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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

ユベール・ロベール 時間の庭 /  ピラネージ「牢獄」

西洋美術館で「ユベール・ロベール 時間の庭」展を見た。
優美なタイトルである。
時間の庭。武満徹の随筆に「時の園丁」というものがあった。連載当時その「時の園丁」たる武満の言葉に溺れ続けていた。
このタイトルには心誘われる何かがある。
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18世紀のフランスの画家だということも「廃墟の画家」として名高いことも、今回初めて知った。
生きた時代はちょうどフランス革命の最中である。
国王の庭園デザイナーとして多くの庭園を拵えた、と聞いて記憶の片隅にこの名を探す。
みつかりそうでみつからないもどかしさすらも、何か愉しい。
ロベールの作庭は、その当時の庭園に古代風建築物や彫刻、そして人工の滝、洞窟を配したものがメインだったようで、ロココ時代の美の基準の一つになったろうと思われる。
今回の展示は世界有数のロベール・コレクションを蔵するヴァランス美術館のサンギーヌ(赤チョーク)素描と油彩画などを中心にしたものだという。
無論借りてきたものばかりでなく、この西洋美術館の同時代の画家たちの作品も展覧会に花を添えている。

1.イタリアと画家たち
当時イタリアへのグラン・ツールが流行していた。
名家の子息たちが長い留学を含むイタリア滞在をすることで、教養を身につけていたのである。
彼も自分の父が仕える侯爵家の若様の随行として、11年をローマで過ごした。

クロード・ロランのエッチングが6枚とサルヴァトール・ローザの作品があった。
その同時代のほかの画家の作品も共に眺めることで、時代の雰囲気が伝わってくる。
その時代の技法で描かれた空想的な風景画は、後世のわたしたちにある種の錯覚を起こさせる。
あり得ない風景を実写に基づくものだと思ってしまうのだ。
そういうことを踏まえて眺めると、後のロベールの作庭法がリアルに腑に落ちてくる。

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夥しいカプリッチョは全て綺麗な絵だった。
しかしロベールに関して言えば、彩色した完成品よりも、サンギーヌの素描の方が魅力が深い。
色を塗りこめることで時がとまったような感覚がある。
しかしサンギーヌにはいきいきした時間がある。
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2.古代ローマと教皇たちのローマ
カンピドリーオ広場やサン・ピエトロ大聖堂で描いたという絵もどこか不思議な風景だった。
自分が実際に見た風景と違うのは当然にしても、なまじ「似ている」だけに、奇妙な違和感が生まれ、それが面白い。
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カピトリーノ美術館の古代遺物、ファラオ、ギリシャ風キス、アテナ、ヘルメス像・・・・・
眺めることが楽しい。

3.モティーフを求めて
フラゴナールの絵があった。和やかな官能性を感じる。
そしてここでは庭園の美を多く見た。
そのサンギーヌで描かれた庭園や像を見ていると、安彦良和さんの絵を思い出す。
安彦さんの確かなデッサンの力と絵の魅力がそこにあふれているようだった。

ファルネーゼ宮の螺旋階段を描いた空間が非常に良かった。

4.フランスの情景
フランス帰国。貴族社会での活躍。ジョフラン夫人、ラ・ロシュフーコー公爵といった人物との関係が作品から伺えるが、それらを見るだけで歴史を想う。
革命前の貴族社会の優雅な日々。
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見て歩くと多少の退屈がある。その退屈さこそが貴族社会の本質かもしれない、と思いながら。

5.奇想の風景
「廃墟のロベール」の本領発揮。崩れかけた建物のある空間に、元気の良い庶民がいる。
洗濯をしたり釣りをしたりいろいろと動く。
彼らと建物との間に違和感はなく、絵は破綻しない。

スフィンクス橋の眺め そこにも洗濯場があり鍋で煮炊きをしたり。

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これはロシアのパーヴェル一世と愛人のフォードヴナがパリでこの絵の本作を買ったそうだ。こちらは1782年の習作らしい。
本作はエルミタージュにあるのだろうか、それとも失われてしまったのだろうか。
女帝エカテリーナは芸術に愛情を注ぐ君主だった。フランスの思想家ルソーとも交友がある「啓蒙君主」だったが、フランス革命は最後まで認めなかった。
同時代とそれ以前の作品を集めたが、そうしたところにも彼女の思想がのぞくような気がする。

6.庭園からアルカディアへ
イギリス式庭園という新しいムーブメントが来た。
しかし庭園作家としてのロベールはそこでも才能を発揮する。
人から批判を受けても、その作品が完成すると、誰もが納得したそうだ。
人工庭園の秩序、ということを考える。
この言葉は磯田光一の著書のタイトルだが、人工庭園への愛着を展示作品の端々に感じることから、改めてその言葉をかみしめている。

ロベールは「国王の庭園デザイナー」という称号を得たが、革命の余波で投獄されてしまう。
尤も獄中ではお皿に絵付けしてそれを販売して糊口をしのいでいたそうだから、これこそ「芸は身を助く」なのだった。二枚ばかり展示されているのを見て、ため息をついた。

最後に「ヴェルサイユのアポロンの水浴の木立」を見る。
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人工の洞窟(グロッタ)の中に配されたギリシャ神話の神々像、まるで舞台芸術のように見える。
現実にそれを拵え、さらにそれを絵画化する。
2Dも3Dも本人の手によって生まれたのだ。

二百年以上前の「時間の庭」を大いに楽しませてもらった。


地下で「時間の庭」を見た後、地上階へあがり、以前からの愛すべきイコンやルネサンス以前の作品を眺めて歩くうちに、新収蔵の絵画に気づいた。
ヴィンツェンツォ・カテーナ「聖母子と幼い洗礼者聖ヨハネ」である。
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16世紀前半のヴェネツィア派だと説明があり、年末くらいから出ているらしい。
緋色のカーテン、聖母の青い衣、斜め一直線の聖母・イエス・ヨハネの顔の位置関係、背後のどこかシュールにも見える広場のある空間などが、心に残った。
かつてはこうした古画に関心が向かなかったが、近年はその古雅さに目を惹かれるようになった。

リュートの音色を心に流しながら更に歩く。明るい心持である。
だが、それはすぐに消える。
角を曲がると、暗い空間が見える。
版画室である。
そこでピラネージの「牢獄」が第一版・第二版ともども静かに展示されていた。
明るい気持ちを棄てて、牢獄の奥へと向うことにした。
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銅版画家ピラネージは「建築家ピラネージ」とサインしたらしいが、その建造物は専ら紙上で生まれ続けていた。
概して第一版より第二版の「牢獄」の方が酷く心に爪を立ててくる。
巨大な牢獄の内部は、いつかどこかで見ているようにも思う。
それはピラネージのこの作品を母にした、遠い子孫の絵だと思う。
インダストリアの地下、ゴッサム・シティ、メトロポリスの地下、「さまよえる人々」のロッテルダムの矯正院、ブレード・ランナーの都市、細見美術館のパティオ・・・
この小暗い空間でわたしは「牢獄」と対峙しながら、さまざまな空間を思い起こしている。

基本はローマ建築だということだが、そこにゴシックの要素も加わり、更に巨大な車輪や大仰な鉄鎖、牢獄空間そのものを支える柱、アーチ橋、無限に続く階段などが見える。
拷問具や苦しむ人間を見るよりも、この空間そのものにわたしは反応する。
大量の湿気と蒸気に苦しむような感覚がある。
絵にはそうしたものは描かれていないが、わたしはそこに肺をわるくさせる空気を感じる。
背筋がざわめいてくる。囚われたくはないのに、そこへ入り込んでみたいと思う。
そしてそこで自由を求めて、脱獄の夢を見るのだ。

ロマン主義の作家たちはこの連作の銅版画を見て大いに刺激されたというが、どんな物語がそこから生まれたのかは知らない。
ただ、わたしはこの牢獄を見て西洋と東洋の埋めることの出来ない差異というものを考えた。

一点一点丁寧に眺めながら、深い興奮を隠すことが出来なくなっていた。
解説を読むのが不意にわずらわしくなる。自分の妄想を第一にしたい。
わたしはここに書けない妄想に耽りながら、時間をかけて「牢獄」を歩き続けた。

とうとうわたしが「牢獄」を放逐される時間が来てしまった。
ピラネージの連作が終わったのである。
釈放される喜びよりも、この小暗い空間の在る「牢獄」に囚われていたい欲望が強かったが、わたしは光のある道へ出て行った。

ユベール・ロベール「時間の庭」もピラネージ「牢獄」もどちらも5/20まで。
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