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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

バーナード・リーチ 生誕125年 東と西の出会い

バーナード・リーチ展が難波高島屋に巡回して来た。
リーチは今も日本人に深く愛されている。
バーナード・リーチの器をこうして改めて眺めると、いろいろと気づくことも少なくない。
大胆な動物柄が多いことや、物語性の高い作品がいくつもあることなどである。
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たとえばウサギ柄の多さが目に付く。
楽焼のほかにもいろんなやきものがあるが、いずれも走っていたり飛んだりしている。
うずくまるような姿態は見せない。
絵でもウサギは飛んでいる。zen815.jpg
このウサギの目つきが艶めかしくていい。

一瞬リーチはウサギ年か酉年かと思ったが、1887年生まれなのでイノシシあたりか。関係なかった。

香港に生まれ日本で育ち、英国で人となった。やがてラフカディオ・ハーンの書物に惹かれ、日本に降り立ったリーチ。
白樺派の同人たちにエッチングを教えていた、という話は里見弴の随筆にも面白く書かれている。
同世代なのに気づかずリーチをずっと年長だと思いこんでいた、という逸話もある。
またリーチが着物を着て子連れで歩く姿を見た岸田劉生が諺「律儀者の子沢山」をもじって、「リーチ着物の子沢山」とシャレをとばしたこと等々・・・
リーチは白樺派界隈の人々から派生した民芸の人々と終生にわたって明るい交友を続けた。
ここにもそんな写真があげられていて、それを見るだけでもほのぼのする。

実際のところ、わたしは民芸運動は意義のあることだと思うし、展覧会は楽しいのだが、自分で彼らの作品を買うかというと、それはかなり指向が異なるので買わないのだった。
しかしこの人々へのあこがれは深い。
1887年あたりに生まれた人々への私の視線は、いつも暖かいものになる。

リーチは特に浜田庄司と仲良しで、一旦英国へ帰るときに彼を同行した。浜田も生涯にわたって、リーチと親友だったが、その英国留学も関東大震災がなくば、もっと続いていたろうと思われる。

鉄絵組合陶板「生命の樹」この作品が一番好きである。
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京近美で初めて見たときの感動は深いものだった。
今こうして画像を手に入れることができて喜んでいるが、初めて見た頃は本当に焦がれていた。

上空に柄杓星(北斗七星)が浮かび、その下に枝を広げる木がある。枝の下には働く人の姿があり、木の根には魚がいる。なんとなく幸せな気持ちになる。

そういえば、民芸に関わった人々の暮らしの場を再現したものや写真などを見ると、どれもが非常に魅力的に思える。特に駒場の民藝館(柳宗悦邸)、河井寛治郎記念館などは本当に見事な空間である。
かつて大阪にあった三国荘の再現も見ているが、あれも本当に魅力的だった。
また浜田邸の再現やパネル展示をみたが、そちらもとてもいい。
ここでもリーチの書斎の再現があった。
作り付けのデスク、その足下は斜めに傾いていて、足に楽そう。またその対になる床の間には軸がかかっているが、その真下には小さな茶机と座布団が向かい合う。
床にはイスとテーブルもある。
いい感じの書斎であり、人の相手もできる空間である。
これは洋室ではなく、和の空間だと感じる。

こちらは夏に日本民藝館で開催されたリーチ展のチラシ。
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中でもわたしは陶板の「虎」に惹かれた。
この画像では右半分の裸婦だけが写るが、全体には木を挟んだ向こうに目を開けてうずくまる虎がいるのだ。
夜の森の中で、虎、虎・・・そんな言葉が英語で書かれている。
アンリ・ルソーの描く密林のようではないか、と思いつつこの裸婦はもしかするとイブかもしれないとも思う。
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いい気持ちで見て回る。東京でも大人気だったのがよくわかる。わたしもとても楽しく眺めて歩いた。
大阪では22日まで、次は京都へ巡回する。

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