美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

日本の美・発見Ⅶ 祭 遊楽・祭礼・名所

夏祭は都会の祭りだという。秋祭は農村がその実りを喜び、神に礼を述べ、次の豊穣を祈願するためのもの。
大阪に住まうわたしは夏祭といえば六月末の愛染祭に始まり、七月の京都の祇園祭、そして大阪の天神祭、八月には地元の天神祭とけっこう忙しい。
尤も愛染祭は「大阪の夏祭の始まり」だという意味合いが、私にはある。
実際に楽しむのは祇園祭と天神祭、これだけ。

日本三大祭と呼ばれるのは五月の神田祭、七月の祇園祭と天神祭だというが、いずれも御霊信仰が根にある。
祇園祭は「神事是ナクトモ山鉾渡ラセタク候」と町衆のための祭になったが、疫病払いの思いは活きている。

出光美術館の「日本の美・発見Ⅶ 祭」展では近世風俗画に見る「遊楽・祭礼・名所」の名品を集めている。
7/22までの展覧会に出遅れて、こんな会期末に感想を挙げようとしている。申し訳ない。
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展覧会に行った日は祇園祭の宵山の日で、山鉾を立て始めた日に京都にいたものの、きちんと祇園祭を楽しむことなく東都へ下向し、ジクジたる思いがあった。
いつ以来の「欠席」かわからないが、その鬱屈を抱えたまま都内をハイカイしていたが、ここへ来てその鬱屈がパッッと消えた。

出光美術館が祭の夜になっていた。

展示が素晴らしいのは当然ながら、またその設えが見事なのだ。
こんなわくわくする空間で、祇園祭や遊女歌舞伎図を見て回れるとは、嬉しくて仕方ない。
出遅れたとは言え、祇園祭に行き損ねた憾みもなにもかもサッッと消えてしまった。

第一章 <祭>の前夜 神々が舞い降りる名所
最初に名所図が現れる。

月次風俗図扇面 室町時代。四面あるうち一番気にいったのは、男児が楊弓で遊び、女児がままごとを楽しむ、ある邸内の絵。庭には菊も咲いて家人らも和やかに見守っている。
茶坊主が茶を運ぶのも描かれていて、面白い。
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阿国歌舞伎図屏風が二点ある。桃山のものと寛永年間のものと。
桃山のほうには桜が満開で、椿のような花も見える。寛永のは花より松が目立つ。
「都の春の花盛り花盛り」ということを思えば、桃山の方がやはり阿国の時代を描いた実感があるような。しかし寛永の阿国は刀を担ぎ、ポーズはこちらの方が「出雲阿国」のパブリック・イメージに近いような。
そんなことを思いながら眺めるのも楽しい。

遊女歌舞伎図を描いたものも楽しく眺めた。
自分も客席にいて楽しく眺めている気がする。

現存最古の祇園祭礼図屏風もある。母衣武者行列の中に縦渦巻きを冠したものがいて「はぁ?」と思う。色んなパフォーマーがいるなあ、と街を歩くわたしは口を開けて見ているかもしれない。

柿右衛門の色絵狛犬が二匹いた。対ではない。どちらも阿形。派手で首に可愛い鈴をつけている。向って右側の狛犬の目玉は煌くようで、それも可愛い。
水玉柄の狛犬さんたちである。

能面がガラスケースの中で浮かぶように展示されているのもいい。
「萬媚」と向き合って、わたしもニッと笑ってみた。
モナリザやフェルメールの謎の微笑も美しいが、わたしは能面を始めとする東洋の微笑に、より深く惹かれる。

第二章 <祭>が都市をつくる 京都VS江戸
第二室へ入ろうとしたとき、そこが一室よりずっと照明が暗いことに気づいた。
その明度の重さが、作品保存のためではなく提灯の灯りを際立たせるためのものだと気づいたとき、その空間が一挙に祭の夜の場になった。

祇園祭の提灯が提げられている。柱にも祇園祭の絵が拡大化されて巻きつけられている。
静かな空間にガラス越しとはいえ、祇園祭が展開している。
コンコンチキチンコンチキチン・・・
祇園囃子がアタマの中に流れ出す。一定温度を保たれた心地よい空調の部屋が、祇園祭の熱気を再現している。
嬉しくて仕方ない。
祇園祭は常に巡行を見ず、宵山以前の屏風祭の夜にふらふら歩くのを楽しみにしているわたしの前に、今年は見に行き損ねた情景が広がっている。
四百年前の景色であろうとも、いやそれだからこその、町衆のナマナマシイ実感が描きこまれた屏風が、一点二点とある。
元和年間、元禄年間だからもう新都が出来てしまった後の時代に描かれた屏風だが、それでも都の面白さが描かれている。

ここにある洛中洛外図屏風の中でわたし好みの情景をみつける。
鴨川で遊ぶ男たちのうち、カップルらしきものがいる。ふふふ、とても楽しい。

よい作品を見るのも嬉しい。しかしその作品を更にそれにふさわしい空間設えで見せてもらうと、深い記憶になる。心はこの楽しさを忘れない。

右手手前の京から左手奥へ回ると、そこは江戸になっていた。
三社祭である。
勇壮な空気が漂っている。裏手の雅さとはまったく違う空気がある。
なんと面白いことだろうか。

ああ、江戸名所図屏風が出ている。久しぶり、嬉しい。2003年にこの屏風を特集した展覧会があった。このときのチラシも可愛かった。寛永期のもので、人物がみんなとても愛らしく描かれている。ヒゲヅラでも可愛いキャラがいたり、湯女も可愛い娘を揃えていた。
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もう一つ寛文~元禄の江戸名所図屏風は色も鮮やかで、これは修復したものなのだろうか。

心地よい空間には古いやきものがまたよき似合う。
古清水の御座船香炉があったり、夏らしい瓜文大皿や紫陽花柄もある。
夏の喜びを実感する。

第三章 <祭>の名残 遊楽の庭園
祝祭空間が<祭>から遊郭へ移って行くのを感じる・・・

邸内遊楽図屏風 三味線を担いだ婆さんや州浜を乗せた爺さんがみえる。
庭で群舞するヒトビトのために尺八を吹く女もいる。
随分大きな遊郭で、池に舟まで浮かべている。建物は大きな花頭窓まであるが、その木の目もリアルでも建物を見るのも興味深い。

菱川派の絵も出てきた。師宣ゆり師平の描く人々の方がやや綺麗な顔立ちをしている。
元禄らしい、美少年好みのヒトビトもいる。楽しくて仕方ない。

別な邸内遊楽図では橋が掛かり、くつろぐ若衆だけでなく犬を散歩させる女もいて、面白い。その先には尺八を吹く連中もいる。女遊びだけでない楽しみがある情景。

職人尽図巻がある。岩佐又兵衛のだとあるが、あごの長いものはいず、耳や頬の膨らんだ布袋や黒大黒(あたりまえか)、あごの替りにアタマの長い寿老人(前からだ)もいて、魚ロメならぬギョロ目のタイを抱えた恵比寿もいる。彼らが職人なのかどうかは知らない。

第四章 遊楽prison 閉ざされた遊び
パラダイスの語源がペルシャ語の「閉ざされた庭園」だということを、ふと思った。
その中にいる人はある意味prisonなのかもしれない。

非常に珍しい作品をいくつも見た。

浄瑠璃芝居看板絵屏風 伝・菱川師宣 色鮮やかなコマ割り絵の中でヒトビトがそれぞれ蠢いている。風呂場か何かで斬り合いになったのか、裸で逃げる人もいれば、首を落とされたり肩を切り落とされたりしたのもいる。
また戦場絵もあり、そこではメザシのように生首を連ねたものを担ぐものもいる。
師宣と鳥居派初代の確執を描いた「修羅の絵師」という小説を思い出す。
小説では、鳥居派が菱川派を凌いで、江戸の芝居小屋の絵看板を一手に握る、その様子を描いていた。

中村座歌舞伎図屏風 「不破」や「名護屋」の名が見える。それだけで嬉しくなる。
絵看板は鳥居派のそれのようで、唐子人形を持つ傀儡師の人形と美しい女形の人形が並ぶのも華やかでいい。飾られた花は菊。小屋の前を行く群集のうち、2面めの下中央にいる二人の女が特に綺麗だが、濃い緑の着物の女は後世の小村雪岱の描く女に似ている。

歌舞伎図屏風 舞台の表と楽屋が描かれている。面白いのはむろん楽屋。みんなそれぞれ忙しい。男衆に世話をされているものやダメ出しをされているのもいたり、音合わせの者たちもいる。

中村座歌舞伎芝居図屏風 奥村政信 こちらは随分おとなしいが、その時代の芝居見物の様子が知れるような、いい雰囲気の作品。

他にも華やかな蒔絵の提重や蒔絵螺鈿手箱、櫛・笄・簪などなど、見ていて心楽しいものが揃えられていた。

上野窯の色絵徳利は初見。刻んだようなおもてを見せている。こういうものは初めて見た。
あとは碁石の美しいのがあり、そちらにも随分ときめいた。特に白石の美しさには深く惹かれた。

この楽しい展覧会も明日まで。思い出してもイイ気持ちになる展覧会だった。
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