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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

モダンガール万華鏡

千葉市美術館で「モダンガール万華鏡」展を見た。
こちらも新版画と日本画で構成された展覧会である。
好きな作品が多く出ていた。
 
☆明治時代のおしゃれな女子たち
明治のハイカラさんといえば、やはり束髪で海老茶袴の女学生を思い出す。

豊原国周、楊州周延ら浮世絵師の明治女子のおしゃれカタログのような作品がある。
いずれも束髪をメインにしたもの。
芳年も「風俗三十二相」の明治むすめ、細君が出ている。
わたしの曾祖母は明治生まれの人だが、さすがに話を聞く機会はなかった。
母方の祖母の母は自宅で呉服屋・油屋・質屋・カフェーまで営んでいたというから、やっぱり活発だったのは確からしい。
浮世絵師らの描く明治女子を見て、見ぬ世の曾祖母らを想おう。

山本昇雲が二点出ていた。どちらも最初に見たのはdo!family美術館だった。
'06年に昇雲の回顧展が太田記念であり、そのときに再会するまで、なかなか見ることのなかった絵師だが、こうして千葉市美にいることがわかって嬉しい。
こちらも無論束髪女子。可愛い。

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☆瞳は語る 夢二式美人
明治末から対象にかけての「美人」はとにかく目が大きくて潤んでいる、というのが第一条件だった。そして丸顔も人気があったそうだ。

夢二、藤島武二のアールヌーヴォー美人、北野恒富の大きな目の美人が居並んでいた。
これぞ現代の「目ヂカラ」美人の先達である。
ここには出ていないが、わたしは高畠華宵の美少女に憧れ、恒富美人に憧れ、そんな目つきになろうと努力したところ、「妖しい」目の少女にはならず、「怪しい」眼のナゾのヒトになってしまったのだった。

☆大正時代の妖婦たち
この時代くらいから「ファム・ファタール」の概念が広がってゆくようになったと思う。
江戸時代は「悪婆」(アクバ。決して婆さんではなく、芝居において魅力的な悪女役の総称)、明治に「毒婦」という言葉が広がり、大正で「妖婦」というのも素敵な流れだった。

横尾芳月 線香花火 床机に座す女と、べったり座って煙草盆の上で小さく線香花火を楽しむ女と。なんとも艶かしい。していることは稚気あふれる可愛さがあるのに、とても妖艶に見える。

近松門左衛門第一次ルネサンスが、大正期にあった。二次は戦後の関西歌舞伎と文楽から。
情話シリーズがよく売れた。長田幹彦、吉井勇、谷崎らがよく書いていた。
そして上方から西の画家たちが、近松の戯曲の主人公たちを描いている。
夢二「小春」「治兵衛」、恒富「梅川」、島成園「夕霧」・・・
恒富も成園もなんとも艶かしい眼をこちらに向けている。

吉川観方、三木翠山らの舞妓もそこにある。翠山の舞妓は手にしたお盆に五山の送り火(大文字焼)の字が映るのを見て、にんまり笑っている。
昔の上方の、色町の女以外ではありえない表情。

☆全部脱ぎました。
この章のタイトルにはウケた。浴女たちである。前後ということで。

五葉、深水、言人、小早川清らの見慣れた裸婦たちがいる。着物や手ぬぐいが身体のどこかに掛かっているからこそ、いよいよ艶かしい、日本の女たち。
布があるからこそ、却って魅力が増すのだった。

石川寅治「裸女十種」のうち三点が出ている。
鏡の前でポーズを取る女がいい。壁紙・カーテンの柄も、鏡台ではなくドレッサーだというのも、いかにも大正的。

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☆弾むカラダ・踊るカラダ
こちらは裸婦メインではなく、活動するカラダを集めている。

戸張孤雁「玉乗り」、広島新太郎「曲芸の女」、平川清蔵「曲馬団」、川西英「曲馬」「軽業」・・・
ハーゲンベックサーカス団が来日して以降、本格的なサーカスへの愛情が日本人にも生まれている。
ユヤユヨーン、という掛け声が掛かるのを、これらの絵の中に見出そう。

山村耕花「踊り 上海ニューカルトン所見」、小早川清「ダンサー」はこの千葉市美術館の企画した「日本の版画」シリーズで見たものだった。あの五度にわたる連作企画は今も忘れられない。
描かれたモガたちの自信満々な表情がいい。

☆展覧会と「美人」
屏風絵の美人たちである。

森広陵 逍遥 唐美人が林の中を逍遥している。琴は下にある。大人しい美人。

芳月 和蘭陀土産 これは昔、別な美術館の所蔵だったときに見ている。懐かしく思う。花魁の座すそばに大名時計がある。赤い絵。ここに入っていてくれて安堵した。

小早川清 赤いドレス 構図自体は同時代のほかの作家たちの作品でもよく見ているから、この構図は当時流行していたのかもしれない。そのあたりはわからないが。
これも赤の目立つ絵。毛皮が膝元にあり、女は遠くを見ている。

☆モガ街をゆく
こうした作品群を見るにつれ、自分もこの時代にいて今と変わらぬ暮らしぶりをしていれば、さぞや楽しかろうと思ったりするのだった。あくまでも夢想でしかないが。

夢二の「婦人グラフ」表紙絵が並ぶ。夢二の美人画のうちでも、このシリーズは特に好ましい。

恩地孝四郎 ヒヤシンス 近年、恩地の美人たちに眼を惹かれるようになった。彼は創作
版画のヒトだから、日本画の線上ではなく洋画のそれを走っているが、時折その作品にパリのエスプリとでもいうものを感じたりする。

小早川清「近代時世粧」シリーズが出ていた。このシリーズを見ていると必ず、甲高い声で歌う「昔懐かし銀座の柳 ジャズで踊ってリキュールで泣いて」というあれが脳裏に流れ出すのだった。

前川千帆のリノカットも出ている。花売り少女が特に可愛い。

☆モダンガールの光と影
そしていよいよ終焉がくる・・・・・

織田一磨の女給たちが三点ある。活動の、銀座の酒場の・・・少しの退廃と共に妙な元気がある。アップではなく、風景の点描の中の女たち。

恩地の「今代婦人八態」も半分出ていた。「鏡」「珈琲」「湯上り」「新聞」。モガは時代の先端を行く、ということをこの連作から感じる。

平川清蔵 悪の華 島田に結うた女が胸を出している。着物姿の現代女子には妙な迫力がある。

そして展覧会のキャプションから、モダンガールの時代の終焉を知る。
恩地 白亜(蘇州所見) 真っ白い壁。ずっと奥に佇む中国女。背中を向けて振り向くことはなかろう女。
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時代は昭和15年になっていた。もう何の楽しみもなくなる時代に来ていた。
寒々しい部屋で背中を向ける女といえばハンマースホイを思い出す。
この中国女にも深い断絶を感じる。

同時開催のメイン展「渓斎英泉」展と共に7/8まで。
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