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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

静嘉堂文庫 至高の中国絵画コレクション

静嘉堂文庫は今年節目の年で「受け継がれる東洋の至宝」として企画が立てられている。
今は「東洋絵画の精華」の後期「至高の中国絵画コレクション」が出ている。6/24まで。
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近年は水墨画を始めとした中国絵画に強く惹かれるようになってきた。
これは昨年から今年初めの関西でリレー形式で行われた「関西 中国書画コレクション展」で大いに目を開かれたおかげだった。
それ以前からだんだんと啓蒙されてきて(古い言葉だが、本当にそういうのがふさわしい)、そこへあの大々的なリレー展が来た。
今では中国絵画を楽しむことができるようになり、面白い日々が続いている。

岩崎コレクションのラインナップを見ていると、関西で見知った画家たちの作品が多くあり、初見の作品であってもなにやら慕わしい、懐かしい心持になる。
こうしてまた新しい喜びを知り、それが深まってゆくのを楽しいと思う。
幸せの種は尽きないものだ。

南宋から元・明・清へと時代が下がってゆく。その流れを見るのもいい。

「再現性で自然を表す」と解説がある。リアルな描き方という意味だろうかともう一度絵を見る。

風雨山水図 伝・馬遠 切り立った崖、枝のしなる松、細い小舟、岩の重み。
山水図 伝・夏珪 汀の草の表現。
楼閣山水図 孫君沢 先の松に似たその木の下での、しっかりした建物での対話。

室町時代の水墨画が、これらの絵から受けた影響の大きさについて、改めて実感する。
先般、泉州の正木美術館で見た「古代礼賛中世憧礼賛」での室町水墨画は、たしかにこの世界を先祖にした、と感じるからだ。
南宋という時代は、絵画とやきものとを日本に運び、その美意識を高める役目を担ったのだった。

羅漢などを見る。
羅漢図 牧谿 すごいツリ目である。寝ているようだが、眼を開くと案外普通の眼になるかもしれない。 
寒山図 虎厳浄伏題 筆もって笑っている。相棒はいない。案外こざっぱりしたナリである。
羅漢図冊 雪庵 何番目の尊者が知らぬが、にんまりしていたり、じーっと黙るものがいた。
十王図・2使者図(第一秦広王) 孔雀の羽根を冠につけた女二人は補佐官か。
最近は「鬼灯の冷徹」にハマッているせいか、十王図を見ても「お疲れ様です~」な心持になるのだった。

元の絵画を見る。

文殊・普賢菩薩像 伝・張思恭 文殊の青獅子は獅子飼いに向って「ニャーッ」、普賢の白ゾウはゾウ使いにニコニコ。両菩薩はおじさんの態を成しているが、普賢は手に蓮の花を持ち、文殊はなにやら細い棒を持つ。左右対称の構図に近いのは、真ん中に本来は釈迦如来図があったから。その頃は東福寺で三幅対だったのだ。
元代の絵だけに、装束も華やかな「異国風」に見える。
獅子飼いもゾウ使いも共に色黒なのは「崑崙奴」を思わせる。

四傑四景図「妻不下機」 謝時臣 明・嘉靖30年(1551) 旦那が帰ってきても「おかえり」と迎えることなく、懸命に機を織って働く図・・・。タイトルも「妻ハ機(はた)カラ下リズ」とあり、なにやらワケありな様子を描いたもの、らしいのだが、わたしの眼にはどうも「遅くなって帰ってきた旦那に腹を立ててる奥さん図」にしか見えない。現にこのタイトルも「妻不機嫌」と打ち込んでから「嫌」を抜かし「下」を入れたのだ。
絵もションボリしてる夫に知らん振り奥さんの図で、旦那を無言で励ますというよりも無言で苛む奥さんにしか見えない。また旦那の荷物もまだ外だし。
この故事を知らないからそう考えるのだが、案外本当のところも・・・

追記:ツイッターで教わったが、「妻不機嫌図」で正しかったみたい。つまり遊説して帰ってきても家族皆さん知らん振りだったとか。それで奮起してがんばったとか云々。
でも言わせてもらえば、このヒトは奮起が成功したけど、夢見すぎて家族にメーワクかけるオヤジって大昔から今に至るまで後を絶たないねえ・・・


月梅図 劉世儒 若冲もこうした絵も手本にしていたかもしれない。
枝ぶりや月の位置がいい。

荷花図 陸治 蓮と奇岩の図。白蓮とほんのりピンクの蓮と。葉の裏向き加減がいい。

秋景山水図 李士達 万暦46年(1618) リーフレットの表紙を飾る。あずまやで楽しそうに語らう二人。霧が出ていて、ちょっとひんやりしていそうである。話に夢中で帰る時間も忘れている。そんな雰囲気がある。

秋景山水図 藍瑛 崇禎11年(1638) 貫名海屋の跋文と谷文晁の模写とがあった。似せてはいるが、やはりそれぞれ別な絵と言う感じがある。
正直なところ、原本をみたとき「・・・雰囲気的に親しいような」と思った。つまりこの絵は喩え初見であっても、その世界に馴染みがある、ということだ。それは江戸中期の文人画家たちの作品に多く触れることで、自分の身の内にもそのエッセンスが染み透ってきた、ということかもしれない。
かつての日本人の嗜好の流れが見えてくる気がした。

牡丹図巻 李日華 墨の濃淡と滲み・暈しで牡丹を美麗に描いている。没骨で花を描き、葉だけを線描する。描き分けが巧い。

老子過関図 陳賢 この絵が明末から清初に描かれたということと、老子が牛に乗ってサラバということとを思い合わせると、感慨深く感じる。
キョトンとした牛の目は可愛らしく、背に乗せた丸顔の爺さんを落とす気配もない。
背景の林の描写は幹が点描に近く、妙な空気が漂っていて、もうここは祖国ではない、そんな雰囲気がある。

そして清朝になる。

花鳥図 謝時中 清・康熙13年(1674) 人面岩と水仙。

沈南蘋 老圃秋容図 清・雍正9年(1731) なんだかんだと朝顔などの花が咲く岩と木の下で、白地に斑の猫が蝶々を狙っている図。蝶も猫も吉祥なのだが、そんなめでたい図というより、いたずら猫の爛々とした目や、うずうずしたところがいい。
大人しい猫より、何かしでかしそうな猫が大好きだ。

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山水図 江大来 清・嘉慶14年(1809) 山水図と言うてもぽつんと一軒屋や大邸宅ではなく、どうも家々が増えだしている。別荘地として売り出したところ、なかなかよく売れてきた、そんな地に見える。どこの会社が請け負ったのかは知らないが、基本的に同じような造りの家が多いので、分譲の値段の差異は場所や向きだろうか。
・・・・・「芸術」からとても遠いことを考えていた。

百花図巻 余崧 清・乾隆60年(1795) 
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この華やかな図巻は展示室の看板下に展示されていた。前期で言えば平治物語の信西の巻が開かれていたあの場所である。
万両、紅椿、白梅に始まり、群雀、朴、牡丹、朝顔、菊に松まで91種が描かれている。
彩色鮮やかで形もよく、豆彩を思わせる繊細精妙さがある。
いっそ帯に欲しい、と思う。

いいものをたくさん見て、機嫌よく次の秋季展を待つ。
この猫のようなココロモチで。zen510-2.jpg

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