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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

物語を描く

日本には豊かな文化があった。伝説や物語を、飾る絵画形式にするだけでなく、身近な小物に例えば扇子や屏風などすぐ目につくものにも、それらを描いた。そしてそれら物語はたいへん普遍的な存在で、日本人の知の共有財産でもあった。
今現在、古美術以外に何かそうしたものはあるのか。

分館で貰ったチラシで機嫌よく晴天秋日を鹿ケ谷に遊んだわけだが、泉屋博古館の中庭からの借景は優美であった。

物語といえばまず浮かぶのは、竹取物語と源氏物語である。前者は作者未詳だが、明らかに人の手により作られた物語であり、後者はわが国が誇る文学作品である。
今日に至るまで本歌取りした工芸品や二次創作やマンガやアニメにまでなる人気作品が、江戸時代にも捨て置かれるはずもなく、様々な手で視覚化されてきた。

展示されている源氏物語図屏風は説明によると、岩佐派の手によるものらしい。表情に確かにそんな匂いがある。
個人的嗜好はともかくとして、源氏物語と伊勢物語は古美術を愛好する以上、必ずアタマに存在させていないとならぬ作品である。
巻の何巻のどのシーンが描かれているかと言うことは、一目で見分けねばならぬし、どの状況でかと言うことも押さえておかねばならぬ。
そうせずとも楽しめるかもしれないが、物語を読了・理解しないと、こうした二次創作の味わいは、通り一遍のものでしかなくなる。
味わうにはやはり貪婪なまでに深く深くそこへ入り込みたいと思う。

伊勢物語図屏風は宗達作と言う伝がある。
河内の女がごはんよそうのを見て厭になったり、捨て置いた女が諦めて他の男を迎えようとしたときに現れ、事情を知って消えていったため、女が血文字で岩に歌を残して絶命したり、などたまらないシーンが描かれている。武蔵野らしきのや八つ橋も、なんとなく背景はきれいでも人物が阿呆に見えて仕方ない。
大原御幸もあるが、これも前提としての話を押さえていないと、なんのこっちゃになるのだろう。
数年前、歌右衛門が建礼門院、法皇を島田正吾で見たとき、静かな感動を覚えたものだ。
憎しみからの解放、和解・・・それがこの大原御幸のテーマでもある。
この屏風自体は桃山時代のものだが、描かれ方がわかりやすく、近代日本画のようにもみえた。

わたしは今回、是害房絵巻が楽しみで来たのだ。
南北朝時代の作ながら、多少わかるような文字もあり、何より表情がイキイキしているのでとても面白い。
曼殊院のも見たが、両方とも烏天狗の描き様がとても面白いし、風呂場の感じがよくわかる。鳥獣戯画や長谷雄草紙でもそうだが、割と笑えるものが多いのだ。

佐竹本の源信明が出ている。今年は北村でも三十六歌仙が出ている。
わたしは絵葉書コレクターなので色々買い集めているが、この佐竹本三十六歌仙は、まだ三分の一しか手に入れていない。十年ほど前の東博・やまと絵の展覧会で、斎宮女御を見たが、あれは一体どこへ蔵われているのだろうか・・・

竹取物語だが、先々週まんが日本昔ばなしが再放映され始め、かぐや姫が出たのを見たところなので、ついつい比較してしまった。ははは。
それや復刻された講談社の絵本が意識にこびりついているので、どうもまぜこぜになっている。

狩野派の海士図が縦長な感じでこちらに迫ってくる。
この内容は国芳の浮世絵で何種か見ているが、あちらは三枚続きなどの横長なので、軸装のつまり縦長画面の絵がとても新鮮に思えた。

二十四孝ね・・・老老介護とかそういうのをチラリと思い出した。七十翁の親と言うことは九十翁媼だし、七十息子にしても既に人の親であり祖父でもあるはずだ・・・中国は奥が深いなあ・・・

機嫌よく出たが、この建物の可愛いところは入り口の扉の押し手である。ちゃんと青銅器風になっている・・・・・・。
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