FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

宸翰 天皇の書

京博で「宸翰 天皇の書」を見た。
今日は新嘗祭の日だからぴったりかもしれない。
とかそんなことも考えず、勤労感謝の日で金曜だから夜間開館ということで出向いた。

高松宮家伝来の、空海の書などのある大手鑑を見た。
個人的嗜好だからわたしの言うことはまともに聞かないでほしいのだが、空海の書より、一緒に綴じられている聖武天皇の書の方がわたしは好ましい。

その聖武天皇の御宸翰をみる。白い紙に細い細い文字で非常に丁寧に、決して順列を乱すこともなく、気随も許さず、緊張感の強い書だった。これは正倉院のもので、今だからこその展示。
それにしても何と言う繊細な、そして緊密な文字列か。

また「勅書」で「勅」文字だけを大きく一つ書いたものもある。
そこには大臣橘諸兄、藤原豊成、大僧都行信の連名サインがある。

一文字だけの天皇の御宸翰は少なくない。
聖武天皇の娘・孝謙天皇は「宜」の一字だけを書いている。

凄いのがある。
嵯峨天皇は能筆家だが、それをまるまる写せる能筆家がいるわけである。
近衛家煕である。それも文字の輪郭線を写す「双鉤本」をこしらえ、さらにそれに塗り絵ならぬ塗り字した「填墨本」まであるのだが、どちらもピターーッと嵯峨天皇の書にあうのだった。上から紙を置いて写したのでもないのに。
能書家はほんと、どこまでも凄いのだった。

後鳥羽天皇が両手に朱墨をつけて捺印した御宸翰がある。四天王寺宝物館でも見ているが、こちらは両手ピターーッで掌の文様までくっきり。
zen899.jpg

後鳥羽天皇は大変な力持ちで、盗賊追捕に自ら出馬して、舟の櫂をまるで払子みたいに打ち振って、陣頭指揮を取り、それを見た盗賊が出頭してきたという逸話がある。
そんな両手なのだ。しかもこの天皇は承久の乱で気の毒に隠岐へ流され、「われこそは新島守よ」と歌う剛毅な方なのだ。
掌を見るだけでも色々と物思う。そしてこの御宸翰は絶筆だという。この13日後に亡くなられるのだそうだ。

歴代天皇の御宸翰を『見る』のが非常に面白くなってきた。
つまり個人としての書の良さといったものを楽しむだけでなく、背後の歴史的状況を思うと、いよいよ面白くなってくるのだった。

花園天皇の日記がある。ご自分が読んだ書物のタイトルを書かれている。
中には史記や淮南子もあれば、論語もある。ツノのない鬼谷子といったものまである。
ツンドク本は許さじ、という感じ。

後醍醐天皇の御宸翰は鳳に乗る仙人の図を下絵にしたものに書かれていた。さらに梵字までが書写されている。
力強くていい文字だが、この天皇も闘われた方だった。
剛毅な方には剛毅な文字ということなのか。

観心寺縁起がある。後小松天皇がお寺の所有財産などの目録を書かれている。
物語とか創建ものではなく、リアルな文書。後小松天皇は確か一休禅師の父上でしたか。

融通念仏縁起の詞書は後花園天皇で、非常に力強い。
桑実寺縁起は後奈良天皇で優美。
違いを知る。

その後奈良天皇の般若心経があるが、災害を防げなかったことを悲しみ悔やみ、これ少しでも役に立てば、というココロモチを書かれている。
「民の父母」という自称があるが、つまりそうした責任感を持たれていたのだ。
こうしたところにも発見がある。
そしてその数年後には金剛般若経を書写されている。とてもわかりやすい書体である。
zen897.jpg

後陽成天皇の消息がかなり面白い。太閤が朝鮮出兵するのを止めるものと、それに近衛信尹を連れて行かないで留めて、というものとがある。
信尹と太閤との確執を思いながらこの消息を読むと非常に興味深く思われる。
また、書面により書体も変わるのが著しく、その点だけでもたいへん面白い。

こちらは縦書きで「龍虎」「梅竹」。後陽成天皇は魅力的な文字を書かれていたのだ。
zen898.jpg

それにしてもこの時代は三藐院近衛信尹、小野のお通など綺羅星の如き能筆家が存在していたのが、本当に凄い。

御宸翰の貼り混ぜまである。276枚の色紙で構成されていて、厚みが14㎝ほど。す・ご・い・ぞ~~

中御門天皇宸翰諡号勅書というものがあるが、あまりに物凄い表装で、そちらに眼を奪われた。字自体はなかなか大文字で立派なのだが、とにかく凄い表装で。
一方、桃園天皇のそれはとても16才の少年が書いたものには思えない立派さがある。

後桜町天皇が和歌を書写されたのがある。詠題は上冷泉為村。
その上のお題の文字を見ていると、蕪村を思い出すような肥痩ぶりだと思った。
時代も同じような時代であるし、流行かもしれない。
zen897-1.jpg

孝明天皇の消息が非常に魅力的だった。
内容がとてもいい。近衛忠煕に糸桜はいつ満開になるのかと問い合わせたりしている。
その消息では「糸桜 開花」と略字が使われていた。開も略字である。ここには出てくれない文字。一方、見学後は「絲櫻」と正式文字になっている。
高坏にお菓子煮物をいっぱいに、と先日の絲桜鑑賞会のときの礼を述べている消息もとてもいい。楽しかったことがヒシヒシと伝わってくる。

大正天皇の一行書、昭和天皇の「無相」号で展覧会が締めくくられている。
かなり面白い展覧会だった。11/25まで。
関連記事
スポンサーサイト



コメント
No title
新嘗祭の日、京都はあいにくのお天気でしたね。おつかれさまでした。
この展覧会、知っていたけど遊行さんの記事見て、いきたい気持ちになるも、明日25日で終わりですか...
後陽成天皇のご幼少の砌の、越天楽の篳篥の唱歌を奔放な平仮名で書かれた覚え書きの断簡を軸に表装したものがあるらしいですね。「ちらろるろ たあるら」とかでした。後の世に、どうせ豪商かなにかが、茶の湯で使うために仕立てたものなんでしょう。
用事が早く終われば、いってみたいなあ。
2012/11/24(土) 01:10 | URL | とんぼ #uaIRrcRw[ 編集]
☆とんぼさん こんばんは
後陽成天皇のエピソードも書かれていて、とても興味深く眺めました。
天皇も色んな性質の方がおられるので、それがまた面白いです。

丁寧な字・平静な字・焦る字・・・
色んな感情がそこに現れているなと思いました。
2012/11/25(日) 01:11 | URL | 遊行 七恵 #-[ 編集]
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア