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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

川合玉堂と東京の画家たち

既に終了しているが、記憶に残る展覧会だったことを形にしたい。
野間記念館「川合玉堂と東京の画家たち」の感想である。
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ここはいつもいつも所蔵品からピックアップするので、「またか」「あきた」などとのたまう向きもあるかもしれない。
しかし、野間コレクションはこの美術館が開館されるまで、わずかに数度しかデパートなどで展示されるばかりで、「まぼろしの野間コレクション」と称される存在だったのだ。
こうして美術館としてオープンしてからも未だに世に出されない作品があるのだ。
しかも莫大な描きおろし色紙コレクションがある。伊達や酔狂で拵えたものではなく、真摯な製作態度で臨んだ作品であることは、その色紙の前に立てばわかる。
現在、近代日本画を柱にした美術館といえば、(作家名を冠した美術館は別として)山種美術館と、この野間記念館ばかりではないか。
安価な入館料、落ち着いた環境、楽しい展示。
野間には永遠に美術館として存続して欲しい、と真剣に願っている。

さて前置きが長いのには理由がある。今回の展示、「またか」の川合玉堂と東京の画家たちの作品が集まっているのだが、その出品された作品の展示の配置、選び方などなど、非常によかったのだ。
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玉堂 鵜飼 働く鵜と鵜匠と。松明の火の下で忠実な鵜たちが自分らの親方の手元に帰り、獲物をみせる。昔からどうも鵜が可哀想でイヤだと思っていた鵜飼だが、あるとき一人の鵜匠が「鵜は鵜匠の弟だ」と言うた、というのを聞いてからそうそうイヤではなくなった。
首を絞める行為は残虐だが、ちゃんと程を知っている。鵜もタイミングを知っている。
玉堂の「鵜飼」にはそんな鵜と鵜匠の関係が温かく描かれている。

玉堂 寒庭鳴禽 枇杷に止まるヒヨドリ。構図もいかにも日本画的なのだが、この絵はその和紙に魅力があった。少し毛羽立っていて、それがヒヨドリの羽毛と枇杷の葉のざわざわ感とをとても深く表現している。
この和紙は小杉放菴の愛した和紙のような趣を感じた。

木村武山 十二ヶ月色紙のうち六月・とくさに鷲 これはもう一目見て「親分!」と呼びかけたくなる絵だった。

大観 波に千鳥 なんだか随分目つきの悪い千鳥である。

龍子 早春雉子 絵の上部は装飾的なのだが、下部に蹲るようなキジがいて、それが非常にねっとりしている。使われている赤色がまた滲みのせいでか、血を薄めたのが広がったように見えた。

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池上秀畝 残月杜鵑 夜に空を翔る杜鵑を描いた絵は、どれを見てもある種の緊迫感を感じる。何かしら覚悟を求められているような。

荒木十畝 黄昏 紫苑の下に白猫がひっそりと現れる。この絵は当時たいへんな好評で、彼を無鑑査から外した不明を恥じて、時の院長の森鴎外が謝った、という逸話がある。
そんな逸話を知らずとも、この絵の良さはわかる。色の美しさ・構図の面白さ、全体と細部それぞれの楽しみがある。

映丘 池田の宿 この絵も上述の「黄昏」も何度もここでも紹介してきたが、やはりいいものはいい。この絵を見ながら自然と「落花ノ雪ニ踏み迷フ 交野ノ春ノ桜狩 紅葉ノ錦着テ帰ル 嵐ノ山ノ秋ノ暮レ・・・池田ノ宿ニ着キ給フ」という一文が浮かぶ。

ところで前々から思っているのだが、野間記念館には四季を代表する大作屏風があるが、そのうち春は麦僊「春」、夏は秀峰「蛍」、秋は大観「千与四郎」がすぐに思い浮かぶのだが、冬はどの屏風があるだろう・・・
ちょっと今咄嗟に思い浮かんでこない。
その夏の代表「蛍」・・・いつ見ても綺麗な情景。
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玉堂 十二ヶ月色紙 日本の自然の風景の中に人々がいる。それは変わることのない決まりごととして、玉堂の世界は成り立っている。
六月・登山 山で暮らす人々と白百合
七月・七夕 田舎のモコモコわらぶき山家。小橋に佇む母子
八月・月見 川に小舟を浮かべておっちゃんらがにこにこと月を見上げる
十二月・雪 猟師が一人、雪山の中にいる。ブリューゲルの雪山は裏の山にあるだろう

一室に金鈴社の人々の作品が集められていた。

平福百穂 駿馬 赤衣の爺さんが柳の下で白馬と共に立つ。

結城素明 伊勢物語 芥川の図。下部に女を負う男の姿があり、上部に二人を追う群れがある。素明にしてはあっさりとした塗りで、さらさらしたススキや水滴が美しい。
負われた女の十二単の質感がある。

清方 夏の旅 この絵を見てると本当にいい心持になる。丁度今鎌倉の清方記念館でも清方の「夏の女」展が開催されているが、すっきりしていた。
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清方の随筆の中に「夏の女は美しくない」というのがあるが、だからこそ清方はいよいよ理想を求めて夏の女の美しさを描いたのだと思う。

映丘 雨 十二単の美人が御簾を上げて外をみる。空き草が咲いている。雨は殆ど見えない。見えないが降り続いているのは感じる。そんな空気がある。

霊華 箜篌 img760-2.jpg
いつ見ても好きな一枚。霊華は今、東近美で回顧展が開催されているが、こうした抑えたカラフルな作風のものと、金・白・薄墨の三色、紺地金泥のものと大別できる。これはフルカラー。

霊華 孔雀秋草 これは金の孔雀に白地に藍色で花を描いたもので、唐代の工芸品を平面化したものにも見える。古式ゆかしい美しい屏風。

霊華 浄名居士 彼の仏画というて差し支えない。維摩居士を描いたもの。紺地金泥。
自賛もよい字で、こうして霊華の3つの方向を楽しめたのは嬉しい。


3室へ。
長野草風 宋壷白菊 その宋の壷にへんな人物画が黄色で描かれている。赤い壷に黄色。

蓬春 四季花鳥 山椿にむくむくした鳥、柳にとまるキリッとした五位鷺、白萩に鶉カップル、敗荷にセキレイ。今回、蓬春記念館に行けなかったが、ここで彼の絵を見れて楽しかった。

十畝 急湍橿鳥 きゅう・たん・かけす、と読むべきか。この鳥はカケスらしい。滝を見上げるカケス。白藤と岩躑躅が咲いている。湍はハヤセとも読む。なるほど滝を急湍と表現するのか。90年前の日本人の漢語の感覚はみずみずしい。

玉堂 富士百趣 これは昭和3年七月のなんばの高島屋での「霊峰富士大百覧会」に出たもの。当時高島屋では展覧会やこうしたイベントを企画しては大当たりを取っていた。
主催は大日本雄弁会講談社。
このイベントではなんとミニ富士を拵えて見学者を上らせたりもしたそうな。

十二ヶ月色紙を色々と眺める。
山田敬中という画家は覚えがない。それだけに興味深く眺める。 
五月・田家月 金の月に杜鵑とぶ
七月・七夕 田家に老夫婦が向かい合うのをロングで捉える
十月・紅葉 筏下りをするヒトあり

鞆音の十二ヶ月は古風な月次もので、描かれた人々はみなとてもニコニコ。全てニコニコ。
描かれている月次風俗を見ると、さすが歴史画の大家だと思う。
六月・夕顔棚 これは久隅守景のあのファミリー図を基にしたものだと思う。ここの家族もニコニコしている。
九月・菊乃着錦 鳥飼?いや老齢のために鳩首杖を持つのか。おじいさんが袱紗の上に菊形のお菓子?を置く。この風習がわからないのが残念・・・
十月・豕子餅 イノコモチとは懐かしい。貴人が杵でこねてるところ
一月に千秋万歳を十二月に節季候を選ぶところもさすが、という感じだった。

ほかにも丘人、映丘、蓬春、清方、希望の十二ヶ月があり、それぞれ異なる趣を大いに楽しむ。
また今回は深水の十二ヶ月によいものを多く見た。昭和4年の十二ヶ月色紙。
'10年の10月に見たのは昭和3年の十二ヶ月色紙。
六月・花菖蒲 手ぬぐいで頬をぬぐう女。ツバメが飛ぶ。なやましいムードがいい。
十月・コスモス テニスラケットを抱いたおさげの少女が丈高いコスモス野にいる。見上げる眼の先をゆく赤とんぼたち。可愛らしい少女・・・

最後に草風の十二ヶ月色紙を見る。山家から桃山美人、ランタナまで。
四月・げんげの田 すごいピンク色。ツバメが飛ぶ。可愛い。
十月・秋野の花 ランタナらしき花の塊。珍しいものをみた。

今回は2009年の「帝展期の東京画壇」にも似たラインナップだが、とても楽しかった。
見知った絵には「こんにちは」と挨拶し、めったに出ない絵には「久しぶり」と声をかけ、知らない絵には目を瞠る。
こんな楽しみを捨てられるはずがない。
夏休みの後、次の展覧会は「講談社の絵本」原画展。楽しみで仕方ない。
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