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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

市川団十郎 荒事の世界 /八世 市川団十郎

十月の東京ハイカイの中で、浮世絵の展示をいくつも見たが、そのうち二つは「市川団十郎」に関する展覧会だった。まとめてその感想を挙げる。

・日比谷図書文化館「市川団十郎 荒事の世界」
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市川宗家の荒事は江戸の人々にとって神事であったろうと思う。
「一つ睨んでごらんにいれまする」と舞台から団十郎に睨まれると、病にも掛からず災いも吹っ飛ぶ、という信仰がある。
荒事はむろん人の手により作られたものである。
しかしそれを神事にまで高めたのは、市川宗家代々の苦心・工夫と江戸の人々の熱烈な支援と愛があったればこそだろう。
江戸が新しい地であったことがその信心を育てた。
上方には随分大昔からの神仏が現在も活き続けている。
そうしたことから荒事が江戸で隆盛を極めたのは当然なのだった。

当代団十郎丈は十二代目である。
昭和の末頃に襲名したとき、杉本苑子原作の初代団十郎の生涯を描いた「花道は炎のごとく」に主演した。
そのドラマの中で団十郎は市川家の制定した「歌舞伎十八番」を次々に演じた。中でも「不動」は特に熱狂的に庶民に迎えられ、お賽銭が投げつけられて、団十郎丈がつい目を瞬いたのを、今も忘れない。
あれは一種のコスプレだったかもしれないが、一人ですべての役を演ずるのは楽しかったろう、と勝手なことを思う。
実際のところ歌舞伎十八番を一代で全て演じた役者はいたのだろうか。
もしいなかったとしても、浮世絵ではそれは可能だった。

展示は歌舞伎十八番のうちよく演じられる「助六」「鳴神」「勧進帳」などの装束の設置と、柱に巻きつくように飾られた浮世絵とで構成されている。
「柱巻き」は「鳴神上人」の動きにあるので、それを洒落ているのかもしれない、と一人楽しく考える。

十八番それぞれの浮世絵は三世豊国の連作ものだった。
特に可愛いのが二番の「象引」。ゾウさんを持ち上げてるのだが、妙に可愛くて可愛くて。
四番の「うわなり」はタイトルしか知らなかったが、これは甲賀三郎の二人の妻の争いに関連した「うわなりうち」からきているらしい。
十五番「不破」の不破と名古屋山三の立ち姿もかっこいい。

ガラスケースには18世紀半ばの「芝居きやうげんの図」。今の人形町三丁目にあった中村座の様子が描かれている。
また三世豊国「江戸名所図会 24 渋谷 金王丸昌俊」もある。これは「暫」ということで、「あれれ」と思ったら、当時は「暫」の主人公は誰々と決まってはいなかったそうだ。今のように「鎌倉権五郎」になったのはもう少し後らしい。

面白いものをみた。文化元年(1804)山東京伝著・喜多武清画の「近世奇跡考」に助六が拳を振り挙げてる図があった。ここには助六が元は「荒事」の範疇にあったことを示す図。

チラシは国周の「暫」。明治25年。当然ながらこの団十郎は九代目。

芳幾の明治27年の「擬九星市川系譜」。初代から九代目までがそれぞれに見合ったこしらえで描かれている。
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真ん中の下は白酒売りの六世。彼は22歳でなくなったそうだ。彼とその姉で後に七世を生むことになるおすみを中心にした、一ノ関圭「鼻紙写楽」は雑誌廃刊のために休載したが、非常に面白い作品だった。小学館はなんとかこの物語を、(完結した形で)単行本を、出してほしい。
さてその後に八世団十郎がいる。「児雷也」のこしらえをしている。彼は32歳で自死をとげた。
どちらも美しく描かれていた。

衣裳を見る。
助六のシックな黒塩瀬に対し、意休の派手な縫い取りのある羽織。だがわたしなどはこの意休の丸に虎文の縫い取りが可愛くて可愛くていい感じに思えるのだった。
勧進帳の弁慶の山伏ルック・・・
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鳴神上人の激怒が伝わる衣裳の柄、雲の絶間姫のきれいな赤もいい・・・
歌舞伎の衣裳の面白さを味わう。

当代団十郎丈の舞台写真を見る。
'92年の「解脱」の景清と阿古屋。阿古屋は亡くなった宗十郎だった。古風な愛らしさのある、いい役者だった。
'09年の「象引」は知らなかった。演じていたのだ。
妙に楽しい。

11/28まで。

・早稲田大学演劇博物館「八代目 市川団十郎」
前述したとおり、天下の美男・八世団十郎は32歳で自死した。しかも大坂での公演初日の朝に世を捨ててしまった。
ちらしは助六。
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帯の「壽」文様が生き物のようで面白い。

展示は団十郎を描いた浮世絵だけでなく、自身が描いた軸ものなどのほか、幕府が送った褒賞、そして家族ぐるみつきあいのあった家との往復書簡などなど。

とにかく天下の美男ということでその人気は凄まじく、それに便乗した浮世絵の種類も膨大で、ここに展示されているのはほんの数割程度にすぎない。
細面で美しい目鼻立ちをしていて、その美貌にふさわしい役柄を演じて、しかも彼に当てた新作も多く出て・・・と役者としてはもう本当にすばらしい環境にいた。
しかし親父は奢侈禁止令に触れて江戸を所払い、父の妾たちとの軋轢などなど、イヤなことも多かった。
入るのも大きいが出るのも大きい役者の家で若くして跡を継いで気苦労もたいへん大きかったろう。
死の原因が何かは今もってわからない。当時もナゾ、今もナゾのままである。
それについては杉本苑子「傾く滝」で大胆な推理がなされている。
杉本苑子の力業を感じる、小説としては非常に魅力的な世界ではあるが、これもまた作者の想像の域を出ず、やはり本当のところはわからない。

さてその八世の美貌を写した錦絵の多くは、国貞の作であり、国芳の手のものもある。
共通するのは細面の美男子と言うことか。

上方上りお名残狂言として演じられた「伊達競阿国戯場」いわゆる伊達の十役を演じた連作ものが特によかった。
事の起こりの「足利頼兼」が玄関でほっかむりをする図などは非常に面白い。貴人のほっかむりというのはなかなか見ないし、この後の行動を思うと、いよいよ興味深い。
「仁木弾正」も「八汐」もいいし、「細川勝元」もいい。
これはまだ死とは無縁の27歳、嘉永二年三月の芝居。

児雷也や田舎源氏の光氏などは彼に嵌めて出来たような感がある。
白い大蝦蟇に乗って印を結び、どろんどろんと妖術を使う錦絵など、みるだにときめく。
また実際その美貌ゆえにあてられたのが「与話情浮名横櫛」の切られ与三郎である。
こうした絵を見ていると、当時のファンの心境にシンクロして、わたしもきゃーきゃー声を挙げそうになる。

やがて死に絵が現れる。
これも凄まじい数が出ている。国芳展などでも多く見たが、本当にたくさんあった。
ここでは、自殺直前・数珠を持つ立ち姿・父と子などがある。

小さい企画展だが、かなり面白かった。展示変えをしながら12/2まで続く。
なお、先の日比谷とこの早稲田とで当代団十郎丈の講演会がある。
どちらも10/30。日比谷は11時から12時、早稲田は14:45~16:15。
日比谷はもう予約終了。
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