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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

悠久の美 唐物茶陶から青銅器まで

出光美術館のコレクションの幅の広さには本当におどろく。
前回「古筆手鑑」展で、次の「悠久の美 唐物茶陶から青銅器まで」展のポスターが貼られていて、「・・・出光に青銅器が」と明るい期待が湧き出していた。
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古代中国の青銅器コレクションは出光では見ていない気がした。
ただ、このチラシの下部にある「灰陶加彩龍雲文獣環耳壷」には覚えがあった。
これは前漢のもので、'98年夏に大阪の出光美術館の「龍と虎 東洋美術のモティーフ」展で見たのだ。
「もしかすると、そのときに青銅器を見ているかも」
その程度の記憶を抱えて、出かけた。

展覧会は三章に分かれていて、それぞれ魅力的なタイトルがつけられている。
その漢字の連なりに、まずときめく。
なお、作品名のうち、ここに変換できないのがあるので、出光美術館のサイトのリストをごらんください。
pdfなので注意を。


第一章 唐物荘厳
ここでは中国絵画が二期に別れて現れる。
そして南宋から清朝までのやきものや玉の工芸品などがある。

平沙落雁図 牧谿 本国よりも日本での評価が高い、という解説を読むたびに、日本人の嗜好のありようというものを考える。
わたしもこの茫洋とした絵に惹かれている。
絵には小さく飛ぶ雁の姿と水辺に憩う姿とがあるが、全体に砂霞が広がっているような空気があって、容易に全体を見通せない。そこが魅力の根源かもしれない。

唐詩三題 別山祖智 最後の詩は「春眠暁を覚えず」の「春暁」、中は「五陵の貴公子」と読める。最初のはちょっとわたしには読めないから、後でまた調べよう。
唐詩は学生の頃とても好きだった。自分でも書き写したりしていたが、今は少し遠くなっている。

山水図 伝夏珪 ここに描かれている人々には動きがある。右幅の上には小さい住まいがあり、その前庭で子どもと犬が遊んでいる。左幅の亭では赤い盆を持つ人がいる。
景勝地なのか、小さく描かれた人々はいずれものんびりと楽しそうに見える。
峻烈さのない山水図は本当にほっとする。

南宋の茶碗や茶入などを見る。

禾目天目茶碗 あまり細い線は見えない。禾目は少ない感じがする。
鸞天目茶碗 鸞が平和そうに舞っている。
唐花天目茶碗 切り絵のような三つの花がいとしい。
梅花天目茶碗 内側いっぱいに梅花が咲き乱れている。碗の中の梅散華。

唐物水滴茶入 これはポット型。掌のうちで愛でてみたくなる。
青磁下蕪瓶 下部が蕪状でふっくらしている。大きな貫入が花びらのように見える。
青磁浮牡丹不遊環耳瓶 はっきりとした花が綺麗だった。

明清の工芸品を愉しむ。

堆朱四睡図香合 熟睡の四人?組。虎の毛皮でみんなぬくぬくしている。
堆朱楼閣山水図硯屏 非常に細密。気が遠くなりそうな工程を経て生まれてきたのだ・・・

他に翡翠の筆洗などを見たが、それだけで嬉しくなった。わたしはこの日翡翠色のセーターを着てきたのだ。これらのお仲間になりたくて。

胡銅獣耳擂座瓶 銅の剥げた部位が光る。手垢のせいで剥げたのだが、それがまた綺麗に見える。目の鋭い獣が耳部になる。なんという可愛らしさだろうか。
擂座には雷紋と、唐草とも波とも猫手とも蕨ともつかぬ「の」の字連続花がある。

螺鈿楼閣人物図稜花食籠 これはまた非常に仕事の細かい食籠だった。見るべき箇所が多い作りになっている。うるさいといえばうるさいのだが、しかしこの大きさの器をそのままでは置かれない。一面一面に非常に凝った装飾がなされている。
今回、その一面一面を念入りに眺めた。非常な技巧を知る。
四段目の花鳥図は12枚あるが、いずれも少しずつ柄が違うことに気づく。三日月の下の花鳥もあれば、昼間の花鳥らしきものもある。
細かいことを楽しめる、いい時間を過ごせた。

存星龍文八角盆 萬暦年間の技巧はどこまで高く、どこまで深かったのだろう。
踊る龍がいる。こんな構図は他に見ない。類品があるなら、そちらも見たい。この龍はまるで舞楽のような動きを見せている。
その龍を囲む八角の縁取りはそれぞれの時季の花である。百合が特によかった。

青磁浮牡丹瓶 元代らしい釉薬の濃さがいい。牡丹などは型押しで別に拵えて、それをはっつけているのが普通らしいが、それにしてもこの牡丹唐草は、後世のアールヌーヴォーを思わせる美しさを見せている。

第二章 三代憧憬
三代とは古代の夏・殷・周を示すそうだが、周の政治に理想を見るのはともかくとして、夏・殷は・・・どうだろうか。文化的なことだけをさしているのだろうか。
そんなことを考えるのも楽しい。
「倣古」イニシエにナラう。思えば一種の二次創作(=ファンの愛情)なのだ。

本歌たる殷・周の青銅器と、後世のやきものとが出ている。
形を古に採り、表面を彩るものはその当時の流行を選ぶ。
尊式の瓶が三点がある。厳密な再現ではなく、それぞれの展開を見せているのが好ましい。
なお、ここで初めて殷の饕餮文尊が現れたのだが、それはとてもおとなしそうな饕餮くんだった。全身が緑青てんこ盛りで、コケのムースをかぶっているようで可愛い。

元代の飛青磁瓶があった。薄いオリーブグリーン地にこげ茶の水玉柄の瓶。
指の腹で焦げ目をつけていったような確かさがある。上品な佇まい。

胡銅雷文獣耳瓶 ケモノというよりオニ(中国のオニではなく日本の)ぽい感じが可愛い。
胡銅四角瓶 蓋はないが、米櫃によさそうな趣がある。←いいのか?
青磁算木手瓶 貫入がたいへん綺麗だった。算木手はビルディングのように見えるので、そこに貫入(=ヒビ)があるのは・・・と思いつつ。
金銀象嵌饕餮文簋 清朝に生まれた饕餮君だが、銀紙を貼ったようにピカッと反射する。

孔子一代図巻を見る。清朝に描かれた図巻。伝・孔貞運。作者は孔子の子孫だろう。
聖人行状記。漢の高祖にお供えする、ヤギ・ウシ・ブタの図が妙に印象深い。
ところで絵でみる孔子といえば、諸星大二郎「孔子暗黒伝」以外のヴィジュアルが思い出せない。小説では中島敦や井上靖も書いているが・・・

第三章 源流遡上
最後の一室へ入り込んだ途端、一気にそこが古代中国の妖しい空間に変わっているのに気づいた。
饕餮くんまみれではないか!

わたしも関西人の一得として、中国青銅器とは随分仲良くしているが(泉屋博古館、白鶴美術館、黒川古文化研究所、大阪市立美術館、奈良国立博物館・・・)、出光の第三室があの独特の空気に満ち満ちているのには、歓喜した。
嬉しくてまじまじと見歩いていると、ところどころに見慣れた青銅器があるのがまた、ひどく喜ばしい。
「ここにも兄弟たちがいるんやなぁ」と温かいキモチになるのだ。
類品とは即ち縁者なのである。親族、と言うほうが近いか。

また並べ方が巧い。
たとえば殷の三つの爵を一つのケースに入れているが、中で3爵たちはポーズをキメているように見える。
「えっへん」と咳払いしながら「休め!」ポーズでそこにいるのだ。
ちょっと小柄な宇宙人にも見える。
これはもぉ会心の展示ではないだろうか。

先走ったが、最初に現れたのは玉璧である。
新石器時代~前漢時代頃に細工された玉璧たち。
円形ブーメランのようなもの、矛や斧、蝉型、獣面、鳥型、魚型、蟷螂型、双龍型・・・
可愛くて可愛くて仕方ない。
玉璧の可愛いのは大和文華館で馴染んでいるが、ここの鳥型はまた特別愛らしい。
賞玩したくなる、というのはうそではない。掌に収めて、親指を支える肉と四本指のアーチとで、そっとモミモミしてみたくなる。

「完璧」の故事を知ったのは中学のときだった。
「璧ヲ完フシテ趙ニ帰ル」非常に魅力的な話。故事成語の中でも特に素敵だ。

玉で思い出す話は他にも一つ。「玉璜伝」武田泰淳の小説。高校の教科書に掲載されていた。
五年位前に東博の展覧会で玉璜を見て「そうそう」と思い出したのだが、あの当時作者が泰淳か井上靖かが判然としなかったのだ。それで五年後の今はやっぱり泰淳だったと認識。
あ、そのときの展覧会タイトルも「悠久の美」でしたか。
やはり青銅器は「悠久の美」なのだ。
そのときの感想はこちら

ところで前述の「完璧」の故事だが、それを何で知ったかと言うと、「伊賀野カバ丸」だった。
カバ丸が読んだ漢文の教科書にその一文があり、ルビもあったので当時のわたしは覚えたのだ。
えてしてこう言うところから、勉強が始まるのかもしれない。

玉器のことでもう一つ。ネームプレートを見て行くと、随分な年代が書かれている。
夏・殷・周どころかそれ以前の新石器時代の細かい内訳が書かれている。
ときめくなぁ。
そういえば大阪の出光美術館のチラシには、いつもいつも中国・朝鮮・日本の年表があった。あれは本当に役に立ってくれた。

さてノスタルジーから離れて、カワイイ怪物ランドに踏み込むと、あるわあるわ饕餮くんオンパレード!本当に嬉しくなってくる。
わーいわーい♪と喜んでいるうちに、ある種の疑念が浮かび上がってきた・・・
「わたし、見てる気がする・・・」
他の青銅器コレクションで見たのではなくに。

異様に可愛いものをみつける。象さんのついた器である。
ぱおーと鼻を天に上げた象さんが四頭いる。ぐるぐる回っている。
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あまりに可愛くてワクワクしていたが、そのワクワクがドキドキに変わってきた。
「・・・見たことがある気がする」
この象さんたち。
「小象の行進」はヘンリー・マンシーニだったとか「百番目の象が来る」は佐藤さとるだとか『象と一緒に遠足したい』という童謡もあったな、と故意に遠いことを考える。

可愛いのは象さんだけではない。ミミズクもいる。
しかも二種類の形を見せている。青いほうはコノハズクか(え?)。
こちらは他の美術館にも住んでいて、時折姿を見せるが、こちらの茶色い毛羽のフクロウは殆ど見ない。
可愛くて可愛くて仕方ない。zen363.jpg
胸の毛羽や丸い目、突き出したクチバシ。思わず撫で回したくなる。
背中合わせに兄弟もいて、その点は根津美術館の羊さんと一緒である。

足のすぐ上に顔のある饕餮くんの器が可愛い。なにかメカニックな小動物のようにも思える。

最後に前漢のやきものを見る。
灰陶加彩龍雲文獣環耳壷 冒頭にも少し挙げたが、これを最初に見たときの感動は今も胸の底に活きている。
今、改めてその前に立つと、このやきものが意外とシックなものに見えてきた。
最初に見たとき、その柄の面白さに惹かれたのだが、14年後の今は、柄よりも全体の調和に惹かれている。
「もう一度みたい」と思っていた期間がこんなにも長かったことにも驚いたが。

展覧会を見終えてから図録を読むと、面白いコラムがあり、本を開いて「そうそうそう!」と頷いていた。近年は青銅器を愛する人も増加しているから、この展覧会を機に、もっと多くの人が「トウテツ愛」に目覚めてほしい。

ちなみにこの手ぬぐいは今回の展示から生まれたもの。
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近年のわたしは夏になると、この手の手ぬぐいと仲良しになるので、今から使う日が楽しみ。

東京で青銅器と言えば東博と根津、そして泉屋分館がすぐに思い浮かぶけれど、こうして出光に所蔵されていることを改めて知ると、なにやら静かに豊かな気持ちになる。
今度いつ会えるかはわからないが、少なくとも今は6/10まで色んな青銅器に会えるのだ。
それを喜んで、また会いに行こう。
5/8からは展示換えもあるので、そちらも楽しみ。


ところで一つザンゲ。
帰宅後、サイトを見ると、出光美術館では青銅器の展示は13年ぶりとある。
13年前は東京の出光には行っていない。つまりその展覧会とは無縁だったのだ。
ではいつあの象さんを見たのか。
他にも見覚えがあるのは錯覚なのか、それとも他館のとカンチガイしているのか。
・・・心を落ち着けて自分のDBを見ると、’96年4/20に大阪の出光美術館に「殷・周の青銅器」展を見に行っていた!!!
うわ゛~~反省!道理でこの象さんにも覚えがあったはず!
そのときの感想はノートに「トウテツくん可愛い」と自筆で書いていた!
記憶は常に反芻し続けねばならない。
それを怠ったことを反省しないといけない・・・

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