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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

契丹 草原の王朝 美しき三人のプリンセス

「契丹 草原の王朝 美しき三人のプリンセス」展をとうとう見た。
静岡、九州、大阪を経て東京藝大美術館に来たのを二日目に見に行ったのだ。
天王寺まで見に行く時間がなく、じっと待った甲斐がある、いい展覧会だった。
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(静岡のチラシ)

契丹は遼になり、やがて金に滅ぼされた王朝だが、唐文化を継承したということで、非常に華やかな装飾が好まれて、それが今回の展示にも多く出ている。

会場入口で「契丹」の独特な文字の紹介があった。
大字と小字とがあり、それぞれ違う。手書きしてみたが、「文字」としてはここに挙げることは無理そう。
しかし文字を生み出すほどの文化と教養がある、というのはまことにすばらしい。
それだけでもときめきがつのる。
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第一章 馬上の芸術
モンゴルは馬で駆け抜けなければならない・・・

男女の侍者像がある。対なのかそうでないのかはわからない。10世紀後半のもの。石に彩色の跡が残っている。朱色。男はテンクルな髪型。髠髪(こんはつ)と言うそう。馬上の人になりやすい服装をしている。耳にはイヤリング。

その奥に草原の王朝が広がっている。

馬具がとても多い。それもきらびやかな装飾を施された馬具ばかりである。
鞍、頭絡、胸帯、鐙、障泥、轡に手綱などがある。
これらは全て1018年のものだとわかっている。
つまり実用のものではなく、墓所の副葬品なのである。
陳国公主が18歳で亡くなったときの副葬品として、その墓所に納められたのが、今目の前にあるこの馬具たちなのだった。

同時代の隣国・宋から「天下第一」と謳われただけに、馬は家畜以上の存在だったろう。
どれを見ても見事な装飾がなされている。
白玉のついたもの、鳳凰図のあるもの、104頭もの白玉のトラをつけたものなどなど。

そして陳国公主の埋葬の様子を写したパネルを見る。
このプリンセスは、後年亡くなった夫と共に合葬されていた。
金製の仮面をつけ、銀糸葬衣に包まれた上に衣装と様々な装飾品とをつけている。
湿地帯に必須の長靴にも鳳凰文が刺繍され、鳳凰文と透かし彫りの美麗な金冠をかぶり、契丹で愛されている琥珀をあちこちに身につけている。手には琥珀握もあったそうだ。
地より出でたる琥珀を、この草原の民は深く愛したのだ。

琥珀の首飾りには大きな琥珀と共に小粒の700個もの真珠がついている。光らないけれど、美しい装飾品である。

豪奢な埋葬だった。
千年前に亡くなった公主は国力が豊かだった時代の人だからか、実に美しい装飾の中に埋もれていた。
娘を・妻を悼んで、これほどまでに豪奢な葬送を営み、悲しみを埋める。
千年後の今の世に、それがあらわになったのだ。
ただただ「キレイキレイ」ではいけない。厳粛な思いも心の底に持つべきなのだ。

夫の遺体に添えられた狩猟用具も展示されていた。鷹を止めるための用具や弓袋など。
瑪瑙の儀仗もある。当時は「骨朶=こつだ」と言うたそうだ。

龍文化粧箱がまた立派だった。裏から打ち出した龍。銀に鍍金。

かつて契丹では旧法により、樹上葬を営んでいたそうだが、その折に遺体を網に入れて、樹上に上げていた。その名残が銀糸で編まれた葬衣なのだそうだ。
しかし契丹では唐風を用いることによって、葬儀の方法が大きく変化した。
衝撃的な転換だと思う。
解説プレートには文化の転換の大きさについて書かれていたが、実感として頷ける事柄だった。
学生の頃、吉野を郷里とする知人のおじさんが大阪で亡くなられ、火葬になったとき、吉野のおばあさんが衝撃のあまり寝込んだと聞いた。
知人が言うのには吉野は土葬で、家は神道だが大阪で諸事情により寺で葬式をしたため、勝手も違い、長く誰も葬儀をしていなかったこともあり、言われるがままでの火葬だった。
たとえ息子が大阪に移住していても、土葬以外考えていなかったおばあさんには、異常な衝撃だったろうと思う。
文化の転換とは、こうした衝撃を齎すものなのだ。

そして今ここに陳国公主の彩色木棺がある。別に一室をあてられての展示である。
千里のみんぱくにある、南洋の若者小屋や幌馬車を思わせる造りだった。
あちこちに獅子の飾りや花の文様がある。風鐸もたくさんついている。
風鐸はなんのためにつけられているのだろう。動くと鳴る風鐸を。
家型木棺。しかし魂は「黒山」なる霊峰へ向ってゆくのだった。

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第二章 大唐の遺風
唐滅亡後に成立した国家ではあるが、それ故に自らを「唐風文化の後継者」と看做し、そうした自負を持っていたらしい。
ここでは第二の「プリンセス」の遺物などがある。

木製枕には金箔が残っていた。10世紀前半のもの。これを見て思い出したのが平泉の藤原氏のミイラの枕である。枕は頭の形に中央が沈んでいた。千年の重みがそこにあった。
この枕もまた死者の遺体を先年以上乗せていたのだ。

インドを発祥地とする霊獣(魚)マカラをモティーフにした文様の耳飾や盤がある。
また黒水晶や瑪瑙を使った首飾りもある。
誰のための副葬品なのかは、今のところ明確にはわからないらしいが、しかし身分の高い貴女だということは確かなのだった。

縦長の指輪、見事な装飾を施した化粧箱などなど、唐風の装飾で彩られた遺物がある。
どれを見ても何を見ても非常に精妙で高価なものだとわかる。

花文盒は金銀平脱螺鈿の技法で作られているが、これは正倉院でみかけるものと同じ造りのもの。ところで今回初めて知ったが、この技法は贅沢だということで、あの唐でさえも何度も禁令を出したそうだ。文化を断絶させてはならぬと思うが、何度も禁令を出させるほどに人気が高く、そして贅沢な拵えのものだということは、よくわかった。

他にも見るだけでため息の出るようなものばかりが並んでいた。

第三章 草原都市
やきものやガラス瓶などの日常に使うものと儀礼的なものの形をみると、契丹が草原の民の国家だということがよくわかる。

10世紀半ばの耶律羽之という皇族の墓所から出土した器が並んでいた。
前章の唐風な文物も大方は彼の副葬品である。
ここでは器。形が皮袋を模したものがあるのが、とても「草原的」で興味深い。

1018年の公主や、この942年の耶律氏より後世のものらしきガラスが非常に美麗だった。
水注。銀化して緑が表面に顕れキラキラしている。非常に綺麗な景色だった。

またここにも公主のための副葬品があるが、少女への副葬品と言うこともあってか、非常に可愛らしいものが多い。ミニチュアサイズの水晶杯があるが、これは水晶をくりぬいて作られたものらしい。凄い手間と技術である。

絵があった。板絵。主人のためにティータイムの支度をする男女の図や、奏楽図などである。使用人たちはいずれもニコニコと働いていた。死後でも主人を楽しませるために。

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第四章 蒼天の仏国土
仏教徒である。形は違っていても、斉しく仏教徒である。

草原に巨大な白塔が立っていた。慶州白塔というらしい。レリーフが見事だった。
まるでレースを飾り付けたかに見える美しさだった。
それがぽつんと、不意に草原の只中に立っている。

涅槃像、舎利塔、十方仏塔などがある。綺麗な仏の絵で飾られたりもする。
迦陵頻伽や天人を彫った石もある。袱紗や錦も凝ったものでとても綺麗。

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菩薩の頭部などもあるがいずれも柔和な微笑をたたえた美人ばかりである。
これらは塔に打ち付けられていたものを降ろした遺物。

最後に板絵門神像があった。表が神で裏が鬼。
なんとなくユーモラスなところが可愛い鬼たちがいい。

アジアに深い関心を寄せるヒトにはとても興味深い展覧会だと思う。
9/17まで。


追記:大阪のチラシは実は三種あり、つなぎ合わせるとまた別な構図が見えて来るそうだが、私はこれしか手に入れられなかった。
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