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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

江戸後期の美術 都市文化の洗練

大和文華館で「江戸後期の美術 都市文化の洗練」を見た。
基本的にわたしは常に「都市文化の洗練」に関心が向かうので、この企画展は興味深いものだった。
前月まで「江戸前期の美術 都市文化の華やぎ」として琳派をはじめとした絢爛な世界が開かれていた。そちらもたいへんよかったので、今回も期待して出かけた。
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いくつかのカテゴリーに分かれているのでそちらを少しずつ。

・写実趣味・西洋趣味
タイトルのほかに沈南蘋の影響を受けた、というのもある。
正直なところ、このあたりはビミョーすぎるのだが、それはそれで面白い。

ライオン図 宋紫石 明和5年(1768) いや~モロに静養の影響受けて描いたんだけど、ちょっと違うでというライオンさん。でもけっこう顔は怖い。この雰囲気は明治の動物画にもある。動物園で模写をする以前の絵師たちの絵がやはりこんな風情を見せている。
ある意味では架空動物になっているのが面白い。

西洋婦人像 石川大浪 何度か見ているが、手本を見て描いてもこうなるのかと思うことが多い。前から思っていることだが、画力と言うものが進化するのは個人の力だけでなく、時代もまた進まなければムリなのではないか。
変な喩えだが、昭和30~40年代からマンガを描いている作家たちも、50年代以降は転換期を迎えて、随分画力が向上したのを目の当たりにしている。新しく出てきた作家たちの影響があったにしても、そこへゆくのには個人だけではムリなのかもしれない。

少女愛猫図 石川孟高 こちらは綺麗な模写だと思う。前にも本画と並んでいたのを見たが、今もいい感じの模写に見える。

江ノ島図 小田野直武 浮世絵や大和絵にはない妙なリアリズムがあることが、却ってこの風景を遠いものにしている気がする。別にこれが江ノ島である必要性がない、とも感じもする。♪海が割れるのよ~のチョンドでもかまわない、そういうことだ。つまり多くの人の認識する江ノ島から遠く離れているから、そのような感慨を持たせるのではないか、と思ったりするのだ。

七里ヶ浜図 司馬江漢 「種は尽きねぇ七里ガ浜」のあの七里ガ浜のはずだが、これはどこだろう。こうした写実主義に則って描かれたはずの風景のほうが、より架空の風景に近づくというのは、非常に面白い現象だと思う。
わたしは後世の人間だからそう思うのかもしれないが、リアル江戸時代の人に浮世絵とこうした写実主義との真景図などを出すと、どちらに実感が湧くだろうか。
そういうことを考え出すと、明治初の高橋由一の「花魁図」でモデルになった稲本楼の小稲が「わたしはこんな変な顔じゃない~~」と泣いたのも納得だ。
自分の目で見るものだけが「見えるもの」でなく、共通の認識が生きている以上、多くはそちらに向かうのではないか。

海浜漁夫図 司馬江漢 寛政11年(1799) サカナを持って歩く人々がいるのだが、どうもこれはまた諸星大二郎的世界観に近いのではないか。諸星の描く架空の土地(しかも絶望的な場所である)にたいへんよく似ている。諸星が似ているのではなく、この妙な写実主義が彼の描く架空世界に似ている、と思うのだ。

鱈図 円山応挙 荒々しい筆致で大きくタラをダラーーッと描いている。タラのグレーの鱗もバーッと塗りつぶしているのだが、それが逆に鱗を実感させる仕組みになっていた。

殿様蛙行列図屏風 渡辺南岳 これはまた好きな屏風。けっこう蛙の個体も大きく描かれていて、陸尺も立派。外線は力強い。わいわいとにぎやかそう。それぞれ顔つきが違うのも面白い。

花鳥図 松村景文 雀に牡丹・芙蓉に小禽の双幅。こういうのを見ると、それだけで和む。可愛い雀やあっさりした花。上方の絵の優しさがいい。

ガラスのよいのをみる。
長崎の黄色い蓋もの、江戸の透明な急須、赤や藍の薩摩切子など。
ガラスばかり集めているのもいいが、こうしてチョコチョコと出ているのも素敵だ。

黒漆墨形根付 柴田是真 これは奈良墨を半分ほど使いきった、という形をしている。笑ってしまう。さすが是真である。タダモノではない。

象牙や牙彫り、木彫りの根付けなどなど、ほかにも楽しいものが出ている。是真ほどの奇想はなくとも、それぞれ凝った趣向をみせている。

・文人趣味
近年、このあたりの作品に対することが増えた。そうなると馴染みがわくので、好きになってくる。

七老戯楽図 池大雅 一人一人がなかなか可愛い。こんな可愛い爺さんたちなんているものかと思いつつ、南画の面白さを感じる。

春林書屋図 呉春 こちらもほのぼの。わたしは大雅より呉春の世界が好きだ。ああ、早く春になればいい。そんな気持ちにさせてくれる。

秋渓訪友図 岡田半江 天保14年(1843) 大坂の文人サークルと、この絵とが二重に見えてくる。

親鸞上人剃髪図 田能村竹田 天保四年(1833) 久しぶりに見る。ロングで捉えられた光景。山の中の庵へ向かう一行、そして中へ入ろうとする人々。

東山第一楼勝会図画帖 森徹山ほか 寛政11年(1799) 侍童が煎茶を沸かすのを眺める高士。ねそべりながらその時間をゆったり楽しんでいる。文人たちが京都の東山の第一楼で楽しむ様子が届くようだ。

文人仲間の陶工・奥田頴川、青木木米らの赤絵龍文盃などがある。
思えば文人画の良さを教えてくれたのは、頴川美術館だった。

染付花鳥山水文水指 中川利三郎 鹿背山 林の中に三羽のウサギがいるのが見えた。後ろ姿の三角長耳と丸い背中とが可愛い。

・尚古趣味
古き日本の美を愛でる人々が世に現れ出したのは、いつからだろう。
ここに現れた画家も工芸家も、自分たちの生まれる前の時代の美を愛した。

瓶花図 抱一 文化15年(1815) 紫陽花、芙蓉、白百合、撫子、仙能・・・綺麗で華やか。しかし派手すぎはしない。そこが抱一のセンスの良さなのだった。

螺鈿蒔絵梅文合子 光琳・乾山合作/羊遊斎模造 いつ見ても可愛い。もう雁金屋兄弟の拵えたものはなくなり、後の世に生まれた模造品がこうしてかつての面影をしのばせてくれる。

竹製蒔絵椿柳文茶入 抱一図案・羊遊斎作 大好きな逸品。小さくてカワイイ。二人のコラボ作品のうちでも群を抜いて魅力的なもの。
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'05年にこの大和文華館で「岡田為恭」展が開かれた。今回はここで小さな為恭特集がある。
普段は「冷泉為恭」と表記するわたしだが、美術館にあわせて岡田姓で通そう。
なおチラシ表は全て為恭の作品で構成されている。

善教房絵詞模本 天保12年(1841)白描。女房たちの黒髪が流れるように美しい。

石清水臨時祭・年中行事騎射図屏風 白鶴美術館所蔵のものを特別陳列している。
前後期に分かれて左右が出る。まず右隻を見た。
為恭らしい紺色と金色の使い方が眼を惹く。貴人たちの大事な行事。
ところどころに桜が咲いている。おだやかな色遣いと構成。
この絵を白鶴で見た記憶がないが、絵自体は見ている。もしかすると、'05年のときかもしれない。

春秋鷹狩茸狩図屏風 画像は左隻。小さくてわかりにくいが、右端の松枝に手をかけている侍童は、その下の茸を採ろうとしているのだ。左端の貴人が見るのはカメだったか。
のんびりした風景の中で、人間はそれぞれ小さな行動をとっている。
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春秋の図屏風 秋がいい。貴人と少年少女がいる風景。のんびりした楽しさがある。
画像は右隻。白梅と紅梅がしっとりと咲いている。
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伊勢物語八橋図 留守文様というか、人間を排して、咲きこぼれる菖蒲を描くのが光琳や抱一だったが、彼らよりまだ後世の人たる為恭は、なんと花菖蒲を排して、人間を配した八橋図を描いた。その一方で表具は花菖蒲文様で埋め尽くされている。
これは洒落た趣向だと思う。

為恭の作品を見ていると、ここからさらに数十年後に松岡映丘やまつ本一洋らが現れるのは、必然のことだったのだと思うのだ。

2/17までなので、もう一度見に行ってもいいかと思っている。
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