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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

解脱上人 貞慶 鎌倉仏教の本流

奈良博「解脱上人 貞慶 鎌倉仏教の本流」を見た。
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わたしはあんまり鎌倉仏教に関心を持たずこれまで過ごしてきたのだが、(家の法事でてんてこ舞いしてきたので、わざわざまた、と思っていたのだ)近年になって、信仰とは別な地点・異なる視線で仏教美術を眺める、というある種贅沢な状況に入ることになった。
それに近年大掛かりな仏教美術展が増えたこともあり、それらを見て回って、ただいま修行中なのである。

無知であると言うことは恥ではあるが、これから学ぶことが出来るという点ではいいことかもしれない。
この「解脱上人 貞慶」も初めて知ったので、これから先はこの展覧会を背骨に、色々と学んでゆけるように思う。
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貞慶は信西の孫に当たる人で、興福寺~笠置寺~海住山寺へと移り、たいへん尊崇されていたそうだ。法相宗の人。
そして「解脱上人」という号は後鳥羽院から賜ったそうだ。
同時代の僧侶と言えば法然、東大寺の重源、高山寺の明恵、少し遅れて親鸞、日蓮、あたりが思い浮かぶが、どういう関係性があったかも知らないので、今回の展示で色々と知ることが出来た。

まずご本人の坐像が鎮座ましましている。
下がり眉に口をすぼめた顔で、この像だけでなく絵姿でも同様なので、きっとリアルにそんな顔に違いない。

法相宗の系図がある。ここの始まりは釈迦如来からだということはさすがに知っている。
ちゃんと「貞慶」の名が記されていて、親切に印もついている。

袈裟がある。法相宗において袈裟とは非常に重要な意味合いを持つ。
衣鉢を継ぐ、と言う言葉もここから来ている。
横溝正史「獄門島」のラスト近くで、真犯人の一人・島のお上人が弟子に後を継がせる場があった。そこで法相宗の色んなことがなんだかんだと書いてあり、それが妙に印象に残っているのだった。

玉葉があり、そこにも貞慶のことについて書かれている。
興福寺でたいへんな働きを見せた貞慶は人々の引き止めも振り切って、笠置寺に入る。
この時代の一級資料「玉葉」にそのことが書かれている。

ここで巨大パネル展示があり、現在の笠置寺の風景写真が出ていた。
なつかしい。
わたしは小学校の林間学校から大体十年おきに笠置に遊んでいるのだ。近年はまだ行ってないが、久しぶりに行きたくなってきた。
・・・つまりわたしにとって笠置とは、ハイキングと避暑地であり、南朝の舞台という地なのだった。

興福寺曼荼羅 上部に安置される仏たちが描かれ、下部には塔が建てられている。

出家はそれでも世に棲まうが、遁世は世を棄てる。
中世の人々は何故そんなにも「棄てて」生きたのだろう。

菩提心を起こして笠置に隠遁する貞慶。それを止めようとする人々の熱意が当時の資料に残されている。彼はエリート僧として興福寺にそのままいる道を選ばず、笠置に出た。
笠置でもよく働いたというが、その原動力は一体なんだったのだろう。
そのあたりのことを知る術がない。

笠置縁起、諸山縁起などの古文書がある。絵巻ではない。
文章だけの笠置寺縁起に平安末期の天皇の名前が書かれている。
高倉帝、後白河法皇の臨幸、安徳帝は寿永元年に行幸されているようで、その侍従に貞慶の名がある。28才だと書いている。

笠置の磨崖佛はすっかり摩滅している。わたしが最初に見たときも輪郭線のみだった。
南朝の話を聞いて後醍醐天皇の行在所にも行ったりしたが、その笠置寺の話は覚えていない。十年前に行ったときもやっぱり摩滅していた。当たり前の話だが。

今回はじめて知ったのは、大野寺の磨崖佛が笠置のそれを忠実に再現したものだと言うことだった。そしてそれは後醍醐天皇臨席の行事だったのだ。
大野寺のを見てみたいとこないだから思っていたが、それを聞いていよいよ執意は深くなってきた。

弥勒信仰についても詳しいことはよく知らないが、しかし弥勒世とは末法を越えて一度廃された後に来る時代だと思えば、現世に執心を持つことは許されないのかもしれない。
そんなことを頭の片隅で考えながら眺めて歩く。

弥勒菩薩図案集が出ていた。
見開きページの右側が坐す弥勒、左が立姿だったか。どちらもどこか他で見た記憶がある。
あるはずで、坐す弥勒はこのすぐ後に本絵が現れ、左の立姿は「笠置曼荼羅」(大和文華館)と同じ姿なのだった。(笠置曼荼羅は期限公開で、既に終了)

宝山寺の弥勒菩薩像が現れた。先の図案とよく似ている。朱唇と朱の衣を腰に。
天蓋は剥落が激しいが、その剥落でさえも美の対象になる。

色のことで知ったのは、南都は赤と緑の配色が特色だということだった。
クリスマスカラーだと言うてはいけない。
わたしは宝山寺(生駒の聖天さん)には獅子吼閣見学のために訪れていたが、肝心の神仏詣ではしていなかった。
生駒のケーブルも可愛いし、今度はここにも純粋に遊びに行こう。

護法善神像(持国天・増長天・常啼・法涌) 板絵。剥落も少ない。色の濃さがしっかりしている。鎖された内側の絵だからか。

輪宝羯磨蒔絵舎利厨子 貞慶から明恵へ伝わったもの。大変綺麗な厨子だった。
方形厨子・円筒形厨子。四天王と僧形の者と○△□の石塔も描かれている。

ところで貞慶は「鎌倉仏教の本流」ということで専修念仏の法然を批判している。
思想の違いに和解はない。
溝の深さは資料などからもうかがえる。
その一方で東大寺の重源とは親密だったようだ。
貞慶が特に振興を深くしたのは弥勒菩薩だった。そのあたりの資料を見るのも興味深い。
春日信仰も深い。観音信仰も深い。広く信仰する、というあたりにも惹かれる。

欣求霊山講式 ここでいう霊山とは天竺の霊鷲山のことで、それは日本では笠置だと主張していた。笠置がそんなにも高い地とは思いもしなかった。

法華経曼荼羅 砂浜の上に仏たちがわらわらと集まり、それぞれの立ち位置に分かれている図。水の流れがくれば一つになるのだろうか。

春日権現験記絵 笠置に春日明神を勧請しようとする。鎮守のための勧請。荒菰に春日明神が乗り移られる。お運びする。そして春日明神のお使いの巨大な鹿が二頭現れる。
妙にときめく。

伝香寺のお地蔵さんが来ていた。衣装を後でお着せする。可愛らしい。素朴な信仰心というものを感じる。 

文殊菩薩立像 五髻文殊と呼ばれる。髪型に特色がある。5つの髷がついている。案外可愛い。少年風に見える。首と胴との比較がちょっとヘンなので、作り直しなのだろうか。

海住山寺に伝わるものを見る。
海住山寺縁起 緑色の太陽からの光線、という図は初めて見た。
海住山寺修正神名帳 多くの明神の名が書き連ねられている。初めて見る名もある。
五重塔初層内陣扉絵 剥落もあるが、しっかりと顔立ちが描かれている。特に東面・南面にイケメンがいる。チラシに出ているのは西面。
四天王立像 緑や赤の顔。はっきりと色が残っているのもいい。
蓮華化生図 可愛い童子が合掌する図。可愛い二の腕が目に残る。

こうして眺めて歩くと、奈良の古寺を訪ねてみたくなった。
それになにより、久しぶりに笠置に行きたい。山に登り、笠置の案内猫・かさやんにも会いたいし、笠置館にも久しぶりに出向きたい。
・・・・・鎌倉仏教の本流を学ぶはずが、行きたくなるお寺の案内を受けたような気がする。

展覧会は5/27まで。その後は金沢文庫へ巡回。
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