア。これはトンビを着ているのか、ただの上着か。怪我は血を流すほどのもので、ズボンにまでそれは染みている。端の肩を貸す男はふんぞり返っている。
危うい関係性が見えるようでもあり、そうではないのかもしれない。

寺田政明像  戯画風な肖像画。

長谷川利行 靉光像  21歳の靉光。本人の自画像よりいい男じゃないか・・・
これはやってきた長谷川がその場でシャシャシャッと30分ほどで描きあげた作品だそうだ。

水泳場  わかりにくい。いかにも長谷川な絵。少し離れないと何を描いているのかわからない。やっと「水泳場」に見えた。1932年の作。
その頃、隅田川の一部をせき止めてプールに使ったらしい。
そこへ集まり楽しく過ごす群衆を描いていたのだった。

酒祭り・花島喜世子  エノケン一座の女優を描いたもの。どこかロートレック的なものがある。

長谷川の残された作品はどれを見ても個性の溢れたものだが、それだけに大半が失われたのは本当に惜しい・・・

田中佐一郎 立教遠望  綺麗な建物を遠くに、手前に松を配するという、浮世絵的遠近法が面白い。

中尾彰 残塁  シュールだとしか言いようがない。よくわからない。
しかし形は妙に可愛い。可愛いが、思想的にどうこう言われると困る。タイトルも言うたら「何故?」と言いたくなる。野球を想起するタイトルでこれはどう言った意味なのだろう・・・もしかすると、残塁したことで監督にコロされたとかそんな比喩か。←ただの妄想にしてもひどい。荒野に置き去りにされた牛の骨にも見えるしなあ。

鳥居敏文 少年と犬  白シャツに大きな帽子をかぶった少年がやせた犬といる風景をキュビズムで描いている。

難波田龍起 ヴィナスと少年  ギリシャ神話をモティーフにした世界を描く難波田の絵はどれを見てもときめく。前から好きな一枚。
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ニンフの踊り  三美人の図。彫刻風な女たち。真ん中にいる女はどういうわけか天平美人または唐美人のような髪型にしている。頭頂に二つの髪輪を結ぶ・・・

真鍋(金子)英雄 水辺  色遣いがジブリ風に見えた。特に「アリエッティ」の緑。
よく眺めれば隠し絵のように妙な鳥も潜んでいる。

大塚睦 地割れのある風景(風景A)  裸婦が赤ん坊をおんぶしながらどこかを見ている。追われた子供は破れ傘をさしている。気球が飛んでいる。地割れは深く、崩れる建物がある。木は倒れ、焼け残ったものがあちこちに。
淀む空。 米倉斉加年の描く女を思いだした。彼の描く人々は敗戦後の澱みを身にまといつかせている・・・

丸木俊の絵は四枚あった。
池袋モンパルナスの時代に描いた油彩の「デッサン会」はまだしも、'44~'45年の自画像や「位里の像」などはその情念の重さにこちらがたじろいでしまった。

一方、位里の絵は大きいものが二枚。
花王  墨絵で描く牡丹
ラクダ  ガオーッと吠えそうな、真っ黒い物体。

靉光は東近美「自画像」と彼の名を上げた「鳥」があった。
わたしは初めて見る「シシ」が気に入った。
寝てるらしい、シシ。しっぽと足は確かに「シシ」だが。
描いた本人が「シシ」だというなら「シシ」なのだ。
この「シシ」はライオンでも獅子でもない、珍獣「シシ」に違いない。

先般、麻生三郎の回顧展を見たが、抽象すぎて全くわからなかった。今回はそこへ至る前の「池袋モンパルナス」時代の絵が集まり、これはまだ具象の域にあった。

'35年の「自画像」はクリクリした目が可愛い青年図だが、'41年のそれはどこか悲惨なものがあり、山口貴由の描く「シグルイ」世界の住人に見える。

一子像  赤ん坊の長女の顔。クリクリした目がパパとそっくり。これは板橋区立美の所蔵品だが、同じ'44年に描いた個人蔵の「子供」もよく似ていたから、たぶん日を置かずにこれら二枚は描かれたろうと思われる。

丁度同時期に桐生市の大川美術館で「松本竣介とその時代」展が開催されていて(~12/11)、そのチラシをここに紹介する。そこにその「子ども」もいる。
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松本竣介 ニコライ堂  いつ見ても本当に惹かれる。この「池袋モンパルナス」の人々の作品群では松本の絵がいちばん好ましい。
実際のニコライ堂で一度ミサに参加したこともあるし、日曜の朝にガンガン鳴らす鐘の音もわざわざ聴きにいったりもしていたが、松本の描くニコライ堂へ行きたい、と思うのだ。
松本の絵にはいつもそうした魅力がある。

自画像  可愛い、賢そうな青年像。

りんご  少女の愛らしさに胸がキュッと締まる。その前日にたばこと塩の博物館で、「森永のお菓子 エンゼルからの贈り物」展で見たポスターに、松本の少女を髣髴とさせる女の子の貼り絵があった。遠い双子のように思われた。

寺田政明 生物の創造  ドードーなど滅亡した種族の生物がいる図。盛りだくさんな生物たち。シュールな光景。

正直いうと、シュールなものがニガテである。
シュールな作品でもそこに詩情があったり、物語性があるのなら、やはり惹かれる。
デルヴォーが好きなのは綺麗だから。
杉浦茂が好きなのは面白いから。
わたしのアタマではシュールなものを見ても、ついつい理屈を考えてしまうので、よけいわけがわからなくなるのだった。

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古沢岩美は実物の絵はほぼ見ていないが、挿絵は見ていた。
また今回、古沢が岡田三郎助の弟子筋で、彼の家に居候していたことを初めて知った。
彼は一昔前の新聞の一番下の欄の新刊紹介などで、よく裸婦画集の宣伝が出ていて、それで見覚えた画家だった。
むろん動かぬ裸婦だけでなく、「動いている」裸婦+αの図も色々見てはいる。
ナマナマしい官能性があった。

誘惑  大胆な姿態。'37年の作だが、むしろ'70年代の化粧品ポスター風な強さがある。

地表の生理  女も何もかもぐにゃぐにゃ。諸星大二郎「生物都市」のぐにゃぐにゃの先駆者のようだった。

「女幻」「憑曲」といった戦後すぐの作品はグロテスクさのほうが勝っている。
わたしは彼の挿絵「櫻の国」が好ましかった。はつらつとした娘さんのまなざしがいい。


他にメキシコな北川民次、アメリカの野田英夫の絵もあり、実に見所の多い内容だった。
長い間の鬱屈も昇華され、とても楽しく眺められた。
展覧会は1/9まで。ありがとう、板橋区立美術館。
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