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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

京の画塾細見

京都市美術館のコレクション展「京の画塾細見」前期を見てきた。
曰く「家塾や私塾として近代の京都美術界を支えた画塾は,京都の日本画の一つの特色である。竹内栖鳳の「竹杖会」,山元春挙の「早苗会」,西村五雲の「晨鳥社」,西山翆嶂の「青甲社」そして堂本印象の「東丘社」や菊池契月塾・中村大三郎画塾などの多くの画塾が京都の美術や産業を支えていた。こうした戦前までの画塾の歴史を回顧する」とのことである。
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会場に入ったら丁度三時半で、今からギャラリートークですということなので参加した。
最初に近代京都画壇の画塾の系譜を見る。とてもよく出来ているが、トークを聴くのに重点を置いていたので、メモれず。また今度ということに。
まことに残念なことにリストがないので手書きしないといけないが、今回はとにかく色々準備不足もあり、またトークが面白すぎたということもあって、あいまいな記憶でしか前期の感想が書けそうにない。
いつもエー加減だからまぁエエか。←コラ。

今回、ギャラリートークを担当された学芸員の尾崎さんによる講演プログラムがチラシにあるが、その14回に亙り開催される講座のタイトルを見るだけでもそそられる。
今こうしてお話を伺ってワクワクしているのだから、講座に行くとさぞや京都画壇ツウになれるだろうと思いつつ、チラシを見るばかりである。

展示は塾の血脈に沿った展示である。
しかし惜しいことにリストがないのと、わたしは「聞く」ことに力を入れると、ただでさえ混沌たるアタマがいよいよ整理をつけてくれなくなるので、思い出せる範囲で作品名とその感想を挙げてゆく。
師弟の血脈は、知っている・または思い出した分だけ書いてゆく。

基本的に京都の場合、画塾と画学校との関係が、関西弁でいうところの「いけいけ」になっていたことが大きな特徴である。
塾でそれなりにヨシヨシな状況になると、ちょっと学校に行こかになり、学校でもその塾の先生が指導教官でもあり、そこでそれなりにヨシヨシになると、また一旦学校を出て塾に戻って・・・・・・・東京では確かに考えられない関係なのである。

幕末から明治初期の絵を見る。

岸連山 群雀図 これは以前から好きな作品である。雀まみれの木がある。すずめすずなり。さてそれが雪竹のことなので、竹もしなるしなる。雪は白々と周囲を覆う。
その白い雪の隙間隙間に雀らがおるのだが、まるで生姜砂糖をまぶしたように見える。
それで妙においしそうに見えてしまうのだから、この雪は罪深い。
連山は岸派の人。動物絵が巧い筋だが、大坂の岸派と京都の岸派とは多少方向性が違うらしい。

岸竹堂 竹村群烏図 やはり烏は夕方の図が多い。20年ほど前、この竹堂~西村五雲~山口華楊の「動物を描く画家の系譜」展が、京都文化博物館で開催されている。

原在泉 新羅三郎 この画題が当時、非常に好まれていたことがよくわかる。 

望月玉泉 宇治川真景図 玉泉の絵は本願寺の襖絵などに残っているが、美術館で見ようと思ってもなかなか見れないのではないか。その意味でも貴重な展示だが、この宇治川はちょっと波が荒いようである。

今尾景年 躍鯉図 非常に元気な鯉が跳ねている。跳ねた先の中空にはハチだかアブだかがいて、びっくりしている。
京都逓信病院の近くに残る景年の邸宅が料理屋さんになっているので、以前出かけたことがあるが、普請道楽な日本画家が多いのも京都の特徴かもしれない。

幸野楳嶺 帝釈試三獣図 丁度この日の朝に母が可哀想なウサギの話をするので、「ジャータカのあれだな」と気づいた。手塚治虫「ブッダ」の冒頭と終焉に登場する、ウサギが自身の身を犠牲にする説話である。数時間後、偶然にこの絵を見ることになるとは。
爺さんに化けた帝釈天のそばにきょとんとしたウサギ、頭上の木には白猿、水辺をうかがう白狐が描かれている。明治18年。晩年の弟子には松園さんもいた。

明治から大正の絵を見る。

山元春挙 山上楽園 春挙は大きな風景を描くことが多い。高島屋の仕事で描いたロッキー山脈なども「雪月花」の一枚だというから、凄い。
以前、春挙の邸宅にお邪魔した際、図録を見せてもらったが、絵の雄大さに打たれた。
目にしたものを小さく描くことをしない、その精神性がいい。
これは登山に凝っていた春挙らしい、南アルプスの情景。わたしは「ハイジ」のアルムを思い出している。

三宅鳳白 花旦 春挙の弟子であり、後には親族となった。人物画の美しさ・艶かしさはむしろ今の時代にこそ大いに推したい。京劇の「花旦」を描く。美貌だけでない妖艶さにときめく。銀の花びらが舞い散るような中に立つ花旦。
鳳白は和菓子の「虎屋」のご主人と星回りが同じと言うことで「八白会」を結成していた。
名前は違うかもしれないが、星回りが八白なのは覚えている。

竹内栖鳳 絵になる最初 この絵は来月末には東京の山種美術館に展示される。
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今回のギャラリートークで教えられたが、モデルの背後の障子紙は雲母で煌いている。
何度も観ていたはずなのに雲母とは知らなかった。
やはりこうして話を聞くと、新しい知識が増すものだ。
ところでこのモデルの着物は栖鳳考案のもので、当時、高島屋が「栖鳳絣」として売り出すと、大変な流行を見たという。

高島屋と関西の日本画家・洋画家の関係の深さについては、しばしばこのブログでも書いているが、京都では画家の描く着物が栖鳳絣のように商品化される、ということが多い。
というより、画家たちは呉服の高島屋や千總のために意匠を熱心に拵えているのだった。
そうしたところにも人間関係を大事にする関西の気質がうかがえる。

竹内栖鳳 雨 明治44年(1911)。「これはどこでしょう」とトークのときに言われてハタと困った。
わたしはてっきり架空の場所あるいは中国の寒村かと思っていたのだ。
しかしここは実際の地だという。それもなんと、堀川の一部だという。びっくりした。
明治末の堀川通りに、こんな侘しさがあろうとは。
あそこは烏丸とならんで京都の大動脈ではないか。ああ、本当にビックリした。
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木島桜谷 角とぐ鹿 若い鹿が自身の角を幹に擦り付けて研いでいる。鹿の無心な表情がいい。泉屋博古館には桜谷の金屏風の作品が何点もある。いずれも派手な美しさがある。
しかしこの絵はいかにも練れていないようなところがあって、そこがまた面白くもある。
桜谷の「木島文庫」は北野白梅町と等持院の間くらいにあるが、ここは公開されることはないのだろうか。

川村曼舟 霧氷 真っ白な雪の中、ぽつんと生き物がいる。それをロングで捉えている。
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都路華香 東莱里の朝/萬年台の夕 近年、華香の回顧展が近代美術館で開催されたが、それまでは海外の里帰り展くらいか、この二幅しか見ることがなかった。
朝鮮の田舎の朴訥さがいい。朝の絵の墨のにじみに惹かれるが。夕の草原に立つ牛のぼーっとした顔もいい。 

林文塘 烏丸夜景 明治43年の四条烏丸の三井銀行の偉容を描く。絵としてどうのというより、近代建築に興味がある身としては、これは貴重な資料でもある。
この画家は知らない。

上村松園 待月 後姿の美人。バックシャンとは昔の人はうまいことを言った。
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トークではまたまた面白い話を聞かせてもらった。
タイトルを見せずに子どもらに「このひとは何をしているところ?」と訊ねると、色んな答えが出たそうな。そう言われれば「待月」と言われるからそうなのかと思うが、何も見ずに絵だけで考えると、「・・・誰か・何かを見ている?」とわたしなどはこたえるだろう。
そしてその「何か」とはオバケかもしれない、と。夏やしねえ。

上村松園 人生の花 「リアルな肖像ではない」ということで、しかし好まれたので松園さんは多く同工異曲を生んだ。わたしも二種以上見ているように思う。
紋付と簪を替えてあるらしい。またいつか京都市美所蔵の二枚が並べば、比較してみたいと思っている。

昭和に入ってからの絵を見る。

菊池契月 散策 この「少女」の人気は高い。少女とはいえ、息子の嫁つまり人妻なので「少女」ではなく「若い女」なのだが、しかしあくまでも「少女」としてしか描かれていない。当時流行の着物を着て、機嫌よくお散歩する。犬も洋犬である。
契月は彼女を実の娘のように大事にしたそうだ。他にも彼女をモデルにした作品があるが、いずれも可愛らしい。

秋野不矩 紅裳 近美の回顧展でも初期のこの絵がチケットに選ばれたりしている。
わたしは不矩は晩年のインド風景がたらなく好きだが、戦前の頃の女たちには、ある種の親しみを感じる。彼女はやはり「創造美術」(後に創画会)に参加して、画風をカラッッと変えたことで、素晴らしい画家になったと思う。

中村大三郎 ピアノ 久しぶりに見た。この絵には嬉しい思い出がわたしにはある。
新聞に掲載されたとき、友人がこれを切り取り「あなた好みでしょう」とくれたのである。
わたしはそのときまでこの絵を知らなかった。非常に懐かしい記憶だが、今でもそれは活きていて、この絵を見るたびにあのときの嬉しさが蘇るのだった。
緋色の美しい大振袖を着た令嬢がピアノを弾く図。

勝田哲 朝 戦前のモガのある朝。ベッドに寝転びながらレコォドを聞く。テーブルかけのレェス、カァテン、チェアーのクッション・・・いずれもとてもモダンである。

三谷十糸子 女 こちらは「朝」の一年前、昭和7年に描かれたが、和装の女が髪を結うている図。洋装の女と和装の女が共に存在する時代。さすがに着物はその当時流行のもの。

広田多津 母子 乳幼児をだっこする母。昭和20年にこの絵が描かれたことを思う。

最後にチラシの彼女は何を射ようとしているのか。
その答えを観客たちに求めていた。
ちょっとした企画だが、それがまた楽しい。

展示替えした頃にまた行くつもり。
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