FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「幻のモダニスト 写真家堀野正雄の世界」と「フェリーチェ・ベアトの東洋」

東京都写真美術館で二つの優れた展覧会を見た。
「幻のモダニスト 写真家堀野正雄の世界」と「フェリーチェ・ベアトの東洋」である。
どちらも非常に魅力的な情景を捉えていた。
zen345.jpg

堀野は1907~1998まで生存した写真家だが、実際の作品をきちんと見たことがないように思う。見たとしても堀野のシャシンだと認識していない、と言うべきかも知れない。
「新興写真の旗手として、日本の近代写真の成立と展開を語る上で欠かすことの出来ない写真家として名前は知られていますが、その実際の活動の軌跡と評価、位置づけはこれまで不十分なものでした。」
チラシやサイトの紹介文にはこうした文があった。
なるほどと思いながら、作品を眺める。
展示されているものは1920~’30年代の作品である。
わたしが最も惹かれる時代の風景と状況が、そこに開かれていた。

1925年の築地小劇場あたりの舞台写真がある。
ゴーリキー「夜の宿」である。それを思うとやはり築地小劇場の作品のようにも思う。
他にイェーツの仮面劇「砂時計」がある。
イェーツといえば「鷹の井戸」を思う。同時代の舞踏家・伊藤道郎の「鷹」を想う。
イェーツは仮面劇が好きなのか、とこの写真を見ながら歩くと、次に「牧場の花嫁」の1シーンが出た。
長身の男の長いコートの中に、小さい女が囲い込まれるように入っている。寄り添いながら二人は牧場を行く。なにかしら不思議な光景に見えた。
舞台写真なのだろうが、舞台の枠を通り越して、別な空間を歩むように見える写真だった。

伏見直江がいた。
猫のヒゲを書いた顔で笑っている。
わたしはびっくりしてしまった。
わたしの知る伏見直江と言う女優は、常に時代劇の女だったのだ。
歌舞伎で言う「悪婆」、幕末の退廃的な中での姐御、蓮っ葉な女、そんな役柄のものをスチール写真で多く見ていた。
とてもカッコイイ女だと見ていたが、ここではメーテルリンクの「青い鳥」の猫チロを演じているのだ。エリマキトカゲのような襟をつけ、帽子をかぶって。
これを見ただけでも、この展覧会に来た甲斐があったように思った。

続いて夏川静江の「ヴェニスの商人」のジェシカがいた。後世の真知子巻きのようなストールのまき方に、大きな数珠のようなネックレスをしている。綺麗だった。

他にも「赤んぼ少女」タマミのようなヘアスタイルのモガな女優の写真もあり、'20年代最先端を堀野が捉えていたことが伝わってくる。

クロチルド・サカロフ夫人と言うヒトのダンス姿の写真があった。モダンダンスである。
一瞬のポーズを捉えている。こちらもとてもかっこいい。
新作舞踊写真はどれもが皆、胸を衝くようないいポーズのものを捉えていた。

崔承喜の舞台写真があった。1931年。彼女の足跡を追う金梅子のドキュメント映画を見ている。サイ・ショウキ(チェ・スンヒ)はその時代の大人気ダンサーだった。鏑木清方も綺麗な舞台姿を描いている。
わたしも20年くらい前から彼女のポートレートなどを集めるようになっている。
この写真もひどく美しかった。彼女は「菩薩」などを踊るのが巧かったという。
やがて彼女は北へ渡り、消息はついに途絶えたままである。
zen346-1.jpg

第一部がこうしたポートレートだったのに対し、第二部と第三部はルポルタージュの側面を持つ、実験写真の作品が集められていた。
第二部で集められたさまざまな作品は、そこでは独立した位置を有しているが、第三部ではそれらはグラフモンタージュとして世に出ている。

「大東京の性格」としてさまざまな写真が集まっていた。
いずれも非常に面白い角度からの撮影である。
船の甲板を真上から捉える・橋脚を俯瞰する・船の鉄板のボルトを延々と写す。
さらにうらぶれた町を、うねるような階段を、ポジとネガで表した鉄板をそこに並べる。

それら断片は雑誌「犯罪科学」誌に連載される。
毎号の筆者は変わってゆくが、写真は全て堀野のものだった。
「隅田川アルバム」は村山知義の作品でもあった。
千住から月島の風景、「塵芥」という字のタイポグラフィ、「川は都会に流れ込むと同時に、その塵芥を押し付けられる」というコピーが入る。
めまぐるしいルポ、「動くことのない動画」を見ているような面白さがあった。

「一億層白痴化」の名言を生んだ大宅壮一の号もある。浅草・金龍館のレビューに出演する女たち、布人形の押絵、たばこを吸う女、玉の井の「ぬけられます」看板(ますは□に/を入れたもの)そうした写真が集められていた。
さらには「スポーツにもヒエラルキー」という言葉が綴られている。

北川冬彦のときは「シナリオ」と称している。武田麟太郎の構成のときもあった。
いずれも1930年代の裏暗さがよく捉えられていた。

第四部ではさまざまな著名人のポートレートと当時の風俗、日常風景が集められていた。
元気そうな「託児所の子どもたち」、外人たちの優雅な「中禅寺湖のヨットレース」、電話をする松方幸次郎、写生する横山大観、風呂屋の脱衣場で三助のような様子で微笑む長谷川伸、1932年のメーデーの様子などなど。
戦火の靴音が聞こえるような「女学生のガスマスク行進」もあったが、これはむしろ報道写真の部類だった。
zen347-1.jpg

第五部には当時のモガたちが捉えられている。
戦争が始まる前はまだ、女たちも進化し続けていたのだった。
zen346.jpg
水着の女、映画会社の事務員、ドレスの女、毛皮の女、振袖の女・・・
zen347.jpg

「船旅の女」などはその十年以前の有島武郎の小説「或る女」を思い起こさせた。
そしてその女は後姿を見せているが、もし振り向けば、「上海リル」と呼ばれる女になるのかもしれない、と妄想が湧いてきた。

第六部を見る前にその中身を映像で見るコーナーがあった。
朝鮮アルバム。
実物を見ると、これはもぉあかん、という感じがちらっとした。
みんなにこやかな朝鮮の人々である。日本の支配下にある朝鮮の人々の「にこにこ写真」である。妓生の学校を写したものもある。
zen347-2.jpg

ほかに白系ロシア人の村、北京の女たち、モンゴルの若妻の写真などがあった。
モンゴルの風俗は面白いが、他はどうも国策と言うものがちらつきすぎて、色々考えさせられてしまった。
やはり面白いのは第五部までだった。

5/6まで。

続いてフェリーチェ・ベアトの東洋を見る。
この展覧会は外国からの巡回なので、解説が全て面白い日本語になっていた。
いかにも翻訳もの、な日本語で綴られているのも面白い。学芸員さんの解説が始まっていたので、ちらちら聞きながら歩いた。
zen343.jpg

ベアトは長く日本に住んで多くの写真を残した。
彼のキャリアはクリミア戦争からだった。つまりリアルタイムに撮影できない時代からの、出発である。
ベアトはそれではどうしたか。終了直後の現地の様子を捉えることにしたのだった。
だからここにあるインドのセポイの乱を写したものは、悲惨だった。
建造物の美貌にときめく一方、その地に落ちているものを見ると言葉が止まる。
白骨である。殆どオブジェにしか見えないが、ヒトの体の中にあるはずの、白骨。
zen344.jpg

初期作品として「ゲッセマネの園」が現れた。実在していたことを知らなかったので、びっくりした。ちゃんとオリーブの木がある。なんだか感動した。
こういうことを知らないまま来ているから、目が開かれるのか。

全体として、インドの建物を写した作品群が非常によかった。
よいのはやはり装飾の美麗さなのだが、時間の経過により失われてしまった風景、それを思いながら見てしまうので、一層よく思えるのかもしれない。
zen348-1.jpg

「大理石の宮殿」写真を見て神坂智子「天竺夜話」を想い、「ムリッツアルの街路」を見てシンガポールのインド人街を思い出した。
インドは私には決して行くことの出来ない地。
そのことを思いながら、再び眺める。

1860年代の中国写真を見る。
北京や広東の風景写真がある。わたしはその数十年後の、小川一眞と伊東忠太による北京の写真のほうが好ましい。
そして朝鮮の写真は状況を思うと、気の毒さが先に立ってしまう。

日本の風景写真は、やはり外国人が見たNIPPONである。それをつくづく感じる。
比較文化論。さまざまな職業のものを写すところにそうした意図が見える。
面白いのは川崎大師の鐘楼だった。柱飾りの象がトリケラトプスにも見えるのだった。
パノラマ写真もあり、目が両横に大きく見開かされる。
zen348.jpg

ビルマの建物もひどくいいものがある。他に働く象さんも見れて嬉しい。
しかしやっぱり欧米人の眼で見たアジアなのだと実感する。

面白い作品が多いのだが、やはりわたしは堀野の作品のほうがよかった。
こちらも5/6まで。
関連記事
スポンサーサイト
コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア