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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

フェアリー・テイル 妖精たちの物語

三鷹市美術ギャラリーが妖精の国に変わっていた。
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妖精美術館、うつのみや妖精ミュージアムなどから来た妖精絵が一堂に会していて、彼らの残した不思議な鱗粉が、そこかしこに漂っていた。
フェアリー・テイル 妖精たちの物語展。
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妖精学と分類される学問がある。
その第一人者は井村君江さんである。
高校の頃、ケルトファンタジーに、のめりこんだ。
そこから井村さんの著作を知り、読みふけった。
彼女が著書の中で紹介してくれた言葉を覚え、妖精学の基礎を学び、やがてヴィクトリア朝の妖精を描いた作品群に出会うようになった。
こちらの気持ちが妖精に向っていると、不思議に縁がつながり始め、多くの作品を見ることができた。
やがて、少しばかり地上の風に吹かれ始めると、わたしのそばから妖精たちの姿が消えた。

間を置いて今、三鷹で久しぶりに妖精たちに会うことができた。
井村さんの旧蔵されていた作品群が、宇都宮や福島で常設展示されていて、それが今回三鷹に集まったのだ。
わたしはかつての気持ちを思い出しながら、妖精たちの世界へ入っていった。

マリア・スピルスベリ ユリの花のゆりかご  チラシを飾るこの絵は以前から好きな一枚。それを見ただけでも嬉しくなる。やや堅そうな葉の生い茂る中に、白ユリが咲き、開いたその一つが幼い妖精の寝床になっている。とても愛らしい。

アメリア・ジェイン・マレー 蜜蜂の上に立ち羽を持つ妖精  絵の周囲をエンボス加工している。それだけでも嬉しくなる。絵だけでなく、それを装う周囲もまた、とても大切。

アメリア・ジェイン・マレー 蜜蜂とトンボの上に乗って空を飛ぶ妖精  二人の妖精がそれぞれミツバチとトンボに乗っている。楽しい空のドライブ。もし虫の背から落ちても大丈夫。彼女たちの背にも薄い薄い羽根がある。どこかでこんな取り合わせの虫たちを見れば、今度からはその背をそっと片目で見てみたい。もしかすると妖精を見ることができるかもしれないから。
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ウィリアム・ベル・スコット テンペスト  彼はロセッティの友人だそう。ラファエル前派の人々と、妖精画を描く人々との垣根は低い。

ジョゼフ・ノエル・ペイトン パックは活躍し、ボトムは眠る  こちらはミレイの友人。力強い筆致の絵。妖精たちが彼の眠りを確かめながら、周囲で動く。

近鉄奈良店でみた「シェイクスピアの物語を描く」展で出会った作品が現れ始める。

ジョン・シモンズ パックや妖精たちに囲まれたハーミア  ハーミア自身の美貌も魅力的だけど、周囲の妖精たちの放つ光が本当に綺麗。
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ジョン・シモンズ 憩うティターニア こちらもそう。シェイクスピアの描いた妖精たちが、ヴィクトリアン・ドリームの中ではっきりと姿を顕してゆく。それにしても不思議な色合いを見せている。1872年の絵とは思えない。色だけ見ていればmacから生まれたように思えてしまう。

リチャード・ドイルとチャールズ・ドイルはコナン・ドイルの伯父と父。兄弟はそれぞれ幻想的で愛らしい絵を多く残している。

リチャード・ドイル 妖精の木  古い木の根元を中心にして妖精たちがわらわらあふれている。それをのぞく幼い女の子と男の子と。大きくなる前に見てしまったこの情景から、彼らは逃れることになるのだろうか。

チャールズ・ドイル 五尋の海  「テンペスト」から。ふと「海の上のピアニスト」を思い出した。映画のほうではなく、戯曲のほうを。あれはきっとこんな情景だったはず。

シシリー・ブリジット・マーティン 野の中の妖精  白いマーガレットらし花々が咲く野に百年前のコーラ瓶が落ちている。それをにらむ赤ん坊の妖精。コーラ瓶との取り合わせのほうにびっくりする。

ウォーウィック・ゴーブル 狐の姫、玉藻前  金毛九尾の狐・玉藻前をイギリス人が描くとこうなる。けれどとても綺麗。玉藻前の魂が浄化されたことを感じる絵。

ジョン・バイアム・リストン・ショー ケルピーとハイランダー  作者の名前の長さが妖精たちの呪文のよう。妖精たちは自分の実名を人に知られてはならない。人もまた本当の名前を他者に知られてはならない時代があった。これはケルピーが高地に住まう男を誘惑しようとする図。

ロバート・アニング・ベル 花の中で踊る精霊とキノコの腰掛で葦笛を吹く牧神  繊細な筆致で描かれた妖精たち。この絵にも久しぶりに会えて嬉しい。
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オナー・シャーロット・アップルトン 「わたしは泣いている可愛い女の子を見た」と月が言った。  アンデルセン「絵のない絵本」から。

オナー・シャーロット・アップルトン だけどケイは動きませんでした。  こちらもアンデルセン「雪の女王」から。わたしはアンデルセンの長編童話のうち「雪の女王」がとても好きで、不意に「雪の女王」のことを思い続けているときがある。わたしの持つ本は幾種かあり、男の子の名前は「ケイ」ではなく「カイ」なのだけれど。そしてうつろな眼をした男の子の背後に走り寄る少女ゲルダの姿がある。彼女は全てを捨ててこの少年を捜し求めてきたのだった。

エリザベス・ベッシー・ファイフ 妖精の輪  森の中で見つけても決してその中に入り込んではいけない・・・

絵だけでなく、やきものもある。ウェッジウッドのラスター彩。綺麗な煌き、不思議な耀きを見せるやきものたち。そこにもフェアリーが息づいている。

挿絵本があった。タブローとは又別の魅力がそこにある。
ジェイムス・バリーの生み出したピーター・パンとウェンディの物語は多くの人が絵にし、動画にし、ミュージカルにした。
ここにもドイル、ラッカムのほかに多くの画家が絵をつけている。

ラッカムの「ケンジントン公園のピーター・パン」は学校の図書館にあった。
ピーター・パンが誰なのかを知らず、知りたいと思ったときそばにあったのが、この本だった。ここでのピーターは幼児として描かれている。

そしてシェイクスピア「夏の夜の夢」もまた多くの画家がその魅力を表現しようとする。
ラッカムの1908年と1939年の二冊。どちらもとても魅力的。

アーサー・ラッカムと並んで深くわたしを魅了する画家がいる。
エドマンド・デュラックである。
どれを眺めてもときめきがとまらない。

ドイル「妖精の国で」にはこんなに素敵な挿絵がある。
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眺めて歩くと辻がある。その辻ごとに戸田和子という人形作家の生んだ妖精人形が佇む。
眼を合わせてはいけない。眼を合わせればどこかへ連れてゆかれてしまう。
もう「取替えっ子」になるにはわたしは大きすぎるけれど。

‘98年の夏、神戸の大丸で「妖精の世界」展を見た。
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今回の展示の多くをそこで見ていた。
だから本当に嬉しい再会だった。
一方、そのとき岩切映樹子という人の妖精人形を知った。
あれからその人の人形を見ていない。
今、そのことを思いながらこの空間に佇んでいる。

最後に「コティングリー妖精事件」の写真が五枚あった。
原版だと言う。そのカメラまである。
妖精を写した写真として物議をかもしたもの。一応の解決は見たものの実際のところはわからない事件。
ここに彼らの姿が捉えられているのかどうかは、わたしにはわからない。
ただこの写真はヴィクトリア朝の愛らしい少女を写したものとしても、とても愛おしい。

図録もとても素敵だった。
井村君江さんの言葉が載っている。
それを読んでいると、井村さんが愛した作品が<彼女の手の中>囲いの中から外へ出たのは、多くの人々にも同じように「妖精を愛して欲しい」からだと感じた。
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三鷹では2/19まで。その後は元の福島と宇都宮へ妖精たちは帰ってしまう。
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コメント
No title
うーむ、やっぱり遊行同志と呼びたいですなあ。

妖精、日本の神さまも一部は妖精みたいなもんだし。
好きな世界です。でもって、ワタシも今はかなり
離れてしまいました。
こんな風に再会できたら楽しかっただろうと垂涎です。
2012/01/30(月) 06:34 | URL | OZ #-[ 編集]
ココロは一つ
☆OZさん こんにちは

> うーむ、やっぱり遊行同志と呼びたいですなあ。

そうでしょーとも!しかも少し距離を置いてたのが、こうして再会するとやっぱりときめいてしまうわけだし。
わたしはあしべゆうほ「クリスタルドラゴン」からファンタジーに奔ったのですよ。
そこから何故かアイスランド・サガにいったという・・・
2012/01/30(月) 12:45 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
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