FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「ヨコハマ ヨコスカ ストーリー 二つの港町の戦後文化」展をみる

神奈川県立歴史博物館で「ヨコハマ ヨコスカ ストーリー 二つの港町の戦後文化」展を見た。
そう、「戦後文化」を歴史博物館で見た、のだ。
うちの親が子どもだった時代、オキュパイド・ジャパンの時代へ出向いたのだ。
なお、今回の感想では当時の呼称などを使うが、偏見を持っているわけではないことを記しておく。
zen394.jpg zen395.jpg

小ホールにジープがあった。
ジープはやっぱりMPの象徴だ。進駐軍の乗り物だ。
当時の本当のジープである。
ジープに乗ったアメ兵が群がる子どもらにチョコやパンや缶詰を投げ与える・・・
「鬼畜米英、撃ちてしやまん」とわけもわからずににくんだ人々から食べ物を貰う。
暗い気持ちになって展示室へ入る。

ヨコハマの大きな地図があった。
解説を読むと、要するに進駐軍の接収によって、横浜の街自体の復興が遅れたことを書いている。
自治権が返るのは十年近い後だから、その間ヨコハマはYOKOHAMAでしかなかったのだ。
吉田初三郎の鳥瞰図にも、進駐軍のいた界隈は空間になっていた。

戦後すぐのラジオの英会話テキストがあった。この頃の流行歌が色々とアタマに流れ出す。
小さい頃、横溝正史に夢中だったおかげでか、敗戦後の日本の流行等が記憶されている。
実際に見たことなどないのに、なぜかそうした記憶がナマナマしく自分の中に生きている。

伊勢崎町や横浜駅前の当時の風景写真を見る。
どこからどこまで見ても占領下のジャパンでしかない。
パーマネントの女たちが歩く。パン助ではない人もみんなどんどんパーマを掛けてゆく。
それはいいことだと思う。
パンパンとして<自立>して暮らしている。手段は二の次である。みんながんばれ。

パン焼器があった。押し寿司の木箱の内側に鉄板二枚嵌めたような造りである。そこへ練ったうどん粉を入れて電気を通すと、パンが焼ける。簡単な原理のそれは廃材などで作られたものらしい。

ハーシーチョコがあった。
ハーシーチョコ、コカコーラ、チューインガム、それが戦後アメリカから齎された一番のカルチャーのような気がする。
後の話だが、売店で巨大なハーシーチョコとちびっこハーシーチョコが販売されていて、リアルタイムにハーシーチョコを食べていたと思われる年配の奥さんが、じーーーっとそれをみつめていた。かなり長い時間だった。
わたしはチョコといえばベルギーでもスイスでも日本でもなく、ペニンシュラホテルのチョコが最高だと思うのだが、うちの母はやっぱり「アメリカ文化の子ども第一世代」だからか、ハーシーチョコの話をしばしばする。
そういえばハワイ土産に貰ったハーシーチョコは口いっぱいに甘みが広がり、歯も歯茎もチョコにまみれるほどだったが、妙な充実感があった。
あの奇妙な感覚をわたしは思い出したが、この奥さんが思い出していたのは、どんなことだったのだろうか・・・。

昭和26年の新聞広告には闇市から発展した商店街の大売出し広告が載っていた。
村上元三「新撰組」の連載があった時代である。
広告文化は面白い。一つ一つ眺めるだけでも楽しかった。
少しずつ物品が増えていた時代。
野毛に今もある洋食屋のお皿などがあった。
「センターグリル」というお店。「米国風洋食」と皿に書かれている。
米国風洋食・・・?・・・・・いつか食べに行ってみたい。

アメリカへの輸出用おもちゃがたくさんあった。北原コレクション。ご近所からの貸し出し。シルクスカーフはシルク博物館からの借り出し。
輸出用のスカーフの絵柄はやっぱりちょっと変なセンスだった。

昭和24年に日本貿易博覧会が野毛と反町の二つの会場で開催された。
かなり大掛かりな博覧会だったようだが、実際は大赤字だったらしい。
「もぉ日本は大丈夫ですよ」という気概を見せたかったのだろうが・・・・・
博覧会記念絵葉書には伊東深水の綺麗な美人画があった。

やがてついに接収解除である。
この展覧会には出ていないが、とにかくアメリカ文化=ペンキ文化なので、非常に立派な大邸宅を接収しながら、そこにどーーしようもないペンキをベタベタ塗りたくっていたので、自宅を返された人々も大変に苦労した。
全くもってお気の毒である。

横浜市交通局が「よいこの交通安全双六」を出したが、その実物のほかに同時代の大阪の「よいこの交通安全双六」も展示されていた。
双六はやっぱり面白くなくてはいかんので、これはやっぱり大阪版の方がよかった。

次にヨコスカストーリーである。山口百恵の歌を思い出したが、それは無関係。
横須賀の観光マップを見る。吉田の弟子・中村慈郎の原画・下絵・印刷物の三つがある。
わたしは横須賀美術館にしか行ったことがなく、一度横須賀の街中を訪ねたいと思っている。
尤もわたしの場合は佐藤さとる「わんぱく天国」のファンなので、望んだ景色は見えないだろうが。

スカジャンがあった。丁度つい最近このスカジャンの発祥について書かれた記事を読んでいた。展示品はいずれも昭和30年代のもので、実に派手。発祥の店プリンス商会の人の話が書かれていたが、米兵が修理してと持ってきたスタジアムジャンパーについでに刺繍を施してあげたところ大喜びされ、噂を聞いた米兵たちが我も我も、とそれを需めてきたそうな。
鷹や富士山や虎や龍が背中で幅を利かせている。
アッと思ったのは、つい近年ここで展覧会があった真葛焼の猫!それをモティーフにしたものが出ているではないか。2008年の新作だった。
うむ、奥が深い・・・

EMクラブというものを見た。ちょっとネオゴシックな建物である。
zen397.jpg
これは戦前に日本海軍が建てた兵員クラブが接収されたもので、その頃の写真があった。
中庭で楽しそうにみんな遊んでいた。
ビアホールがあり、映画も無料、という楽しい場所だったのだ。
取り壊し写真を見る。勿体無いが、仕方がない。

日本人向けの映画館の宣伝類を見る。パンフもある。知ってる映画がいくつかあった。
時代を感じる。しかしこうした文化は本当にいい・・・
戦後の映画界の黄金期。アメリカもニューシネマ以前は、機嫌よく楽しい娯楽作品が多かったのだ。
ダンスホールやキャバレー関係の資料もある。このあたりは以前にも見ている。
今回はチャブ屋はない。

最後の展示室へ向う廊下へ出た途端、ジャズ喫茶ちぐさの看板が黄色く光っていた。
「これがちぐさの看板か!」思わず声に出してしまった。
日本のジャズの総元締めのような存在のお店。
わたしは高校の頃、愛読する殿山泰司のエッセイでこの「ちぐさ」を知った。
しかしジャズを聴きに行く根性がないまま大きくなり、気づけは「ちぐさ」は74年の歴史を閉じていた。
展示された写真を見るうち、なんとなく胸が痛くなった。
遅れてきたものは何も与えられることはないのだ・・・・・
zen396.jpg zen393.jpg

原信夫という偉大なジャズマンもわたしは知らない。
その人の衣装やサックスが展示されていた。
帰宅後チラシを見せると親は一発で「あっ!」とか言い出し、色んな話を始めた。
母は大阪の女だが、やっぱりそのあたりのことは詳しいので、展覧会のあとの補助資料として、今回大変興味深く話を聞いた。
尤もジャズは母より父の方が好きだったそうだが、父はとっくにあの世なので聞くことはできない。母はラテン喫茶に入り浸っていたそうだ。

戦後67年の今年、わたしもじっくりとヨコハマ・ヨコスカを旅してみたい。
そんなことを考えている。
展覧会は6/17まで。

おまけ:帰宅してからハーシーチョコをママにあげると、ママからはセサミストリートのクッキーをもらった。
SH3B11390001.jpg
関連記事
スポンサーサイト



コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア