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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

上村三代の趣向を説く ~三者三様の試み~

松伯美術館の2/3までの企画は「上村三代の趣向を説く」~三者三様の試み~である。
わたしが最初に見た上村三代の展覧会は、'89年2月の難波高島屋での「松園・松篁・淳之三代」展だった。
高校の頃から松園さんの「花筐」に惹かれていたわたしは、やっとこのとき展覧会に出かけられたのだ。
しかも夕方6時を過ぎていたので「トワイライトサービス」として値引きされ、本当に嬉しかった。
その後、上村家の常設美術館が奈良に生まれてからは、企画展ごとに出かけられるようになり、ありがたさがいよいよ身にしみた。
つねに過去のことを思い出す体質のわたしは、何年経とうとも、こうして喜ぶことが出来るのだ。

まず松園さんの作品を見る。

虫の音 近世風俗画のような構図である。柱にまといつく女がいる。座敷では琴を弾く女と、三味線を弾く盲人がいる。縁側でくつろぐ女たちもいる。「彦根屏風」から想を得たのではないか、と解説にある。なるほどそうかもしれない。
近くのガラスケースにはこの絵のためのエスキースがたくさんある。明治42年、松園さんもまだまだ勉強中だったのだ。遊楽気分はやや薄いが、楽しそうな雰囲気はある。

人形つかい いかにも明治末頃の作品だという感じがある。どこがどうなのか専門家ではないから論理的な説明も歴史的な説明も出来ないが、明治だという実感がある。
これは松園さんの絵の流れと言うだけでなく、他の日本画家でもそうだ。特に人物を描く画家に顕著だとも思う。何度も見ているが、みんなが人形芝居を楽しんでいるのがよく伝わる。

美人舞踊図 これもまた先の「虫の音」同様に近世風俗画から学んだように思う。スケッチや下絵がたいへんいい。こうした稽古があればこそ、本番にいい味が出るのだ。
髪型は面白い髷(二つの長い輪を結ぶ)に手ぬぐいをかけたもの。小袖も腰まで落として次の着物を見せている。軽やかな手踊り。ここからは明るい歌も聞こえてきそうである。

鼓の音 非常事態が近づいている昭和15年、それでもこうした優美な作品を描いている。その精神力の強さに感銘を受ける。世間から隔絶して好きなことをしているのではなく、世間を知り尽くしながら、あえて己の住まう世界を深め、それを表現するところが本当の心の強さを示しているのだ。

暮秋 狂女である。白い背景の中に笹を担ぐ女がいる。笹を担ぐのは狂女の印である。女はかすかに口を開き、前方に向けて手を差し出している。しかし何も掴めるものはない。
昭和18年というご時勢にこうした絵を描く。晩年のある日、松園さんは何を見出し、この絵を描いたのだろう、どんな想いをこの絵に込めたのか。そのことに心が向う。

下絵やスケッチがたいへんよかった。正直な話、近年は松園さんの完成作よりそこに至るまでの軌跡に関心が向く。スケッチや下絵の類を見ていると、完成作が非常に静謐なものだと知る。スケッチでのアクティブさはどんどん削ぎ落とされ、軽い明るさも殺され、そして「気高い本画になる」のだった。


次に松篁さんの作品を見る。

鳥影趁春風 白木蓮に雀らがいる風景。白木蓮は静かにたおやかに花を開いている。雀たちも小さくさえずりながらその木の周囲にいる。ふわりとした花。にじむような白。幻想的な美しさのある光景。

冬暖 まだ後年の松篁さんの作品イメージから遠いが、温かみのあるよい作品。昭和8年の上村家のある日の光景。小さな娘二人が廊下でそれぞれ遊ぶ姿を捉える。
折り紙で拵えた奴さんで遊ぶ次女、座ったときにふと見上げた空に何か春の予感を感じ取る長女。戦前の幸せな家庭の一こまがここにある。

狐 長い胴を伸ばした狐が不意に背後を振り向く一瞬。白と茶色だけで構成された絵。戦時中の作品。松篁さんの描くこの狐は、白蔵主の変化前のようにも見える。賢そうな狐である。

澗 カン・ケンと読み、「たにみず」の意味がある。キュビズム風の岩がある。昭和28年、日本画滅亡の議論が出ていた頃。新しい日本画へ向うか旧を守るか。結局松篁さんはこの方向へは向わなかった。だからこそ、「上村松篁」になったのだと思った。

熱帯花鳥 緑の背景にトーチジンジャーの赤い花と、白の極楽鳥と。この艶麗さがいい。ハワイに行って松篁さんは熱帯の心地よさと絢爛な花鳥を堪能し、その経験からこれら一連の作品が生まれてくる。
ハワイに行った人で、こうした歓びを絵にしてくれたのは、松篁さんだけではないか。
ポリネシアの歓びを版画で描いたポール・ジャクレーという先達もいるが、日本画では松篁さんに尽きる。

鴛鴦 これも好きな作品だが、見るタイミングによって全く違う楽しみが見出せるのがいい。今日のわたしはこの作品を見て、鴛鴦の群れに鴨が一羽混ざっているのが気になった。
もしかすると隣で同じスピードで進む鴛鴦は、この鴨に何かしらアプローチしているのかも・・・と思ったり。鴛鴦たちがスイスイ泳ぐ水面。上半分に集まる鳥たちに視線が集まるが、しかし水は手前にも広々と続いているのだ・・・
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ハイビスカスとカーディナル ピンク花と赤頭の鳥との取り合わせ。そういえば先の「熱帯花鳥」といいこの絵といい、いずれも昭和38~39年という「憧れのハワイ」時代の産物ではないか。「トリスを飲んでハワイへ行こう」というキャッチコピーを思い出した。

緋桃 これもたいへん好きな絵。鳥はニガテだが、松篁さんの描く鳥はある程度大丈夫である。深紅の桃花。桃は楯に四角く咲く。松篁さんのエッセーで知ったことである。
わたしは松篁さんの絵から花の咲き方を教わることもあった。そしてここにキジのつがい、キジップルがいる。花に負けない赤い顔をしたオスと「おや」という顔つきのメスと。
松篁さんの派手な色調が本当に艶やかで明るい。
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最後に淳之さんの鳥たちを見る。

鴫 淳之さんはシギがお好きなのか、わりとシギの絵が心に残っている。薄明かりの時間帯か、シギが一羽、汀の植物のそばに佇んで、描かれていない月を見上げている。
ほんのりと温かい心持ちになる絵。

白鷹 勇ましい白鷹はよく見るが、この白鷹はまだ幼い鳥なのか、どこか不安げなところが見える。可愛い。きゅっとした嘴は確かに鋭い猛禽のものだが、目がまだ優しい。頭をなでてやりたくなる。

水辺の朝 薄い色の月下にシギが飛ぶ。楽しそうに飛ぶ。他の鳥がその様子を眺める。幸せな一日の始まり、その予感がある。
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四季花鳥図 大阪新歌舞伎座緞帳の原画として3年ほど前に描かれた。最初に見たとき、非常に深い感銘を受けた。鳥たちの楽園。わたしは鳥がニガテなのだが、この絵を見ると、優しい気持ちになる。

淳之さんの描く鳥たちはいずれもみんな優しい目をしている。父上のような絢爛豪華さ・艶麗さはないが、つつましい幸せがそこここにある。
三代それぞれの個性の違い、それを楽しませてもらった。
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