FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

小林一三の愛した近代日本画

逸翁美術館「小林一三の愛した近代日本画」

逸翁は明治時代に実業家として立って以来、昭和半ばに没するまで、実業と茶道と文化事業に熱心に取り組み続けた。

第一章 鼎会 一三が後援した三人の画家
鈴木華邨、寺崎広業、川合玉堂の三人である。
鈴木華邨は鏡花の小説の挿し絵などで見たのが最初で、本絵を見たのはかつての雅俗山荘時代の逸翁美術館でだった。

華邨 瀑布群猿図 8匹ほどの猿が滝の間そばにいて、マイナスイオンを浴びている。中には花を取ろうとでもするのか、猿梯子してもらっていたり。明治23年の作。

月杜鵑之図 大きな羽は丁度下へ向いている。次に上がればまた力強く羽ばたくのだ。
明治35年五月に逸翁が購入したと記録がある。

菜花狗児図 わんこが可愛い絵。蝶々も飛ぶ。これも逸翁が画会で購入。明治39年。
zen630.jpg

寺崎広業の絵といえば今では東博の秋の少女図ばかりが見やすいが、ほかは信州湯田中温泉よろづ屋の桃山風呂の扁額の文字が浮かぶ。
その広業と華邨の合作がある。

月下兎図 華邨が白と薄茶の兎を描き、広業が秋草を描く。温厚な空気の漂う優しい図。明治39年。

広業 秋景山水図 一本杉のある家。こちらも穏和な景色。これを逸翁は三越で購入している。

最後に玉堂である。先の二人と違い玉堂は今日までもよく知られた画家である。ここにあるのは共に明治時代の作品。逸翁は明治の頃は玉堂の庇護社の一人でもあったのだ。

玉堂 夏景山水図 沢をゆく人。釣りをする人が歩く。生涯にわたって玉堂のテーマの一つであるものがここにある。

春景富士図 山梨から見た富士。山が富士の肩あたりにあり、まるで富士が扇で顔を隠すように見える。

印画譜帖 鼎会メンバーで船遊びをしたときの三人の画家の寄せ書き。鼎の煙で船に藤娘に、というようなさらさらと描かれたもの。

第二章 一三と交流のあった画家たち
明治から昭和戦前くらいの絵が集まっている。

久保田米僊 梅鶯図 白梅にこちらを向いて止まる鶯。この絵は徳富蘇峰からもらったそうだ。

鏑木清方 八幡鐘図 明治34年、当時の烏合会で「東京15区」というお題でそれぞれが描いた内の一枚。清方の当時の「注文帖の抜き書き」に逸翁が購入した旨が書かれている、とその随筆「続こしかたの記」にある。
深川芸者を呼びにゆく仲居を描いたもので、清方はこのテーマを愛して、何点も描いている。
zen629.jpg

富岡永洗 六歌仙図 ゆったりした美人の小町と顔を上げる業平とが特にいい。

永洗は明治の風俗を巧く描いている。彼の絵も今はなかなか見ることが出来ない。
彼から逸翁にあてた手紙も展示されている。
この絵と同年の明治36年の十月に出されたもので、彼の師匠小林永濯の碑の建立のために絵を購入してほしいという内容。

須磨対水 月下興聖寺図 宇治川から名刹を見る。薄墨に水色の穏やかな図。

嵐山秋景図 手前から奥に向けて色が薄れてゆく。そのグラデーションがいい。松と紅葉がいい。大正8年。

対水は大正年間を池田で暮らした。池田は呉春以来文人墨客が住まいして楽しい交流を続けていた。この対水はグルメとしても有名で、あの「吉兆」の名付け親でもある。

縣治朗 海上日出図 これは掛け軸もまた作品の背景として生きる作品だと思った。
描表装ではないのだが。黄色い空、薄青の海、ピンクの表装。和菓子の断面図のような美しさがあった。
この画家は全く知らない。

川端龍子 山寺晩鐘図 淡彩で描かれた中国のお寺。その屋根には魔よけの小さい獅子がつらつら並んでいる。その姿はシルエットで表現されている。塀には十字架方の連続透かし文様が入る。蘇州あたりで眺めた明代の邸宅を思い出す。
龍子にしては小さい作品で、どこかおとなしいが、こういうのもとてもいい。

下村観山 雨後風景図 薄い灰色の中に虹がぼんやり浮かぶ。下方に中国の町が広がる。
北京なのかどうかはわからない。屋根の勾配の緩やかな曲線が面白い。

庭山耕園 宝塚箕面図 昭和初期らしき宝塚と箕面。どちらも古くから知られてはいるが、開かれたのは、小林一三が箕面有馬電気鉄道を通し、宝塚温泉の余興に少女歌劇を拵えてから。
どうやら甲山らしき山を背景にして、宝塚の桜が咲く一幅と、紅葉に彩られた滝と。

庭山も戦前の大阪ではよく知られた人で、少し探せば作品も出てくるが、なにしろ中央に出ることをしなかったので、今では埋もれてしまっているのが無念である。

菅楯彦 宝塚真景図扇子 昭和13年の宝塚蓬莱橋と山と林と温泉と。逸翁は15年に購入。
こういうのを見ると、20年前ののどかな宝塚を思い出す。
そして時代から言うと、手塚治虫「アドルフに告ぐ」冒頭の芸妓殺人事件の頃かと。

樫野南陽 雪中雪柳図扇子 左に柳、右に小さく鳥がとぶ。

大廣寺参道 池田の綾羽のお寺。ざっくり描いている。

この樫野南陽は知らない画家だが、逸翁は彼を後援していたようで、南陽後援会「南一会」を開いている。そこには楠正治というヒトも連名している。
彼から逸翁への手紙にはカマキリのイラストと「サントリー角瓶ありがとう」の礼がある。

最後に橋本雅邦「瀟湘八景図」が壁一面に広がっている。絵巻ではなく、一枚ずつの連作。
一枚一枚見て歩く楽しさも細かに書けるが、それよりも少し離れた地に立って全体を見渡すと、茫漠としたものを感じる。
明治36年、20世紀になったばかりの頃に、こうした作品が生まれていたのは、やはり素晴らしいと思う。
zen628.jpg

この展覧会は8/12まで。
関連記事
スポンサーサイト



コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア