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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ミラノ展

天王寺にミラノ展を見に行く。

割と早く着いたのに、会場はもう満員だ。
何年前か私もミラノに行き、ドゥオーモの壮大さ・ヴィットリオ・エマヌエーレ二世通りの煌びやかさなどが、まだ記憶の宮殿として脳裏に生きている。

ルキノ・ヴィスコンティが子供の頃から好きだった。彼の映像作品だけでなく、風貌や人生などが。彼がイタリア有数の大貴族の家柄出身だと言うことは、知っていた。伝記や研究本などでおなじみである。
その、ご先祖の残したものがここにはあった。
大貴族が芸術家を庇護して、作品を生み出させる。作品は確かにその作家の、あるいは職人の手から生み出されるが、それはパトロンの存在がなければ成し遂げられないものでもある。

13世紀のミラノはヴィスコンティ家が、14世紀のフィレンツェはメディチ家が、15世紀のローマはボルジア家が、それぞれ文化を花開かせたのだ。

出品作品のどれこれがよい、というよりも全体として面白い環境だと見て回った。
三月に京都でフィレンツェ展を見たが、それと同様心地よいものを感じた。彫刻と絵画と。
おやおやと思ったのが15世紀の版画バッカスの戯画だが、美少年を腰に降ろして抱いているのがあった。こういうのもなかなか楽しい。
肖像画も見るべきものがあるし、『奇想画』(カプリチョとかいうらしい)もいくつか出ている。例の果物ばかりで人の姿を構成した絵もある。作者の名前より、『こういう絵だ』と説明したほうが皆、よくわかるのが、面白いところだ。廃景とでもいうのか、遺跡と現代とを描くのもそれらしいが、動きのない異時同時図なので、一見したところはそれが『奇想画』かどうかは、わからない。

時代が下がると、セガンティーニが現れる。
その友人で気の毒な画家の絵もよかったが、確かに画商がそれにセガンティーニのサインを入れてしまう気持ちがわかる感じもある。(これだけは見ないとわからない)
当のセガンティーニは『ギャロップする馬』の絵を描いているが、疾駆する馬の上半身に勢いがあり、かっこいい。

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