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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

絢爛豪華 岩佐又兵衛絵巻「浄瑠璃物語」

「絢爛豪華 岩佐又兵衛絵巻」展が三期に分かれてMOA美術館で開かれている。
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既にチラシ上段を飾る「山中常盤物語」は展示を終え、今は中段の「浄瑠璃物語」である。
下段の「堀江物語」はまた来月に行く予定。

「山中常盤」は映画をみているし、日にちもなく、今回はパスしたが、反省している。
やはりこの絢爛豪華な絵巻はカメラのファインダー越し・映像越しで見るのでなく、自分の網膜に焼き付けるべきだったのだ。
他者の眼を通過したものを見るのでなく、自分の眼で見てこその愉楽なのだ。
「浄瑠璃物語」を見てつくづくそう思った。

さてこの「浄瑠璃物語」は前述の「山中常盤」の後日につながる物語である。
源氏の御曹司・牛若丸の母・常盤御前が息子会いたさに旅に出て盗賊に殺害されたのを、牛若丸が霊夢によって知り、見事に仇討ちを遂げる、というのが「山中常盤」である。
この「浄瑠璃物語」は鞍馬山を出た15歳の牛若丸が、金売り吉次兄弟と共に陸奥への旅をする道すがら、三河国矢矧宿の長者の息女・浄瑠璃姫と結ばれるが、別離の苦痛からの死と、再会の喜びによる再生を経て、後日を約して別れる。
やがて味方を得て平氏追討に都へ戻ろうとする御曹司はその途上、約束を守るために宿に立ち寄ったが、浄瑠璃姫の死を知り、菩提を弔い更に復讐をも果たす。

この「浄瑠璃姫」の物語は古くから人口に膾炙している。
15世紀後半には既に成立し、「十二段草紙」とも呼ばれる人気の話だった。
現代ではややこしい筋立てだと思われようが、かつての日本人の多くはこの物語に涙した。
実際「物語」としての面白さは深いと思う。
そして又兵衛とその工房で作られたこの巻物は、きちんと十二巻を数える。

詞書は全て読み下しやすいように壁面プレートに活字体で写されているが、当然ながら旧仮名遣い・古語であるために、リズムに慣れないと読むのが面倒かもしれない。
また形容を変えての反復が多いということも特徴である。そのあたりはかつての人々には面白かろうが、今では「またか」ということになるだろう。
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1.金売り吉次兄弟に連れられて、15才の牛若丸(当時は遮那王という名で鞍馬寺にいた)は奥州の藤原秀衡を頼って旅を始める。
正体を隠しての旅なので、御曹司とはいえ、馬にも乗せてもらえず徒歩で、吉次の下人のような立場でとぼとぼ歩いている。
彼は「馬追い冠者」と呼ばれている。

やや俯き加減で歩く牛若丸のやるせない心情が、その眉の下がり具合・眼の伏せ方・肩の落ち方でハッキリとわかる。
貴種流離譚の人だということが、改めて伝わってくる描写である。
また、岩佐又兵衛自身が、牛若丸に自身を仮託しているように感じられる。
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一行が宿場町に入ったとき、偶然ながらある店舗の紋が向い揚羽なのをみつけた。可愛らしい紋所である。
ばたばたと忙しく立ち働く人々の表情や、それぞれの着物が、繊細な描写を見せている。
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矢矧宿に泊まった夜、しょぼくれた牛若丸は、管弦の音色に惹かれてふらふらと、音色の出所・長者屋敷の門前に向い、音曲を聴きつつ立ち尽くす。
屋敷のうちでは長者の姫・浄瑠璃姫が大きな琴を弾き、侍女たちがそれぞれ楽器を演奏している。侍女のうちでも右端に近い侍女の一人がなかなかの美女である。
皆それぞれの個性が、顔立ちと着物とで分かれて活きている。

詞書ではその侍女たちの名前とそれぞれの楽器名とを悉く記している。
しかしたった一つだけそのオーケストラに足りない音色がある。笛である。
何故笛の音色がないのか牛若丸はいぶかしみつつ、懐より源氏の重宝・名笛「せみおれ」を取り出して口に当てる。和する管弦、完璧な調和が成る。

2.耳の鋭い浄瑠璃姫が皆の合奏を止めて、その音色に聴き入る。
名手の笛の音に侍女たちも耳を澄ます。
やがて姫はまず女房玉藻に門前に佇む人を偵察するよう命ずる。
このような笛の名手といえば、平氏では敦盛などが、源氏では牛若丸だけだろうと話になる。
玉藻は門前の少年を見るが、大した観察眼はなく、すぐに戻って、取るに足りないものだと報告する。しかしそれでは姫は得心しない。今度は女房十五夜をよこす。
ここで十五夜の観察が、延々と詞書に現れる。
着物の文様の精密な描写が本当に延々と続く。呆れるほど細かい。
わたしはそれを読みながら、いちいち分と絵とを対比して眺めた。
何しろ十五夜の眼はどうなっているのか、夜なのに(中世の夜である)真昼の只中に間近で凝視しているような、鋭い観察と報告が続くのだ。
さすがは御曹司だけにぼーっと立っていても、その気品は隠せず、十五夜の眼にも好ましく映る。
十五夜は長口舌をふるい、少年の様子を明らかにする。

3.当時は歌の応答は必須だった。浄瑠璃姫は和歌を詠んで十五夜に託す。牛若丸の返歌もあり、やはり門前の人は馬追いなどではなく源氏の御曹司だと姫は気づく。
十五夜に手を引かれ、屋敷のうちに入る牛若丸。たよりなげな少年よりも、ずっと女房十五夜の方が背が高い。十五夜の微笑がいい。いかにも物慣れた風情がある。
合奏することになったが、端居させられることを牛若丸は承知せず、知らん顔をする。
御曹司たるもの、流離の身であっても、身を低くしてはならぬのだ。しかも相手は自分がそうと気づいている雰囲気もある。ここは絶対に譲ってはいけない、と少年は考える。
そこで女房たちは高麗縁の畳・繧繝縁の畳を重ね敷いて、やっと座らせる。
誠に手間のかかる話だが、このあたりの駆け引きは当時としては棄てられない描写である。
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合奏する人々。豪華な合奏シーンが描かれている。優美と言うよりどこか豪快な面白さも見える。
詞書で管弦(かんげん)を「くわげん」と書いてあるのをいくつか見たが、今とは違う読み方をしたのだろうか。そのあたりはちょっとわからない。

辻風が吹き込んで、御簾がまくれ上がり、BOY MEET GIRLの様相になる。
桜の咲く、美しい夜だった。
姫の右手に座り鞨鼓を打つ女房がまた美女である。

4/5.一旦屋敷を辞した牛若丸は、夜半またも長者屋敷の門前に佇み、時を待つ。早熟な少年の、時間を待つ間の表情が面白い。
やがて再び女房十五夜に導かれ、そぉっと姫の寝間へ向う。
ここでの詞書がまた非常に細かい。15人の女房たちの名前と、その房の障子の絵柄を延々と書き連ねる。一間限りの狭さだということを忘れて、その障子障子を眺める。
そしてその房の前を十五夜につれられた牛若丸がそぉっと歩くのだ。

姫の寝間が描かれている。
その丈なす黒髪の乱れが見事な描写である。部屋の内装の見事さも素晴らしい。
ただ単に金ぴかなだけでなく、墨絵で達磨大師の絵も障子に描かれているのが面白い。
目覚めた姫と牛若丸との遣り取りが続く。とうとう仲良くなる二人。
背景は等しく豪華絢爛なままで、少年と少女の小さな動きと表情の変化とを描きわけて、数枚の絵が続く。
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6.後朝である。そのきぬぎぬのわかれを惜しんで姫は泣く。牛若丸も泣きたい。しかし彼はここを去らねばならない。必ずの再会を約して、鞍馬山の天狗より学んだと思しき忍術・霧の印を結んで、牛若丸はその場から消える。
すぅっと消えて画面には残影だけがある。面白い描写だった。

7.再びしょぼくれる牛若丸。強風の中を歩きながらどんどん一向に遅れだす。旅する身のつらさ・はかなさがその表情に描かれている。
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8.蒲原宿の宿きくやでついに病に伏す御曹司。烏帽子は取れてざわざわした髪がのぞく。苦しそうに眉を寄せて寝込んでいる。
先を急ぐ吉次一行は主人与一に御曹司の看護を頼み、砂金や巻絹を置いて出発する。
・・・吉次はとにかく奥州に源氏の御曹司を「売りに行く」のが仕事だと思うのだが、物語の構成上、やや本末転倒な状況に陥っているらしい。

9.きくやの女房は病に伏していても気高い御曹司を見込んで娘婿になるよう強いるが、牛若丸は承知しない。怒った女房は亭主の留守に雇った男たちに牛若丸を海に棄てさせる。
しかしその男たちは、髪はほつれ顔色も悪くとも、気品高き御曹司の様子に打たれ、水中に沈めるのではなく、浜辺の六本松の根元に捨ててゆく。

説経節「をぐり」では照手姫が川に沈められようとしたり、浜辺で苦しめられたりするが、いずれも人の情けと神仏の加護とで救われる。
ここでも、きくやの倉に置かれていた源氏の重宝がそれぞれ童子・大蛇・白鳩・烏などに変化して、御曹司を守りにゆく。

小さな蚊帳のような中で病に苦しむ牛若丸。その周囲に屯する大蛇や鳥たち。海からは龍も姿を見せる。それを恐れて村人は浜に近寄らない。
また源氏の氏神(八幡神)は僧の姿をとって牛若丸から浄瑠璃姫への手紙を預かる。

10.浄瑠璃姫は母にも内緒で女房れいぜい一人をつれて、牛若丸の元へ向う。
やっと蒲原宿へ着いた二人は辻堂で雨をしのいでいたが、そこへ箱根権現の変身した老尼が現れ、少年の死を告げる。

箱根権現はどういう立場で浄瑠璃姫に牛若丸の死を告げたのかが、わたしにはわからない。
一刻も早く助けに行けということなのか、意地悪なのか。
箱根権現と八幡神との力のバランスも関わっているだろうが、そのあたりは不勉強なままである。

11.砂浜から女二人の手で掘り出される御曹司。御曹司の首をかき抱き、嘆き悲しみ泣く浄瑠璃姫と、すっくと立ったまま右手(東方か)に向って祈り続ける女房れいぜい。
姫の涙で蘇生する御曹司。そしてれいぜいの祈願により、元気を取り戻す。
御曹司は必ず姫を北の政所に迎えると約し、二人を重宝が変化した大小の烏天狗に乗せて、家へ帰す。

この大小の烏天狗の描写がグロテスクな絢爛さに満ち満ちている。
室内のあちこちに、巻の始まりを示すためにか、色んなシーンをプリントした<予告>がある。ここでは丁度烏天狗に負われた二人の女の絵が出ていて、わたしは一瞬、甲賀三郎諏訪の説話を思い出していた。
神道集にある甲賀三郎諏訪の説話では、妻・春日姫を天狗にさらわれた三郎諏訪が、その行方を追って地底の国を遍歴するのだった。
だから一瞬、「一難去ってまた一難、今度は姫と侍女が悪い烏天狗に攫われたか」と思ったのだった。
人は(烏天狗は)見かけによらぬもの、彼らは善玉だったのだ、申し訳ない。

12.義経となった御曹司は平氏追討を旗印に都へ上ると途上、約束の通り姫に会いに矢矧の長者のもとへゆく。歓待される一行。女房たちもいずれも華やかである。
しかし浄瑠璃姫の姿がない。いぶかしむ御曹司の前へ墨染め姿のれいぜいが現れる。
浄瑠璃姫は馬追いと勝手に通じ、更に無断で家出をしたことで母の怒りを買って、家を追われて、御曹司を待ち焦がれつつ世を去ったことを告げる。

御曹司はれいぜいの案内で姫の墓前に立ち、ねんごろな法要を行うが、そこで五輪塔が割れて光を放ち、欠片が御曹司の袂に入る。
それが浄瑠璃姫が成仏した証だと悟った御曹司は、そこに「れいぜい寺」を建立する。

墓が割れる、というのは前述の「をぐり」にもある。をぐりは墓が割れて、餓鬼阿弥として蘇生するのだが。
「あらありがたのおんことや築いて三年になる小栗の墓がかつはとくだけ卒塔婆は割れのき倒れ群烏笑ひける」
しかし浄瑠璃姫の再生は、ない。

御曹司の家来は姫の母を簀巻きにする。それを矢矧川へ沈める。簀巻きにする様子と括り付けるべき石の塊がハッキリと描かれている。
中世の人間の心のありよう・モラルの持ちようは、現代とは全く違うことを忘れてはいけない。恩は恩、仇は仇で、必ず返さなくてはならない。
そうしてこの長い物語は終わる。

全巻に亙って絢爛豪華な描写と彩色と金箔遣いとで、本当に煌びやかであった。
眼をどんなに見開いていも全てを見渡せたかどうかわからない。
詞書の味わいも深く楽しむには、今回は時間が足らなかった。
いつか、いつかまたこの長大な絵巻を楽しみたいと願っている。

来月はこちら。SH3B11380001.jpg
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