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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

佐伯祐三とパリ ポスターのある街角

大阪市立近代美術館(仮)で「佐伯祐三とパリ ポスターのある街角」を見た。
佐伯の展覧会をここが開くのは久しぶり。
去年出たチラシと今年のもの。
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絵は同じ「レストラン(オテル・デュ・マルシェ)」
タイトルのロゴと位置が違い、絵のサイズと色調が少し違うだけで、全く別物にも見える。

前回は「人形」の絵が注目を集めていた。今回も「人形」は半券になっている。
なんとも艶かしい人形である。

佐伯がまだヴラマンクにののしられる前の作品を見る。
パリ遠望 ロート風なパリがある。

ののしられて苦しみぬいて描いていた時代のパリの街角を見る。
共同便所 パリの中の一部が切り取られている。
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短い晩年の作品を見る。
郵便配達夫(半身) じっとこちらを見ている。
郵便配達夫 このモデルについて奥さんは「神様ではないか」と思うようになったと語っている。
全身の作品は見慣れているが、半身だけの作品はあまり表に出てこない。
改めてその「半身」を見ていると、不思議な感慨がわいてくる。
神様もやっぱり佐伯にいじわるしすぎた、と感じていて、このおじさんを遣わしめたのだ、と観ているこちらまでそんな気になってくるのだった。

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佐伯の描いたパリ風景を見ながらこの室内を歩くと、自分もまたその時代のパリにいて、やっはり「どうすればよいのか」と考えてしまっているのだった。
佐伯の生涯を思うと、ただ見ているだけでは済まなくなる。
佐伯のパリ風景には、そんな呪縛力がある。

決して遊びに行きたくなる風景ではない。
佐伯も、その街中に佇みたくなるような絵は描かない。
街の中に溶け込むような絵もありえない。
佐伯のパリはあくまでも佐伯の目の外に広がる光景なのだ。

佐伯は街角の広告を自分の好みのものに置き換える。
実際にこんな広告があったのかどうかわからない。広告とは思えない広告。
しかし佐伯の描く広告は佐伯のパリから撤退しない。

ポスター芸術は佐伯がパリに入るもっと前に確立していた。
一個のポスターがその用途を超えて芸術になる。
佐伯はしかしそのポスターを再現するようなことはしない。

広告(アン・ジュノ) 薄汚れた建物の壁面に白馬に乗る男のポスターが見える。
曇天で道も良くない日、汚れた壁のポスターが見るものを招ぶ。
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この展覧会ではない別な展覧会だったか、佐伯の画面に活きる書を楽しもう、という声があった。広告の文字である。
佐伯オリジナルになった広告、そこには佐伯の書があふれている。
それを楽しめといわれて、あらためて広告の手書き文字を見てゆくことにした。
荒々しい殴り書きに思えるのだが、中にはやはり、この「書」がなくては絵のインパクトが薄くなる、と感じるものもあった。

壁 この絵にはポスターはないが、建物そのものに文字が書かれている。そしてこれはやはり「壁」だとしか言いようのない絵なのだ。
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三岸節子の「パリーの壁」もまた汚れている。しかしそこには彼女の爪あとを感じる。必死で生き抜く力を感じるのだ。
佐伯の壁は佐伯の爪跡を残したろうか、いや、そもそもその壁に佐伯は爪を立てたろうか。

今回、佐伯の風景よりも人物に目を向けた。
先の郵便配達夫に「ロシアの少女」に、人間ではないが「人形」が目に残る。
殊に「人形」は最初に見たときの衝撃が今も残っている分、時間が経った今になっても、展示されていることが嬉しいような心持になる。
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無論「人形」はわたしを知らない。自分を購入した佐伯のことも知らないかもしれない。そんな顔立ちをしている。
だからか、純粋にあえて嬉しいわという言葉は使いたくない。
ただ、その魅力に溺れるばかりなのだ。

佐伯をめぐる画家たち、というコーナーがある。
里見勝蔵と荻須高徳らである。
里見が佐伯をヴラマンクに引き合わせた。
荻須は佐伯の死後もパリにとどまり、名を挙げてからパリで死んだ。

荻須の描いた「エドガール・ギネ街」は佐伯と同じ建物を描いている。公衆便所である。
これまで荻須の絵を見ていても、佐伯ほどの魅力を感じなかったのだが、近年少しずつ荻須の面白さがわかってきたように思う。
特に去年の高島屋での回顧展で荻須をいいように思うようになった。
そんな状況で荻須の絵を見て、初めて荻須の個性というものをはっきりと感じた。
対象があんまり私好みではないのだが(笑)。

荻須 ムフタール街 佐伯のパリには行くのをためらうが、荻須のこの「ムフタール街」は出かけてみたい、と思った。
配色の明るさがそう思わせるのかもしれない。

同時代のパリの街角のポスターを見る。
佐伯も当然見ているに違いないが、しかし佐伯はポスターの再現を自身の絵には行わなかった。
ゴッホが浮世絵を自分の絵の背景に取り込んだのとは逆に、佐伯はポスターの元の個性を徹底して排除した。

ここに展示されているポスターはサントリーコレクションから。
サントリーがグランヴィレコレクションを一括購入した1990年、当時朝日新聞社の並びにあった大阪府立情報センターで一般公開があった。
あのときの楽しい心持は今も胸の底に生きている。
サントリーは住友の次の時代に、大阪の文化を支援してくれた、ありがたい企業なのだった。
21世紀の今はもうどうしようもない状況なのだろうか・・・

ロート、ローランサン、ヴァラドンらの作品がある。
「佐伯祐三とパリ」は「ローランサンとその時代」でもあるのだった。
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里見宗次 KLMオランダ航空 カッサンドルを思わせるスピード感がある。1932年の作。最初はヒトの影響を受けたものでもいいのだ、そこからどんどん自分のオリジナルを探していって、一途に続けるうちにオリジナルが生まれるだろう。

わたしがとくに気に入ったポスターは二枚ある。
ドンゲン「サロン・ドートンヌ」1929年とフジタ「サロン・デュ・フラン」1925年のそれである。どちらも南洋の女、または少年のような趣があり、魅惑に満ちている。
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ジョゼフィン・ベーカーが彼らと同時代人だということを思い出す。

シャルル・ジェスマールという名も、このタイトル「ミスタンゲット」も知らないが、絵ばかりはよく知っている。池田文庫にも所蔵されていて、わたしはこれを見るたびにパリのレビュー音楽が頭の中に流れるのを感じる。
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時代の最先端を感じさせるポスターもある。
カッピエロの「ラジオ」とブロデール「マルセーユ」。
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その頃から少し後年のフランス映画を見ている気になってくる。

佐伯の絵の中のポスターよりも、やはりオリジナルポスターの方に惹かれた。
7/16まで。
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