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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

マリー・ローランサンとその時代 巴里に魅せられた画家たち

もう今日までだったが神戸の小磯記念美術館で「マリー・ローランサンとその時代」展があった。
「巴里に魅せられた画家たち」という副題があるとおり、パリに集まった同時代の画家たちの作品も多く集まっていた。
特に心に残る作品を挙げてゆく。

最初にローランサンのキュビズムの影響を受けた肖像画が数点あった。
1908年に描かれた「ピカソ」と「アリス・ドラン(アンドレ・ドラン夫人)」などである。
どちらも横顔で、特に若いピカソの野心的な表情がよく出ていて面白い。
平面的な横顔はキュビズムの影響を受けつつ、エジプト壁画のようでもある。

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段々と「マリー・ローランサン」らしい絵が現れ始める。
それらは厳密には時代時代の違いもあるのだけれど、いずれもローランサンの夢のように優しく美しい作品なのだった。
一つ一つをこまかく書く必要性は彼女に関してはむだのように思う。
その絵の前にいて、その絵に惹かれて、その絵を楽しむ。
それだけでいいと思う。
そしてときどき、特に気に入った女に対して、そっとこちらから微笑と言う合図を送る。
それだけで絵の女と<わたし>とは心が通じるのだ・・・・・

キース・ヴァン・ドンゲンは特に好きな画家の一人なのだが、なかなか回顧展がない。
この「腰掛ける婦人」はいかにも1920~30年代の空気が出ていて、魅惑がある。
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ニューオータニ美術館、松岡美術館でドンゲンの描くモダンなパリの女たちを最初に見たとき、わたしはほんとうに憧れた。
一番好きな時代のパリの女たち。なんという魅力的な存在なのだろう。
20年ほど経った今も、ドンゲンの女たちには憧れがある。

ルオー 飾りの花 近年になってからやっとルオーの良さも多少わかるようになってきた。
あのマティエールがニガテなのだ。しかしこの花はやはりルオーらしい肌合いでなくてはいけないように思う。
花たちは一つ一つ個性は持たされず、顔を露にしない。しかしその太い輪郭線の中でそれぞれの色を強く押し出している。オレンジとブルーの花が眼を引き寄せる。
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フジタの裸婦があった。猫はいない。ちょっとさびしい。この絵の解説に面白いことが書かれていた。フジタの「グラン・ブラン」にはシッカロールが使われていた、とか。
そうか、この裸婦たちは天花粉をはたいていたのか。
そう思うとこれまでになく彼女たちに親しみが湧いてきた。

モイーズ・キスリングの回顧展も20年ほど前に三越でみた。
そのとき、女たちよりミモザの花を始めとした静物画のほうに惹かれた。
だんだんキスリングを見るようになってくると。やっぱり女たちのよさが比重を大きくしてくる。
ハンモックの婦人 これはやはりニューオータニでみたもので、そのときに買った絵葉書をここにあげておく。とてもハキハキした色彩で、心も明るくなってくる。
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ローランサンはコクトーとも一緒の仕事をしている。
バレエ・リュスの仕事である。ロシア人のディアギレフはコクトー・プーランク・ローランサンというパリ生まれのパリ育ちの三人に、パリの空気を漂わせる作品を依頼している。
ローランサンの「牝鹿」のエッチングや、その関係の資料を見ていると、それだけでトキメキが生まれる。

わたしは本当を言えばその前代のニジンスキーのいたバレエ・リュスに深い熱狂を懐いているのだが、たしかに都会の魅力をニジンスキーでは見れないだろうとも思った。
たとえテニスをモティーフにした作品が彼にあろうとも。

レオン・バクストの衣装デザイン画とニジンスキーの「シェヘラザード」の奴隷写真があった。ニジンスキーの歓喜に満ちた表情を見るだけでゾワゾワしてくる。
しかしこれはやはり1910年代のパリのものなのだとも感じるのだった・・・

日本人画家の絵が並ぶ。
先に所蔵の小磯作品を見たが、そこで未来派の影響を受けたような「夕顔」を見て惹かれた。あれは1929年の絵だった。
それから「花(アネモネ)」1932年。花瓶とテーブルの敷物との配置が絶妙な絵。
2つとも「小磯良平」の上品なイメージから少しばかり離れた配色の作品だった。

やはり「ローランサンの時代」の絵を見ることで、なにかしら脳細胞がそちらにむけて活性化しているようだ。

佐伯祐三 リュクサンブール公園 死の前年の作。並木のずっと向こうは見えない。しかし空はある。そしてヒトビトが歩いている。青空は細いVサインのようにも見える。
空のある絵、なのだ。zen563.jpg

佐伯 扉 青銅の扉。力強く重いドア。見ていると気合が入ってくる。しかしドアは永遠に閉ざされたままなのだった。

児島虎次郎の暖色系の親和力のある作品が多く来ていた。
とてもボリューミーで好きな世界。
手鏡を持つ婦人 ネックレスは翡翠だろうか、赤地に小さな柄の入ったカットそー?を着て、濃いオレンジ色のスカートをはいている。普通だったらこんな取り合わせはいやだが、虎次郎の絵になると、それがまたゆったりふくよかで魅力的に見える。
白い腕が紫色の掛け物に置かれているのもいい。重いような暑苦しいような暖色系であっても、白がそれをうまく引き締めている。
児島の作品は他にも「室内」「ランプと暖炉」などなどがあり、いずれもとてもよかった。
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荻須高徳 シャルルの肖像 葉巻を手にした、苦みばしったいい男である。フランス男はやっぱりちょっと中年にならないと魅力が浅い。彼は申し分なくいい男だった。
このシャルルはダレなのかは知らない。オギスにはフランス人の友人やパトロンが多いから、調べればわかるかもしれないが、どのシャルルであれ、この絵のシャルルはとにかくかっこいいのだった。

荻須高徳 創作家具屋 インテリアを売る割には店構えにセンスが感じられないなあ、と思いつつ・・・
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フランスにいた頃の小磯の絵がある。
ブルターニュの港町を描いたものは湾内にヨットがキラキラ浮かび、カーニュはスーティン風なグネリをみせていた。どちらも明るく、いい絵である。
しかし小磯の絵はやはり日本で熟成されたものだと思う。
日本にいて、日本で描いたからこその、上質な味わいがある。

最後に三岸節子の絵があった。1999年になくなったとはまだ思えない。
彼女の絵は女たちを励ましてくれる。どの絵にも彼女の力強い生命が活きている。
それを見ることでこちらも、がんばろう、活きてゆこう、生き抜こう、と思うのだ。

もや 変な一団がもやの下でなにやら紐らしきものを持って踊っているような・・・古代の宴なのか、カルト教団なのか。不気味である。このもやがまた重い。何かに追われているような気がしてくる。立ち向かうべきか逃げるべきか・・・

アンダーソンの壷と小鳥 白い小鳥が二羽、仲良くしている。そのそばには大きな壷。
'50年代の三岸のアトリエの風景を想う。

花・果実 これは暖色系でまとめられているが、グイグイと線が強い。はみだしはしないが、色を線で押さえ込んでいるように見えた。
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最後の最後に見に行ったのだが、いい展覧会だった。充実していた。

最後に小磯の「踊り子」zen560-2.jpg

やはりとても上品ですてき・・・
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コメント
いけなかった
 せっかく二つ泊まったのに ニューオータニ美術館を
 見ることができませんでした。次回・・・あれば・・・必ず。
 佐伯祐三は 博多で見ました。独特の意雰囲気が 好きです。
  
2012/07/10(火) 07:02 | URL | 小紋 #-[ 編集]
☆小紋さん こんにちは
ニューオータニは今丁度江戸のお化粧でしたかね、面白い企画もあったようです。
江戸風メイクですw

佐伯は今日また記事を挙げますが、彼がヴラマンクにののしられなければあの世界は生まれなかったろうし、しかしののしられたがために自分を追い込んで追い込んで、芸術のために体を蝕まれていったのを考えると、やっぱり可哀想です。
2012/07/10(火) 12:47 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
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