FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

上方和事の源流を求めて

続いて池田文庫へ行く。
中村鴈治郎が今度坂田藤十郎になるので、その前祝のような形での展覧会だが、池田文庫はチラシやチケットなどが変わっていた。
上方役者絵。
期せずして連日近代の大茶人のコレクション展と上方歌舞伎展を見続けることになったのだが、実は今日の池田行きは殆ど突発的だったのだ。
近所だからこその可能な話。
鈍翁、耳庵ときたら逸翁が懐かしくなるのは当然だったのだ。
池田に行く以上は二つながら回らねば気がすまないし。
しかも池田もまたちょっと来ぬ間に変容があり、シャッター商店街に成り果てているではないか。
映画館は改装中なので安心しているが。

江戸時代、ええ役者は上方にも沢山いてはりました。
明治の頃もたんといてはりましたし、昭和も戦後すぐまでは隆盛やったようです。

わたしは池田文庫のおかげで上記のような事情と言うか、事実などを知ることが出来た。また、そこから派生して武智鐡二や八世坂東三津五郎らが若手役者を鍛え上げた武智歌舞伎や戦中の断弦会などのことも知った。ありがたい。まことにありがたいと思う。
池田文庫のコレクションがなければ私はきっと、これらのことに暗かったに違いないのだ。
だから今日も機嫌よく見て回った。

昨日の歴博でも言及したが、子のよさが目に付いた。なんともいえずおっとりした良い感じの顔だ。それから中村南枝の表情にも注目した。
広貞、貞信と違う絵師の手による錦絵のどちらにも、南枝のよさが感じられるのだ。ちょっとときめく。
『乳貰い』については二世延若の話を武智と三津五郎の対談などで知っているので、妙に受けた。
こういうどろくさいハナシはやはり上方でないと上演できないだろう。
近松などは洗練されているし、考えればあれはその当時でもオリジナル脚本なのだ。皆どの芝居も必ず『世界』に沿うようなハナシを書いていたのに、近松の『世界』は近松オリジナルなのだ。
私が一番好きな大南北なども『世界』で話を作るが、そこから逸脱して(確信犯的に)ハチャメチャなハナシを作る。
しかしやはり『世界』は使われている。
なぜ近松がオリジナル脚本を書いたのかは、知らない。
人形浄瑠璃用の脚本だったからだろうか。それだけが理由とは思えない。『世界』は制約でもあるが、土台でもあるので、使い勝手は極めて良いはずだ。しかし近松はそうせず、新聞のゴシップを使うように、身近な事件などをネタに、『世界』を固定せずに書き続けた。

が、わたしは実は近松ばかり上演されるので『へんねし』をおこして、全然違う作者の芝居が見たいと思うのだ。
『乳貰い』もそうだし、お妻八郎兵衛、河内十人切りとか。
マイナーな芝居を蔵出しして欲しい、とこうした錦絵を見るとつくづく思うのだ。そういえば、久しぶりに合羽摺りを見た。
やはりこの池田文庫で見て以来。

ここで良い芝居絵などを見るにつけ、本がほしくなるがなかなかうまくはいかない。
池田文庫、これからも楽しませてください。ありがとう。
関連記事
スポンサーサイト



コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア