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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

高山辰雄・奥田元宋 文展から日展へ

ようやく山種美術館での「高山辰雄・奥田元宋 文展から日展へ」をみる。
どちらもとても好きな画家である。
中でも高山辰雄は最初はたいへんニガテな画家だったのが、あるときから非常に好きになった。
心の中で大転換が行われたのは、山種所蔵の「坐す人」と小川美術館所蔵の連作「聖家族」を見たからだった。
それは共に1993年のことだった。もう今から20年前の話である。
93年3月に茅場町時代の山種で「戦後の日本画」展を見て、そのとき川端龍子「夢」と高山「坐す人」が出ていて、強く撃たれた。
龍子の「夢」は今もロマンティックな作品として愛しているが、高山の「坐す人」から受けた衝撃は、愛とは違う形の何かをわたしの心に刻んだ。

「坐す人」からの衝撃が抜けぬまま、わたしはこれまでの反動のように高山の作品を追いかけ始めた。
しかしわたしが見ることの出来た作品は、近年の静謐で安寧なものばかりだった。
あの衝撃は行き場をなくしたまま、わたしの底に鬱積した。

梅雨時、今まで知らなかった三番町小川美術館で高山辰雄「聖家族展」が開催されると知り、麹町へ向かった。
番町界隈は殆ど知らないが、町歩きには愉しいところだった。
展覧会は無料だった。受付にも中にも誰もいない、洞窟の中のような空間に高山の「聖家族」の連作が飾られていた。
相客はいなかった。
わたし一人がそこで「聖家族」を眺めていた。そして一人で涙ぐんでいた。

気づけは20年過ぎている。三番町小川美術館を再訪することもなく、そこが開館しているかどうかすら知らない。
今回「聖家族」のうちから数点がここに来ている。所蔵は変らない。
次に再会する機会があるかどうかはわからないが、絵はそこで生きている。
高山辰雄は鬼籍の人になった。
「日月星辰」展はもう途絶えてしまったが、それでもこうしてかつての名品が世に現れる。
今も高山の作品を眺めることが出来るのだ。

前書きが随分と長くなったが、わたしは今回の展覧会を楽しみにしつつも、出遅れていた。
それがようやく見ることが叶い、深く喜んでいる。
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地下の展示室へ向かう。自動ドアが開き右手へ曲がると、「聖家族」の一枚があった。
記憶と違う色彩を見せている。あの暗い小川美術館の中で見た絵は全てモノクロだったはずなのに、薄い茶色が浮かび上がっている。モヘアのセーターのような質感がそこにある。
解説プレートを読む。これは経年変化だと教わる。高山はそのことを知りながらその素材を使って絵を描いたのだ。群緑絵の具を焼いた「黒群緑」である。
これは高山辰雄が仕掛けた、後年の観客への遺産だった。

古びのついたものを愛でる習性が日本人にはある。
真新しいものも好むが、経年劣化を愛する感性がある。
ピカピカ光る銅鐸より、緑青に覆われた銅鐸が可愛い、というキモチである。
高山の「聖家族」は20年後の今、色が変わって温かみが増し、「聖家族」の幸せさがいよよ深まっていた。

「聖家族」に向き合う場所に孤高の「坐す人」がいた。
眉根を寄せ、輪郭線の太い大きな手が膝に置かれ、胡坐を組んだ足うらがはっきりと見える。これは苦行中のシッダルタの姿だとも言う。
「近代の宗教画」ということを考える。わたしはこの絵にすがりたいとは思ってはいないが、何故か非常に惹かれるものを感じている。理由は最初から考えた事がないままだが。

緑の影 紫陽花を描いている。綺麗な青でまとめられてる。タイトルは「緑の影」ではあるが青い絵。

春を聴く 鳩のいる空間。ずっと向こうに木の影が見える。鳩のつがいを描くのが好きだったか、バラを配した絵もある。静かで優しい雰囲気がある。
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中秋 金茶色に銀月。無人の地に光が落ちる。家がぽつんと建つ。誰もいないが寂しくはない。静かで豊かな世界。

10点にも満たない作品数だが、会場内にいるときは、そのことに気づきさえしなかった。
心が深く静かに満たされているのを感じる。
いい気持ちになる展示だった。

次に奥田を見る。
元宋の赤、という言葉がある。青と言えばフェルメール、巴水、海老原にそれぞれの青がある。
赤は「元宋の赤」と突き抜けている。

奥入瀬(秋) 紅葉の時期の奥入瀬渓流の美しさを余すところなく描ききっている。日本の赤は秋にある。元宋の赤は日本の秋を絹や紙の上に再現する力があった。

松島暮色 赤のない絵。銀色の島が浮かぶ水面。向こうに夕日が見える。水面に島が映る。こちらも銀色である。雪が積もって銀色になったのか。しっとりした情緒の濃い絵。
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副題にある「文展から日展へ」というとおり、明治の昔から昭和の終わり頃までの絵が集められている。
見慣れた好きな絵が多く出ていた。
また、初めて見るものもある。

古径 闘草 古風な時代のこどもたちの遊び。愛らしい。
松園 蛍 艶めかしい素材を高尚に描く、と言う意味を考える。健全な美しさは情趣に満ちていた。
春挙 火口の水 二頭の鹿が水を飲む。細い二日月が上っている。火口には緑も萌えている。春挙らしい山岳風景。
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映丘 山科の宿・おとづれ 前期に出た「雨宿り」で仲良くなった男女だが男はその地を去り、久しぶりに「おとづれ」た家で女が我が子を生んでいたことを知る。新興大和絵の旗手だけに優美さが全面に行き渡っている。

小虎 春の訪れ 白木蓮など春の木花が咲き、蝶も舞う中を春の女神たちが悠々と飛んで行く。小虎の絵の愛らしさ・おっとりした風情がとても好ましい。

佐藤太清 清韻 豌豆畑は花盛りである。そこへ蛾らしきものたちが舞い舞いしている。薄緑と白の豌豆、蛾は鮮やかであり、また重い色のものもある。肺が清々しくなるような光景。

野島青茲 麗衣 インド美女!ハッと胸を打たれるような美人がいる。半世紀前のインド政府要人夫人・グーバー女史の肖像。不透明な色調が心に残る。

蓬春 芍薬 この花の甘い匂いが好きだ。絵を見ていると花の匂いがこちらに届くようだ。この絵が展示されるといつも同じ感想しか浮かばない。いい匂いのする絵。その魅力にいつまでも囚われてゆくに違いない・・・

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明治 月庭 舞妓二人のささやきあう様子。わたしは明治の絵を見るといつもステンドグラスで再現してみたい、と思うのだ。自分にそんな技能はないにも関わらず。

川本末雄 秋耀 牛島憲之を思わせるようなシュールさ。孤島がぽつんと浮かぶ海。日本画の新しい地平から生まれた絵。

杉山寧 響 この絵を見ると必ず茅場町時代の山種美術館を思い出す。初めて来た日、階段の壁面にかけられていてギョッとしたのだ。あの衝撃は大きかった。だからか、今でもこの絵が出ると必ず茅場町での展示を思い出すのだ。
そして大きな気持ちになる。

魁夷 年暮る 名作中の名作だと思っている。魁夷には多くの名品があるが、わたしはこの絵を見るとたまらなく京都へ行きたくなる。実際にはもうこんな様子ではないのだが、それでも京都としか言いようがない。すばらしい絵。そしてこの絵を見ては、日本人でよかったと思うのだった。
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いい展覧会を見たことを、ただただ喜んでいる。

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