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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「カワイイ」が集まっていた弥生美術館

弥生美術館の春期展示は「KAWAII」ものであふれていた。
とにかく可愛い、カワイイ、かわいい。
日本語の「カワイイ」は今や世界語になり、その意味をきちんと理解されているが、しかし「可愛い」の意味も微妙な変遷を経ていることを、今回の展示で教わった。
その証左として各世代の「カワイイ」アンケートが挙げられている。
詳しくは弥生で見てもらえればよいが、微妙な違いというのが非常に興味深かった。
わたしの同世代の人のアンケートに面白い一文があった。
「カワイイよりキレイでいたい」というような意味のことが書かれている。
ああ、わかる。わたしは他者(=モノも含めての)には「カワイイ」を求めるし、可愛いものも好きだが、自分に対しては「綺麗」でありたいと思っている。
そして綺麗なモノがやはり大好きだ。
世代間の意識の違い、それは埋められないものだが、しかし同時に「可愛いものは可愛い」と認識しているのは、確かだった。

近代日本の「カワイイ」の直接の先祖は、やはり松本かつじの「くるくるクルミちゃん」に始まるだろう。
かつじの叙情画は明るく健康的で、メランコリックな要素は少ない。多少憂いを含んだ少女がいても、しばらくすればなにかしら彼女を元気づける要素が現れる、そんな期待を持たされる。
そして「くるくるクルミちゃん」はショボンはあっても、決して深く憂うることもなく、元気でカワイイ。
活発で愛らしいその仕草・雰囲気・顔つきがいい。
今見ててもカワイイのだから、当時リアルタイムにクルミちゃんを見た世代は、その可愛さにキュンッ♪となったことだろう。
クルミちゃんグッズを見ていて、欲しいと思う気持ちが強くなるばかりだった。

中原淳一の少女たちはクルミちゃんのような天真爛漫な明るさはないが、やはりこちらも明朗活発で可愛い。

着せかえや花カード、便箋などを見るだけでも楽しいし、やはりそれらは「カワイイ」のだった。
同行しためめさんは「ぬりえ」を集めていた、と仰る。
彩色せず、白いまま保管しているそうだ。
わたしはぬりえはニガテで、ちょっとも遊ばなかったが、ぬりえの可愛さにときめいていた幼心はわかる。
今になり、「きいちのぬりえ」を見て「カワイイ~」とやっぱり声を挙げてしまうのだから、ぬりえの力は大きい。

ぬりえはしなかったが、着せかえは非常に好きだった。
今もし小学生の姪でもいれば、一緒に遊べるだろう。
わたしは小学生の時の雑誌の付録の着せかえは、すべて保管しているのだ。
自分でこしらえたものもあるくらいだから、よっぽど着せかえが好きで楽しかったに違いない。
というか、今もやりたくなってくる。

叙情画の加藤まさを、須藤しげるの絵のついたグッズをみる。これはやはり「カワイイ」ではなく「綺麗」なのだが、往時の少女たちの心を鷲掴みにしているという点ではやはり「カワイイ」の部類に入るのだと思う。

内藤ルネのコーナーにきた。これはもぉ本当にカワイイ。
わたしもいまだにルネさんのパンダの貯金箱やイチゴやレモンのシールを持っている。
日本の「カワイイ」の中興の祖とでもいうのか。
とにかくここで方向性が決まったように思う。
どれを見ても本当にカワイイ。

パンダと言えば高橋真琴のパンダも可愛かった。
こちらのパンダは高橋のほかのキャラ同様、星目玉なのだが、こちらは綺麗カワイイのパンダ。

村山亜土のカワイイグッズの前に立つと、「家にあるよね」という親しい気持ちがわきだしてくる。
小さいボックスからノート、ピン、なんでもかんでも。

明るい気持ちになってカワイイを堪能した。

夢二の絵封筒、便箋、半襟などの「港屋グッズ」を見る。
大正時代の乙女心を衝くカワイイものたち。
わたしは夢二は美人画より、こうした意匠を優先したものや童画の方が好きだ。
ふっくらした椋鳥やキノコ、椿、梅。可愛くて仕方ない。

セノオ楽譜もでていて、あれが好き、これが好き、と楽しい心持ちで見て回ると、自然と音楽が頭の中に流れ出す。

特別に胸を打つ、というものはないかもしれないが、今回の展覧会は世代を問わず楽しい気持ちになる、よい展覧会だった。
こうした企画に出会うと、やっぱりほのぼのと幸せを感じる。
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