すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙
すべての僕が沸騰する 村山知義の宇宙
神奈川県立近代美術館・葉山館と京都国立近代美術館とで楽しんだ。

リストがないので自分のメモに頼るしかない。
チラシは葉山の方を。京近美のはちょっと好みから外れる。
村山の仕事は多岐にわたりすぎていて、これまでその全貌を見渡すことはできなかった。
今回の展覧会は村山の残したものを出来る限り集めて、その輪郭を露わにしようとする、そんな意気込みを感じた。
村山の戦前の仕事は失われてしまったものが多く、その複製品を展示している。
わたしはそのことにも満足している。
少しでも村山を感じてもらいたい、という意識の現れだと思うからだ。
本物がないのは残念だが、だからといって何も紹介しないのでは「すべての僕が沸騰」しないではないか。
やはりここは代替品であっても展示されるのが嬉しい。
最初に同時代の洋画家たちの作品がある。
一言ずつの感想を挙げる。
久米民十郎 トリの夜鳴きする声 シュールな画面。
東郷青児 彼女のすべて キュビズムに未来派がまざる。
神原泰 音楽的創造シンフォニィ#3(生命の流動) わからない・・・
ヴィクトル・パリモフ 日本女性 キュビズムすぎて形がわからない・・・
ダヴィッド・ブルリューク ウラル ベタな夕日
他にもジプシーの女というヌードダンスをする三人の女の絵がある。
<わたしには>わからなくとも、その時代を実感させる作品たち。
そういえば久米の絵を見るのはこれで二回目である。
細川護立のコレクションで一度見ただけで、あの後この画家のことを調べると、神奈川近代美術館が所蔵していることを知ったのだった。
会場では村山の一部作品をプリントした幡を何枚か吊っている。
それらを見るだけでも、村山知義の広さを感じる。

版画の本がある。後藤忠光「青美」第一号。
日の下に二人の女が壷を前に跪いて拝む図がある。こういう図は好きだ。
他に本ではブルリュック・木下秀訳「未来派とは」がある。ブルリュークのことだろうが表記が違うのが、また面白い。
柳瀬正夢の作品を多く見たのも貴重な経験になった。
だいぶ前に柳瀬の展覧会を見損ねた憾みがある。
かれのSFマンガをチラッと見ているが、その資料も今はちょっと探し出せない。
「川と夢」は色が綺麗だった。「仮睡」は赤っぽくてカクカクしている。
階段が入り組んだ「底の復報」は面白かった。
柳瀬の絵は配色が複雑で、ちょっとばかりオドロに見えるものがあるが、このあたりはそこまでいっていない。
赤いペーズリーがうねる「未来派の素描」も面白かった。ぐりぐりに目玉がある。
幡にもなった村山の叙情画がある。
ウォルカァの童話「夢のくに」の挿絵。
「彗星の王様のお姫様」
これは童画家村山知義の作品。「TOM」サイン入り。
同時代の童画・叙情画家たちの間に流行した異国趣味の流れもある。
わたしはこの絵はがきを随分前に手にいれ、今もこうして愛している。
牧野虎雄の「花苑」には百合や小さな草花の生い茂る様が描かれているが、この庭を描いた絵にもどこかしら叙情的なものを感じる。
和達知男の未来派風水彩画もいい。
山岳風景も山水画風で面白い。
リノカットもいかにも時代を感じさせる。
ゲオルグ・グロッスの戯画が色々ある。わたしは江戸の戯画は好きだが、それ以外の戯画はかなりニガテなので、見ていてもあまり楽しめない。風刺が鋭すぎて苦しい。
村山は1920年代初頭のドイツに留学した。
政情不安ではあるが、いまだ熱い面白さのある都市文化が活きていた。
村山がいた数年後のドイツの状況をコミック化した作品がある。
‘92年に発表された森田信吾「栄光なき天才たち・名取洋之助篇」である。
当時、この作品からわたしは「バウハウス」を知ったのだった。
そのバウハウスの教授陣の作品がある。
カンディンスキー、アーキペンコ、クレー・・・
カンディンスキーの連作「小さな世界」、クレーの「小さな秋の風景」はなかなか面白かった。特にどう見てもスイカの断面図にしか見えない一枚が楽しい。
‘20年代のドイツを始めとする世界のモダンダンスやレビューには以前から深い関心があった。このあたりの展示を見るのはひどく楽しい。
村山はドイツでニッディー・インペコーフェンという少女ダンサーに熱狂する。
‘20年代のベルリン。
ニッディーの写真と踊る映像が設置されている。
40年後の日本の暗黒舞踏を思わせる動きもそこにあった。
見ながらわたしは少し後年の日本映画「狂つた一頁」と’89年の「ドグラマグラ」を思い出していた。どちらも新しいダンスを、モダンバレエを見せていた。
そのノイエ・タンツに熱狂した村山は自らも踊り始める。
オカッパアタマにワンピース姿の彼のダンスは写真でしか見ることは出来ないが、ひどく魅力的だった。
「命がけで突っ立った死体」と言うことはないが、この異様な魅力は大きい。
葉山のチラシにも出ているのは「自由学園で踊る」21歳の村山である。
他にも「フムメルのワルツを踊つてゐる私」。

舞踏家の肉体については土方巽が著書「美貌の青空」に、強い印象を残す言葉で綴っているが、確かにそれを想起させ、当てはまることを実感する。
村山が自らのアトリエで全裸で踊る写真があった。
うずくまる姿を見ても、これもダンスの1シーンだとわかる。
そして細い背中を見せる写真には、深く惹かれるものがあった。
単独のダンスだけではなく、パフォーマンスもあった。
すごいポーズを取っている。
マヴォについてはこの展覧会でも大きな展示だが、そのあたりはあまりわたしには関心が湧かない。ロシア構成主義の影響もあるのかと思うくらいで、見ていてもその時代感覚は伝わっても、ときめきがない。
マヴォ同人の詩を読んでみる。
・・・どうも偽悪的な感性がわずらわしい。汚い単語を連ねることが詩になる、というのも厭だ。
柳瀬の描くマヴォのメンバーの戯画風似顔絵を見て、軽く笑った。ちょっと面白い。
着物を着たオカッパの村山の横顔が、先日なくなった内藤陳に似ていた。
それが機嫌よく仲間内でベラベラおしゃべりしている図。
そしてその時代を捉えた資料が刊行されている。
そこに「マヴォ第一回展覧会」ポスターが掲載されている。

村山の設計した舞台のミニチュアがある。面白い構造だが、芝居はどうなのだろう。
モホイ・ナギにも通じるような作風だった。
いいのかどうかはわたしには判断がつかない。
ただ、この時代の吉行あぐりさんの美容室の建物はとても素敵だと思う。
外観も内部もおしゃれだった。
葵館のロビーもいい。そこにいる村山夫妻の写真もいい。
当時の記事には、断髪の妻と長髪の夫のジェンダーフリーぶりに目を白黒させている様子が、はっきり出ていた。

村山夫妻は仲良しさんで、妻のかずこ(変換がうまくゆかないので、かな表記する)が非常に面白い童話を書き、それに夫のTOMが絵をつけていた。とてもいいコンビだったことは、後の展示コーナーでもよく伝わる。
その妻が亡くなったとき、村山は息子さんを責めた、というのを息子さんの書いたもので読んだ記憶がある。
近代劇全集の挿絵があった。元から挿絵好きなわたしは喜んで眺めた。
映像でもそれらが流れ続けている。熱心に見ていると時間はいくらあっても足りない。
作品により画風を変えているのもいい。
モダンな「望郷」が特によかった。
童画家・村山知義の展示を見る。彼はかなり若い頃から童画を描いていた。
そのあたりの仕事については'91年の「子どもの本・1920年代」展の図録に掲載されている飯沢匡の村山論が興味深い。
この感想を書くにあたり、再読したが、20年経った今もやはり面白く感じた。
なお1920年代の童話や童画については、このブログ上でシバシバ取り上げているので、改めて書くことは避ける。それだけでも一本分かいてしまうからだ。
童画の展示については葉山よりも京都を大いに推したい。
ワークショップもある。展示もとても楽しく見やすい。
わたしが一番好きなのは「三匹の小熊さん」シリーズで、これは復刻した絵本もある。

絵の可愛さと文の妙なリズムが楽しい絵本である。
こちらはその映像のコマを集めたもの。

(自分の持ってる資料なので切り貼りがきれいではないが)
これは十数年後にVTRソフトを手に入れて嬉しかったが、今回の展覧会でも上映されていて、喜んで眺めた。何回見ても面白い。
このシュールでちょっとトボケたユーモアは、1920年代を生きたものだけが持つ感性なのかも取れない。
近年、ギャラリーTOMでもその展覧会が開かれたとき、今ではDVDも出ています、と教わって嬉しく思ったが、手に入れてはいない。
20世紀末、資料の少ない時代にわたしはわたしなりに懸命に探し回り、かずこの童話が掲載されている本を取り寄せたり、TOMさんの絵を見るために遠出もした。
あの頃の苦労が懐かしい。
他に欲どおしい猫の「おなかのかわ」や「なくなった赤い洋服」の原画などが出ている。
かずこが亡くなった後、村山は演出の仕事を柱にしつつ、それでも良質な童画を送り続けていた。村山だと意識しないで見ていた絵本がいくつかあった。
最後に村山の晩年の仕事が集められていた。
舞台演出などである。そして小説「忍びの者」がある。
ここでごく私的なことを書く。
村山を<知った>のは中学一年の時だった。
オジが「忍びの者」の大ファンで、やたらとわたしに村山を薦める。
オジはTVドラマの品川隆二の石川五右衛門ファンで、そこから原作に走ったらしい。
わたしは学校の図書館で「忍びの者」を読んだ。
石川五右衛門の話は最初の章までで、続編は真田十勇士の話に展開していた。
その数年前にNHK人形劇で「真田十勇士」に熱狂していたわたしは、別バージョンの真田十勇士の話にも惹かれた。
人形劇の原作はシバレンこと柴田錬三郎だったが、この村山版にも深い面白さがあった。
村山の「忍びの者」の映画を、わたしは調べ始める。
そして映画のあらすじや1シーンを載せた「映画大全」本を開くと、そこに市川雷蔵の五右衛門がいた。
家が焼けるのを見て驚いているシーンである。
その前歯の美しさに強く惹かれ、わたしはそれ以後かれのファンになってしまった。
この「忍びの者」ポスターは私の持つ資料から出した。

そうこうするうち、わたしは村山知義が元は築地小劇場の演出家で左翼で、というようなことを知るようになり、資料を色々とみるようになった。
マヴォの関係や若い頃の「転向」問題などを知ったのは大学の時だが、それは文章による資料で知っただけで、画像は長く見なかった。
更に彼が童画家だったことを知ったのはもう少し後だった。
彼の童画作品を見たのは'91年だった。
前述の子供の本の黄金時代たる1920年代を取り上げた展覧会で、わたしはRRR武井武雄とTOM村山知義を知ったのだ。
村山の童画には彼の妻かずこの童話が相方として活きていたことを知ったとき、わたしはその名に覚えがあった。
幼稚園へゆく前に与えられ、現在も手元に愛蔵している童心社の読み物本「おはなし、だいすき」に所収されている「じゃがいもホテル」の話の人ではないか、と思い当たったのだ。そこで早速本を開くと、北田卓志の挿し絵ではあるが、童話の作者は村山かずこに間違いなかった。
タイトルは「川に落ちたたまねぎさん」だった。
今に至るまでこの話の面白さが忘れられないが、そこから1920年代の童画に眼を開かれたわたしは、当時手にはいるだけの資料を集め始めた。
その中で、童画家だけでない村山の仕事を、画像でも見るようになったのだった。
・・・・・いつものようにノスタルジーと偏愛で固まった記事になってしまったが、この展覧会は本当に面白かった。
昨今の「池袋モンパルナス」「渋谷ユートピア」「都市から郊外へ 1930年代の東京」これらの展覧会と連動して「読む」と、彼らのいた時代の空気を深い吸い込めるような気がする。
京都展は5/13まで。その後は富山を経由して世田谷へも巡回する。
・・・・・富山と世田谷のチラシも今からとても楽しみにしているのだが。
神奈川県立近代美術館・葉山館と京都国立近代美術館とで楽しんだ。

リストがないので自分のメモに頼るしかない。
チラシは葉山の方を。京近美のはちょっと好みから外れる。
村山の仕事は多岐にわたりすぎていて、これまでその全貌を見渡すことはできなかった。
今回の展覧会は村山の残したものを出来る限り集めて、その輪郭を露わにしようとする、そんな意気込みを感じた。
村山の戦前の仕事は失われてしまったものが多く、その複製品を展示している。
わたしはそのことにも満足している。
少しでも村山を感じてもらいたい、という意識の現れだと思うからだ。
本物がないのは残念だが、だからといって何も紹介しないのでは「すべての僕が沸騰」しないではないか。
やはりここは代替品であっても展示されるのが嬉しい。
最初に同時代の洋画家たちの作品がある。
一言ずつの感想を挙げる。
久米民十郎 トリの夜鳴きする声 シュールな画面。
東郷青児 彼女のすべて キュビズムに未来派がまざる。
神原泰 音楽的創造シンフォニィ#3(生命の流動) わからない・・・
ヴィクトル・パリモフ 日本女性 キュビズムすぎて形がわからない・・・
ダヴィッド・ブルリューク ウラル ベタな夕日
他にもジプシーの女というヌードダンスをする三人の女の絵がある。
<わたしには>わからなくとも、その時代を実感させる作品たち。
そういえば久米の絵を見るのはこれで二回目である。
細川護立のコレクションで一度見ただけで、あの後この画家のことを調べると、神奈川近代美術館が所蔵していることを知ったのだった。
会場では村山の一部作品をプリントした幡を何枚か吊っている。
それらを見るだけでも、村山知義の広さを感じる。

版画の本がある。後藤忠光「青美」第一号。

日の下に二人の女が壷を前に跪いて拝む図がある。こういう図は好きだ。
他に本ではブルリュック・木下秀訳「未来派とは」がある。ブルリュークのことだろうが表記が違うのが、また面白い。
柳瀬正夢の作品を多く見たのも貴重な経験になった。
だいぶ前に柳瀬の展覧会を見損ねた憾みがある。
かれのSFマンガをチラッと見ているが、その資料も今はちょっと探し出せない。
「川と夢」は色が綺麗だった。「仮睡」は赤っぽくてカクカクしている。
階段が入り組んだ「底の復報」は面白かった。
柳瀬の絵は配色が複雑で、ちょっとばかりオドロに見えるものがあるが、このあたりはそこまでいっていない。
赤いペーズリーがうねる「未来派の素描」も面白かった。ぐりぐりに目玉がある。
幡にもなった村山の叙情画がある。
ウォルカァの童話「夢のくに」の挿絵。
「彗星の王様のお姫様」

これは童画家村山知義の作品。「TOM」サイン入り。
同時代の童画・叙情画家たちの間に流行した異国趣味の流れもある。
わたしはこの絵はがきを随分前に手にいれ、今もこうして愛している。
牧野虎雄の「花苑」には百合や小さな草花の生い茂る様が描かれているが、この庭を描いた絵にもどこかしら叙情的なものを感じる。
和達知男の未来派風水彩画もいい。
山岳風景も山水画風で面白い。
リノカットもいかにも時代を感じさせる。
ゲオルグ・グロッスの戯画が色々ある。わたしは江戸の戯画は好きだが、それ以外の戯画はかなりニガテなので、見ていてもあまり楽しめない。風刺が鋭すぎて苦しい。
村山は1920年代初頭のドイツに留学した。
政情不安ではあるが、いまだ熱い面白さのある都市文化が活きていた。
村山がいた数年後のドイツの状況をコミック化した作品がある。
‘92年に発表された森田信吾「栄光なき天才たち・名取洋之助篇」である。
当時、この作品からわたしは「バウハウス」を知ったのだった。
そのバウハウスの教授陣の作品がある。
カンディンスキー、アーキペンコ、クレー・・・
カンディンスキーの連作「小さな世界」、クレーの「小さな秋の風景」はなかなか面白かった。特にどう見てもスイカの断面図にしか見えない一枚が楽しい。
‘20年代のドイツを始めとする世界のモダンダンスやレビューには以前から深い関心があった。このあたりの展示を見るのはひどく楽しい。
村山はドイツでニッディー・インペコーフェンという少女ダンサーに熱狂する。
‘20年代のベルリン。
ニッディーの写真と踊る映像が設置されている。
40年後の日本の暗黒舞踏を思わせる動きもそこにあった。
見ながらわたしは少し後年の日本映画「狂つた一頁」と’89年の「ドグラマグラ」を思い出していた。どちらも新しいダンスを、モダンバレエを見せていた。
そのノイエ・タンツに熱狂した村山は自らも踊り始める。
オカッパアタマにワンピース姿の彼のダンスは写真でしか見ることは出来ないが、ひどく魅力的だった。
「命がけで突っ立った死体」と言うことはないが、この異様な魅力は大きい。
葉山のチラシにも出ているのは「自由学園で踊る」21歳の村山である。
他にも「フムメルのワルツを踊つてゐる私」。


舞踏家の肉体については土方巽が著書「美貌の青空」に、強い印象を残す言葉で綴っているが、確かにそれを想起させ、当てはまることを実感する。
村山が自らのアトリエで全裸で踊る写真があった。
うずくまる姿を見ても、これもダンスの1シーンだとわかる。
そして細い背中を見せる写真には、深く惹かれるものがあった。
単独のダンスだけではなく、パフォーマンスもあった。
すごいポーズを取っている。

マヴォについてはこの展覧会でも大きな展示だが、そのあたりはあまりわたしには関心が湧かない。ロシア構成主義の影響もあるのかと思うくらいで、見ていてもその時代感覚は伝わっても、ときめきがない。
マヴォ同人の詩を読んでみる。
・・・どうも偽悪的な感性がわずらわしい。汚い単語を連ねることが詩になる、というのも厭だ。
柳瀬の描くマヴォのメンバーの戯画風似顔絵を見て、軽く笑った。ちょっと面白い。
着物を着たオカッパの村山の横顔が、先日なくなった内藤陳に似ていた。
それが機嫌よく仲間内でベラベラおしゃべりしている図。
そしてその時代を捉えた資料が刊行されている。
そこに「マヴォ第一回展覧会」ポスターが掲載されている。

村山の設計した舞台のミニチュアがある。面白い構造だが、芝居はどうなのだろう。
モホイ・ナギにも通じるような作風だった。
いいのかどうかはわたしには判断がつかない。
ただ、この時代の吉行あぐりさんの美容室の建物はとても素敵だと思う。
外観も内部もおしゃれだった。
葵館のロビーもいい。そこにいる村山夫妻の写真もいい。
当時の記事には、断髪の妻と長髪の夫のジェンダーフリーぶりに目を白黒させている様子が、はっきり出ていた。

村山夫妻は仲良しさんで、妻のかずこ(変換がうまくゆかないので、かな表記する)が非常に面白い童話を書き、それに夫のTOMが絵をつけていた。とてもいいコンビだったことは、後の展示コーナーでもよく伝わる。
その妻が亡くなったとき、村山は息子さんを責めた、というのを息子さんの書いたもので読んだ記憶がある。
近代劇全集の挿絵があった。元から挿絵好きなわたしは喜んで眺めた。
映像でもそれらが流れ続けている。熱心に見ていると時間はいくらあっても足りない。
作品により画風を変えているのもいい。
モダンな「望郷」が特によかった。
童画家・村山知義の展示を見る。彼はかなり若い頃から童画を描いていた。
そのあたりの仕事については'91年の「子どもの本・1920年代」展の図録に掲載されている飯沢匡の村山論が興味深い。
この感想を書くにあたり、再読したが、20年経った今もやはり面白く感じた。
なお1920年代の童話や童画については、このブログ上でシバシバ取り上げているので、改めて書くことは避ける。それだけでも一本分かいてしまうからだ。
童画の展示については葉山よりも京都を大いに推したい。
ワークショップもある。展示もとても楽しく見やすい。
わたしが一番好きなのは「三匹の小熊さん」シリーズで、これは復刻した絵本もある。

絵の可愛さと文の妙なリズムが楽しい絵本である。
こちらはその映像のコマを集めたもの。

(自分の持ってる資料なので切り貼りがきれいではないが)
これは十数年後にVTRソフトを手に入れて嬉しかったが、今回の展覧会でも上映されていて、喜んで眺めた。何回見ても面白い。
このシュールでちょっとトボケたユーモアは、1920年代を生きたものだけが持つ感性なのかも取れない。
近年、ギャラリーTOMでもその展覧会が開かれたとき、今ではDVDも出ています、と教わって嬉しく思ったが、手に入れてはいない。
20世紀末、資料の少ない時代にわたしはわたしなりに懸命に探し回り、かずこの童話が掲載されている本を取り寄せたり、TOMさんの絵を見るために遠出もした。
あの頃の苦労が懐かしい。
他に欲どおしい猫の「おなかのかわ」や「なくなった赤い洋服」の原画などが出ている。
かずこが亡くなった後、村山は演出の仕事を柱にしつつ、それでも良質な童画を送り続けていた。村山だと意識しないで見ていた絵本がいくつかあった。
最後に村山の晩年の仕事が集められていた。
舞台演出などである。そして小説「忍びの者」がある。
ここでごく私的なことを書く。
村山を<知った>のは中学一年の時だった。
オジが「忍びの者」の大ファンで、やたらとわたしに村山を薦める。
オジはTVドラマの品川隆二の石川五右衛門ファンで、そこから原作に走ったらしい。
わたしは学校の図書館で「忍びの者」を読んだ。
石川五右衛門の話は最初の章までで、続編は真田十勇士の話に展開していた。
その数年前にNHK人形劇で「真田十勇士」に熱狂していたわたしは、別バージョンの真田十勇士の話にも惹かれた。
人形劇の原作はシバレンこと柴田錬三郎だったが、この村山版にも深い面白さがあった。
村山の「忍びの者」の映画を、わたしは調べ始める。
そして映画のあらすじや1シーンを載せた「映画大全」本を開くと、そこに市川雷蔵の五右衛門がいた。
家が焼けるのを見て驚いているシーンである。
その前歯の美しさに強く惹かれ、わたしはそれ以後かれのファンになってしまった。
この「忍びの者」ポスターは私の持つ資料から出した。

そうこうするうち、わたしは村山知義が元は築地小劇場の演出家で左翼で、というようなことを知るようになり、資料を色々とみるようになった。
マヴォの関係や若い頃の「転向」問題などを知ったのは大学の時だが、それは文章による資料で知っただけで、画像は長く見なかった。
更に彼が童画家だったことを知ったのはもう少し後だった。
彼の童画作品を見たのは'91年だった。
前述の子供の本の黄金時代たる1920年代を取り上げた展覧会で、わたしはRRR武井武雄とTOM村山知義を知ったのだ。
村山の童画には彼の妻かずこの童話が相方として活きていたことを知ったとき、わたしはその名に覚えがあった。
幼稚園へゆく前に与えられ、現在も手元に愛蔵している童心社の読み物本「おはなし、だいすき」に所収されている「じゃがいもホテル」の話の人ではないか、と思い当たったのだ。そこで早速本を開くと、北田卓志の挿し絵ではあるが、童話の作者は村山かずこに間違いなかった。
タイトルは「川に落ちたたまねぎさん」だった。
今に至るまでこの話の面白さが忘れられないが、そこから1920年代の童画に眼を開かれたわたしは、当時手にはいるだけの資料を集め始めた。
その中で、童画家だけでない村山の仕事を、画像でも見るようになったのだった。
・・・・・いつものようにノスタルジーと偏愛で固まった記事になってしまったが、この展覧会は本当に面白かった。
昨今の「池袋モンパルナス」「渋谷ユートピア」「都市から郊外へ 1930年代の東京」これらの展覧会と連動して「読む」と、彼らのいた時代の空気を深い吸い込めるような気がする。
京都展は5/13まで。その後は富山を経由して世田谷へも巡回する。
・・・・・富山と世田谷のチラシも今からとても楽しみにしているのだが。
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