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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行

府中市美術館まで「石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行」を見に行った。
チラシはこの通り「ねじ式」を選んでいる。
zen154.jpg

今回「ねじ式」の原画が全て展示されるというので、それをかなり楽しみに来たのだ。

石子順造の評論そのものは読んでいない。
知らないのではなく、なんとなく忌避していた、と言うのが正しい。
理由は大したことではない。
昭和40年代のカルチャーが苦手だから、としか言いようがない。

東府中駅から美術館まで歩く道すがら、延々と昭和40年代のカルチャーシーンと「ねじ式」をはじめとするつげ義春の諸作品のことを思い続けていた。
苦手だと言いつつも、全く知らないわけではなく、やはり展覧会に行く以上は自分の意識をそちらに向けるべきだと思う。そうでなければ展覧会に行く価値がない。

公園内では誰に会うこともなく、無人の道を歩いたので、いよいよ自分の脳裏にあるつげ作品が思い出されてくる。
石に蹴躓いたら「無能の人」を思い、干支のことを思っては自堕落な気持ちになり、不意に温泉に行きたくなったり・・・

とうとうついてしまった。
最初に見たのは赤瀬川原平の「大日本零円札」だった。
多くの人がこの一件について書いているのを読んだが、実物を見るのは初めてだった。
非常に興味深く眺めた。

続いて赤瀬川による同時代の人々の似顔絵マンガの曼陀羅図のようなものを見た。
人物map。いかにもな発言とよく似た似顔絵。
これを見るのにかなり時間がかかった。
非常にウケた。
ついつい笑ってしまうと、そのリアルタイムな時代に既に活躍していたお客さんが、こちらを珍しそうに見ていた。

中西夏之の卵形オブジェがあった。
これは嵐山光三郎の著書で知ったものだった。
実物を見るのは二度目。
わたしもこうしたオブジェは好き。

高松次郎の作品も現れ、目の錯覚を利用した作品を見たりするうちに、国立国際美術館にいるような心持ちになってきた。
石子が評価したものが国際美術館に収蔵されている、ということを改めて考える。

やがて暗い一室に入ると、そこにつげ義春「ねじ式」の原画が並んでいた。
わたしは小学五年生の時、叔父の持つ「ねじ式」を初めて読んだ。叔父は昭和40年代に大学生だった。
この展覧会を見るべきなのはわたしではなく叔父だったかもしれない。

原画は単行本のそれと差異は少なかった。
ナマナマしい実感がある。
そうか、という納得もある。
しかしそれでもやはりこの作品は「解読不能」なのに違いない。
わたしは子供の頃初めて読んだとき、なぜ「医者はどこですか」と言うて焦ってたくせに女医さんとあんなことをするのか、目的が違っているではないかと思った。
そのときの「?」は何度か再読した後でも記憶として残っている。

それを見終えて次の室へ向かうと、同時代の他の作家のマンガが吊られていたり置かれていたりした。
池上遼一の作品集を少しばかり読む。
やっぱり近年の作品群の方が好きだと思った。
他にもちらちらと見たが、逃げ出したくなるものが多かった。
わたしは昭和40年代初頭の劇画が非常に苦手なのだった。

最後のキッチュコーナーは撮影可能だった。
旅行みやげのペナント、食べ物屋のサンプル、招き猫などがある。
キッチュと言えばキッチュだが、妙に明るくて楽しい気分になった。
この展覧会を見ていて、最後にそういう気持ちになると言うのは、どういうことだろう。
たぶん、あの時代に活きていた人々からすれば、「わかってないなぁ」になるかもしれない。

石子の感性を追体験することもありうるだろうかと思いながら見て回ったが、結局よくわからないまま終わってしまった。
やっぱり苦手なものは苦手なままだった。


三鷹まで戻ったとき、思いついて叔父にメールした。
「府中で「ねじ式」原画見た。すごかった」
しばらくして返信が来た。
「武蔵小金井で××なう メメではなく、伏せ字」
大阪で隣同士ですむ二人がこんなところにいる。
笑いそうになった。叔父は黙って笑っているだろう。

××の後に叔父が府中へ行ったかどうかは知らない。
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