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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「伝道院」と伊東忠太

東京のギャラリーa4と大阪の「くらしの今昔館」とで『「伝道院」と伊東忠太 蘇った西本願寺』展が開催される。
わたしは一足先にギャラリーa4で見てきた。
愛する忠太の作品のうち、伝道院は特に特に愛しい建物なのだった。
zen323.jpg

現在伝道院は長い長い修復が終わり、一般公開されていた。
「ご縁まちフェスタ」の中核施設として、1/16まで中で映像が流れたりしていた。
わたしが行ったときもたいへん綺麗に整備されてて、心底ほっとした。
やっぱり忠太の建物は活きていてほしい。
市田ひろみさんがナビゲーターとして、このイベントのチラシに現れている。
zen322.jpg
今はまだ一般公開されているのかどうか、ちょっとわからない。

東京のギャラリーA4ではその修復の模様のパネル展示や、模型、映像などで伝道院の魅力を伝えようとしていた。
かなり大きなパネル展示があり、伝道院のサラセン式のドームがドーーンッと来るような迫力がある。
模型も精妙。可愛くて可愛くて撫でてやりたくなる。
忠太の拵える建物は概して「可愛い」ものが多いので(主観の相違があるかもしれないが)、わたしは喜んでチュータチュータ♪とはしゃいでしまう。

しかし本当に修復期間は長かった・・・・・
わたしが最初に伝道院に入ったのは'98年3/11だったから、もう14年前になる。
まだ「浄土真宗教学研究所」の看板が掛けられていた。
'02年4/10ではドームなどはクリスト夫妻状態(要は梱包状態)。
あのドームも周囲の愛らしい怪獣たちもみんな十年ばかりここから消えていたのだ。
昨秋の伝道院訪問についての記事はこちら
昔の写真と共に並べている。
zen326.jpg
忠太の伝道院の愛らしさについてはこれまでしばしばここに書いてるので、一旦措いて、次は築地の本願寺へ行く。伝道院の展示の奥に築地本願寺♪

本願寺の細部の装飾が延々画面に流れている。
非常に嬉しい。
まだ20歳の頃から忠太にのめり始めたのだが、そのきっかけはこの築地本願寺だった。
蜷川幸雄が演出したその当時の「オイディプス」はこの本願寺を借景にしていた。
芝居よりもその背後の本願寺の建物に驚き、わたしは実物を見たくて仕方なくなった。
だがまだ学生だったので、おいそれと築地へ行くわけには行かなかった。
やがて社会人になり、初めて単独で東京へ行った日、わたしは一番に築地の本願寺へ向かった。
異常なときめきが湧き立ち、わたしは長い時間をかけて眺めたが、中へ入る勇気がなかった。
基本的に関西の寺社ならともかく、関東の宗教施設に入り込む根性は、今もない。
一体何をしているのだろう。

その後何度か訪ねたが、行く度に必ず法事が行われていたので、中へは入らなかった。
やがて十年前の正月、わたしの愛する歌舞伎役者・澤村宗十郎が亡くなり、彼の葬儀が本願寺で営まれたのだが、その前日から都内にいたのに、その当日も銀座にいたのに、ついに見送ることが出来なかった。
それがいまだに忸怩たる思いをわたしに抱かせている。
罪を犯してしまったような感覚があるのだ。
そのためにわたしは今も築地の本願寺へは入れないでいる。

この先も中へ入ることは出来ないかもしれない。
そんな気持ちがあるので、こうして映像や写真集を見ることには熱が入る。

忠太には本人の言うところの「ばけもの趣味」がある。
それが伝道院のぐるりを囲む霊獣になったり、大倉集古館の階段手すりを守る、頭の丸い獅子たちになったりする。
それについても多少の展示があり、嬉しい。
以前ワタリウムではその辺りを大々的に展示していたことを思い出す。
あれも楽しい展覧会だった。

ところで忠太には二人の大いなる同志がいた。
築地本願寺の施工を依頼した大谷光瑞と大倉喜八郎である。
大アジア思想を共有することで、忠太の仕事はいよいよ巨大化したと思う。
ここにもパネル展示されている「祇園閣」は大倉の依頼によるものだし、失われてしまったが、六甲の「二楽荘」は光瑞の別荘だった。
(尤も二楽荘は忠太が実際に設計したのではなく、相談役として関わったと言う説がある)

祇園閣は以前に見学したが、これは長~~い鉾が頭頂に立ち、その上に大倉喜八郎の雅号「鶴彦」に因んだ鶴が羽ばたいている。
(以下はわたしの撮った昔の写真ばかりである)

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その内部の天井にはアジア的な姿を見せる十二支がめぐらされ、照明すらも怪獣が明球を抱え込むと言う面白さを見せている。
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内部には敦煌寞高窟の壁画を模写したものが後年になって他者の手で加えられているが、それがちっともおかしくないのだ。後世のファンから忠太への捧げものに見える。
zen328.jpg 妙な十二支の動物たち。
狛犬。zen327.jpg
・・・やっぱり「伊東忠太 動物園」なのだった。


二楽荘については芦屋市立美術博物館が二度に亙って素晴らしい展覧会を開催しており、大いに楽しませてもらった。
(図録は現在販売を終えているが、ライブラリーに保存されており、一読の価値がある)
当時販売されていた絵葉書も見たが、本当にある種の粋を極めていた。

忠太の三年に亙る大ツアーの地図も展示されていた。
わかってはいたが、こうして地図に示されると、忠太の気宇壮大さがよく伝わってくる。

展示は他に東京都慰霊堂、兼松講堂、可睡斎護国塔などの写真がパネル展示されていた。

かつて輝いていた阪急梅田のモザイクをここに挙げる。
zen324.jpg

A4では4/26まで。平日のみ。
その後は大阪に6月に来る。
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コメント
No title
伝道院、同じ市内に居ながら存在を知ったのはつい最近..ものを知らなすぎます、私..

探検隊をだしたり、保険会社まで擁してた西本願寺の過日の大きさは驚くばかりですが、
かの門主のおかげで教団の財政は火の車になったと、知り合いのお坊さんは言ってました。
築地本願寺のお堂ももぶっ飛んでますよね(笑)

かような大ディレッタントが、そろそろまた出て来てもらわないといけませんねえ。
2012/03/31(土) 10:54 | URL | とんぼ #-[ 編集]
☆とんぼさん こんにちは

> かような大ディレッタントが、そろそろまた出て来てもらわないといけませんねえ。

まぁもぉこの日本では不可能でしょうね。そこまで大仰な趣味を持てないわけですしね。
(ティッシュ王子なんかは別物です、あれはただのギャンブル中毒)

忠太にしろ光瑞にしろ大倉にしろ、その時代背景があったればこそだと思いますが、やっぱりいつ見ても伝道院も築地本願寺も素敵です。
2012/04/02(月) 09:09 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
No title
日本の戦後民法が、個人の大金持ちを許さない仕組みですからね。
私には旧共産圏の法律か?というような感じがします。
その上、廃止になるまでの長者番付やフォーブスが伝えるアジアの富豪に並ぶ
「日本人」の名前は、どうみてもわれわれの社会から収奪するのみで、
伝統や文化を憎悪しそうなヨゴレの面々ばかりですもんね。
没落したとはいえ、旧大名華族や地方の名家がいまだに独自の育英事業や社会事業を
続けているのを目にすると、感慨ひとしおです。
昨年の大地震と大津波は最悪の政権のもとで迎え、平成の後藤新平の出現も望むべきもありませんでした。

しかし、出よ大ディレッタント!(^ ^;
2012/04/02(月) 21:23 | URL | とんぼ #uaIRrcRw[ 編集]
☆とんぼさん こんにちは
ちょっとここの記事から趣旨が外れすぎているので
わたしにはご返答いたしかねます。
2012/04/03(火) 08:59 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
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