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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

国宝 十二天像と密教法会の世界/成立八百年記念 方丈記

京都国立博物館の「国宝 十二天像と密教法会の世界」展は美麗な仏画にあふれた展覧会だった。
まず最初に国宝の十二天像が現れる。
チラシの十二天、それぞれの全身像を眺める。
元は東寺に伝えられた一連の仏画は今、この京博に納められている。
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この十二天像は平安時代の大治2年(1127)に描かれた。
東宝記の巻二に制作経緯が書かれている。
ここにあるのは18世紀の書で、リズムのある書体なので、多少はわたしにも読める。
とはいえきちんと解説に書かれているので、労せずしてその意を掴める。
なんでも最初に描いたものは、鳥羽天皇から「疏荒」と言われたのでこのように描きなおしたとか。
「ヤレヤレトソアリケル。縁ニハ錦モテスト云々。其ヲ疏荒之由、鳥羽院間食」というのがその部分。
なお「東宝記」は東寺の歴史書、いわば社史である。
院政期の美麗な絵画はこうした裏話を持っている。

十二天、それぞれの魅力がある。
最初に全体を眺めてから、一体一体をじっくりみつめる。
座る敷物、従者なども全て違い、特性が描き込まれている。
順不同で挙げてゆく。

火天 グリグリした炎を背景に持ち、髪は個性的な髷である。たすき掛けに袈裟のようなものを身につけているためか、向かって右側の従者もそんなスタイルである。
一方左側の従者は外見は似ていないが、同じような手の開き方をしているのが、やっぱり仲間の印か。
倶利伽羅文のような炎のまとまり方も面白い。
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帝釈天 なかなかの美貌で、右のこれも美麗な女性風な従者が花を捧げている。左の従者も美貌。

毘沙門天 従者もみんなコワモテである。甲冑もさすがに毘沙門天とその仲間だけにしっかりしている。よく見ると、毘沙門格子がちゃんと甲冑に描かれている。
毘沙門天が掌に置いているのは小さな宝塔のように見える。髭も綺麗に整えていて、かっこいい。
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地天 朱唇がなまめかしい。

風天 風に吹かれているのか風を起こしているのか、身にまとうヒレも相当な勢いでそよいでいる。風天はそれを見るように風の方向に顔を向けている。甲冑を身につけているがその甲冑の文様にきり金が使われている。
タレ目のおじさんという容貌も個性的だ。左の従者も甲冑姿でやはり風を発しているらしい。
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梵天 三面で色白の美しい容貌がいい。

水天 色白でふくよかな美しさがある。これだと鳥羽天皇も文句のつけようがないだろう。
蛇頭のついた棒を手にしている。袈裟に水色があるのは属性を思わせて面白い。袴が赤地に花丸柄なのも可愛い。
チラシに選ばれているが、巳年ということも関係あるのか。そんなことを考えたりするのも楽しい。
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月天 左の従者の目つきの妖しさにどきっとした。

日天 目が細い。

・・・・・それぞれ従者の取り合わせも興味深いと眺め歩くうちに、いきなりスタイルの違う神仏が登場してぎょっとした。
片足を上げているのは蔵王権現などではないか。従者もいないし・・・と思っていたら、解説プレートを見て納得。
軍荼利明王だった。この像は今も東寺にいて、そう言われれば見たことのある顔立ちをしている。
頬にシミなのかてれたマークなのか、丸いものが浮かんでいる。火はぐりぐりである。
この十二天と五大尊像はセットで作られたのだった。
前期には不動明王が出ていたそうだ。
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いずれも非常によかった。それぞれの属性を見いだしたり、衣装の違いを比べたり、従者たちを眺めるのも楽しかった。
仏画の美を堪能した、と思う。

次の室へゆく。
弘法大師の像がある。
互御影とある。これは僧形八幡神と大師とが互いの肖像を描きあいしたことからついた名だという。かなり剥落している。沓があるのはわかるが顔がほぼ見えない。

和菓子の虎屋さん所蔵で初公開の大師像がある。秘鍵大師像というそうだ。稚児文殊のように光の輪の中に、剣を持つ大師がいる。輪の外にいる貴人は空海を師と仰ぐ嵯峨天皇。右には浄瓶。その間には大師の巨大な沓。
解説シートがあるのでそれをもらう。
これは弘仁九年(818)疫病が流行した際、嵯峨天皇から宮中に招かれた空海が密教の立場から般若心経講義した(般若心経秘鍵)姿を描いたものだという。
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また、空海像のスタイルは彼の弟子・真如法親王から始まるとあるが、その法親王がいわゆる高丘親王だというわけで、わたしとしては澁澤龍彦「高丘親王航海記」を思い出して胸がきやきやするのだった。

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延喜19年(919)に拵えられた優美な冊子箱。あちこちに迦陵頻伽が飛び交う。表に二列で文字が書かれている。
真言根本阿闍利空海
入唐求得法文冊子之筥

仏画がある。
求聞持虚空蔵菩薩像 半眼なのは別に普通だが、それでもどこかきかん気そうに見えるのは、その放物線を思わせる口元のせいか。記憶力の仏様と言うことなので、わたしも手を合わせ、大いに拝む。

孔雀明王像 ピンクがかった肌にはっきりした容貌。騎乗する孔雀は真正面顔がファンキー。白い爪がパキパキしている。智積院蔵。以前「美麗 院政期の仏画」にも出ていたように思う。

天明九年(1789)に模写された年中行事絵巻のうち、巻四大極殿御斎会・巻五真言院御修法がでている。
白描でさらさらと描かれているが、人々の活気あふれる姿が活写されていて、それを見る方に興味がいった。
笑ったりくつろいだり、袖に手を入れてみたり、走ったり。舞楽の人々も鳥兜姿ではあるが、稽古の最中に見えるのがいい。三等身くらいの人々の動きが活発で、そこに面白味があった。

西大寺から十二天のうち三天が来ていた。
火天・帝釈天・閻魔天である。いずれも剥落が激しい。しかし騎乗する黄牛・白ゾウ・白牛はハッキリ残っている。いずれもオモロイ顔立ちである。特にゾウなどはわたしがよく描くゾウやウサギの目にそっくりで、親しみがわく。
すごく可愛い。

久米田寺の両界曼陀羅がある。少し剥落しているのが惜しいが、皆さん熱心に眺めていた。

密教の仏具がたくさん出ていた。金色に光る仏具が集まるのは壮観だった。
実は私は密教系の仏具をみると、荻野真「孔雀王」を思い出すのだ。裏高野というあれです。
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東寺百合文書というものがあるが、以前から「・・・ユリもんじょってなに?」と思っていたのだが、これはひゃくごうもんじょと言うのだった。前田侯から百合もらったとかどうとか。
その一つに宝物の出納ノートや品名チェックリストなどがある。これらは建保四年(1216)に盗賊にやられたことが由来。その年の2/29に逮捕され、宝物も返ってきたそうな。
もうすぐ800年、確かに閏年だ・・・

元禄五年(1692)、先の十二天の絵を納める唐櫃が拵えられた。朱色の櫃で大きい。棺のようにも見えるが、とても立派だった。

ところで十二天というのは空海の頃までは確定していなかったそうだ。彼の後の宗叡の時代にメンバーが確定したという。それまでは十天だったり八天だったり。

灌頂というものは空海から始まっているようだが、そのときに稚児を愛でる風習も取り入れたとか、そういう囁きもあるのだが、それはただのヨタにすぎない。尤も、わたしはそんな話大好きだが。

中央室へ。
神護寺の十二天像と山水屏風がある。

十二天はフルカラーで非常に鮮明。鎌倉時代の作。
誰が誰天というのは書かれていないし、種字も読めないので、持ち物や装束などから推測する。

火天 インドの山奥で修行をして、そうな人。(ダイバダッタの魂宿し、だとレインボーマンだ)
月天 手に下弦の月とその上に白兎が乗る。
日天 赤玉を手に乗せる。太陽の中にいるのは鳥。
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毘沙門天 こちらは普通の冠にみえるが、すると先の国宝の毘沙門天は兜拔毘沙門天だったのだろうか。
腹の怪獣がなかなか可愛い。装束も繊細な表現だが、指の形がとてもいい。
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風天 やはり風になびいている。こちらも武人の様子だが、大元のインドではどんな神様だったのか。
地天 と思うのだが。花の入った籠を手に持つ。朱唇がなまめかしい。
梵天 違うかもしれないが。装束の美麗さがいい。

閻魔天 解説プレートに「スイカ柄の」とあり、誰がそんなのを?と探したら、閻魔天の腰布が赤地のスイカ柄だったのだ!!花まで咲いている。おお~スイカ~!こんな柄の布地、他にないで~!!なんだかめちゃくちゃ嬉しい。

山水屏風はどうもあまり興味を持てなかった。
というより、十二天にコーフンしすぎてしまった。
五種の山水図がある。時代もいろいろなのでそれを書く。
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平安時代・京博 桜というより白ハナミズキのような木がある。人がくるのが見える。
幕末・神護寺 冷泉為恭模本 大和絵の名手と呼ばれるだけに古画に劣らぬ佳さがある。青と緑がきれい。
鎌倉時代・醍醐寺 忠実な模本。花見にくる高士など。
あとは残ケツが出ているが、南北朝時代のもので、京博と出光美術館とで分蔵している。

高野山水屏風 鎌倉時代 四季の高野山がある。二扇で1セット。雪の積もる本堂。緑濃い寺内。蓮の咲く池に、くつろぐ鹿たち。僧と稚児のいる風景、梅も咲く。
人はあくまでも小さく描かれている。鳥瞰図風。おしどりも小さくいる。みればみるほど新しく細かいものに気づくのだった。

最後にまた十二天をみる。
平安時代の面である。
梵天・帝釈天・風天・毘沙門天。梵天・帝釈天はよく似ていた。白と黄色の違いはあるが。

先に挙げた神護寺のを手本にもしたのか、滋賀の聖衆来迎寺蔵の十二天のうち六天がある。伝・高階高兼。
・水天 蛇もつ緑色。・火天 インドで修行。・伊舎那天 緑色で鉢持つ。・閻魔天 スイカでなくカボチャ柄の腰巻き。
ほぼ同じ感想が胸にわいた。

三重の大宝院旧蔵で奈良博に入った鎌倉時代の十二天像もある。
中でも個性的だったのは日天。両手に芥子の花を持っている。それから伊舎那天は首からドクロを下げている。深沙大王またその後身たる沙悟浄の姿を思わせる。

最後に南北朝から室町時代に描かれた十二天が現れた。
これは親戚同士のある個人がそれぞれ半分ずつ所蔵しているそうだ。初公開。敷物がそれぞれ違うのが目に残った。

仏画の美を堪能させてもらい、ありがたく会場を出た。
出たら今度は成立800年記念「方丈記」展が始まる。

大福光寺蔵の「方丈記」が巻首から巻末まで公開されていた。これは鴨長明自筆という伝承のある最古の写本らしい。
セルフカバーノートである。
「ユク河ノナカレハタエスシテシカモモトノ水ニアラス」から始まる現物を初めて見た。
平安末の五大災厄についても詳しい。
安永の大火、治承の辻風、福原遷都、養和の飢饉など。
「クサキ香世界ニ満チ満チテ」云々。
このあたりを読んでいると、以前の京都文化博物館常設室にあった映像「都市の栄光と悲惨」が思い出される。
あの映像には方丈記のこの一節が引用され、映像として一遍聖絵、長谷雄草紙、そしてボッシュやブリューゲルの地獄やバベルの塔の絵などが流れ、更に太郎焼亡・次郎焼亡が語られ、最後には「祇園祭」が現れるのだった。

この展覧会を見ていると、文化博物館の失ったかつての宝をいやでも思い起こされてしまう。全くもったいないことをしたものだ・・・

ふと見ると、床面にテープが貼られ「方丈」が作られていた。そうか、この空間か。実感が生まれてくる。
出家と遁世とは違うということもハッキリと腑に落ちる。

鴨長明は下鴨神社の正禰宜惣官の子として生まれた。
その下鴨神社の境内図がある。
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昨年二度ばかり神社を訪ね、社家町をふらふらしたが、この境内図を見ると、なんとなく懐かしい気がする。

こちらは去年の下鴨神社での展覧会に出た資料。長明ゆかりの河合社の境内図と、再現された方丈である。
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餓鬼草紙があった。生きてる人々の間にうごめく餓鬼ども。
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人が汲んだ水のおこぼれを待つ。ごはんもまともに食べられない。
目蓮尊者の母が餓鬼になったことは知られているが、その絵も出ていた。
最後はむろん救いがある。施餓鬼で癒される餓鬼たち。

発心集断簡 「安居院聖 行京中時 隠居僧値事」アグイの聖についての記述がある。こういうのを見ると、それだけで嬉しい。

仏画をみる。
普賢十羅刹女像 いつものメンバーに訶梨帝母も加わる。みんなけっこう気合いの入った女人たち。

阿弥陀四尊来迎図 丸顔のお地蔵さんも参加の来迎図。なんとなく安心しやすいかもしれない。

面白い歌集もある。
藤原成範家集断簡 左に和歌が並び、それを眺めるように右手に藤原成範が配されている。彼は頭に手をやり、ちょっと「てへっ」な様子にも見える。

明恵上人の夢記も出ていたが、字は読めない。

最後に曼殊院の是害房絵が出ていた。対決に敗れて怪我をして倒れた是害房を日本の日羅房らが戸板に乗せて助けるところ。みんなに散々言われる是害房がちょっと可哀想である。
これから湯治をしてもらう手前のシーン。
読めた文字を写す。「我ガ本朝ニ岩湯・・・熊野ノ湯ノ峯、箱根ノ湯・・・近年ハ有馬ノ岩湯ニテ諸人療治ニ」
要するにわが国の湯治で有名な温泉の名を挙げているのだった。

こういうのが出ているとは知らなかった。ラッキー。

こちらも2/11まで。
 
面白い展覧会を二つも見せてもらえ、たいへんよかった。
2/11まで。
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