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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

「書聖 王 羲之」展に行って

「書聖 王 羲之」展に行った。
東博の平成館で3/3まで展示されている。
「書を芸術にした男」と副題がある。
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金曜の朝一番に入ったが、もう既に繁盛していた。客層はどちらかといえば男性が多かった。そしてご婦人はややご年配の向きが多く、いずれも静かなそぶりで熱心な目で作品を観ていた。

<観る>と書いたが、彼らの態度は鑑賞するだけではなく、自らの手でその再現をしてみようと動いていた。
手はコマメに動く。視覚からの情報を脳が整理し、それを指先に送り込む。指は真摯に動く。
わたしは王 羲之の展覧会に在って、彼の作品を見ながら同時に鑑賞者たちの様子をも見ていた。

王 羲之の真筆はこの世に存在しない。
わたしがそのことを知ったのは20年ほど前だった。
小学校の頃から中学まで通っていたお習字の先生のもとへ、今度は大人になってから遊びに行くようになり、先生の死去まで親しくおつきあいをした。
その中での雑談から知ったのだ。

王 羲之の書は全てこの世の外のものになっている。
書は二度と世に出ることはない。
「蘭亭序」などは唐時代の皇帝の陵墓に納められてしまった。
かつての大唐帝国ならば可能なことである。
その皇帝の起こしたことが却って王 羲之の恒久の聖性化につながったのは、やはり皮肉な話ではある。
一人の権力者の巨大なエゴがそのような<事実>を生んだ。
しかし王 羲之は四世紀の人で、その事象が起きたのは数百年後のことである。
その間ずっと王 羲之は「書聖」と崇められ続けていた。

崇敬の念が死後千六百年余の今も続くというのは恐ろしい話である。
彼より少し前の三国時代の皇帝たち・英雄たちの誰かを今も尊崇するものはまずいない。
商売の神様に<なった>関羽は別である。
彼は神様になったから、尊崇の対象になったのだ。
生きている間から書聖として崇められた王 羲之はやはり凄いとしか言いようがない。
洋の東西を問わず、このように技芸の極限に達したものは崇められるべきなのである。

・・・などということを思いつつ、わたしは会場を逍遥する。
順々に観て歩くには、あまりにガラスからわたしの位置は遠い。
王 羲之の書は真筆を臨書したもの・拓本などになったものなどから、その形をありさまをその心情をうかがうことが出来る。
完全な再現などはないので、あくまでも<偲ぶ>ばかりではあるが、多大な情熱がそこにはある。
作り手たちの情熱、真摯な態度は今、目の前にある諸作品からありありと感じられる。
だからこそ多くの観客の目が篤く注がれ、手指の規則的な動きが続くのだ。

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模本の美麗さ、それを味わう。
よくよく考えればそんな展覧会と言うのはまず他にないのではないか。
コピーもの・カヴァーもの、いずれも「所詮偽物」という意識があるのに、ただ一ひとつこの王 羲之の書だけは別である。
後世の人間をこれほどまでに溺れさせる力を持つ技能。
それを成したのが人の手だという事実。
怖いものだとつくづく思う。

展示品のうち、京博や書道博物館の所蔵品はこれまでに無意識のうちに見ているものがある。王 羲之だと認識せぬまま見ていたのではなく、ただ単に見ていただけなのだった。
実に役に立たない、ムダな見方をしていたものだ・・・

いくつかの反省をしつつ、改めて書を見る。
わたしは楷書が好きなので硬い感じの楷書を探す。
しかしそれは王 羲之の世界からちょっとばかり足を踏み外しているのかもしれない。

臨本と模本の違いを観る。素人目で観ても、やはり違う。この違いは面白い。全く違うものに見えてくる。

唐代には「双鉤填墨」ソウコウテンボクという技法が生まれたそうで、これは字の輪郭線を取り、その内側を塗る(細線を書き重ねる)というものだという。
様々な技術があるものだと感心しつつ、はっとなった。
・・・この技術は現在も生きている。お化粧をするのにこの技術は活きている。
眉や唇を形作るとき、この技法をわたしは使っている。


宋代には拓本の技術が最高峰に達したそうだ。
その技能は失われず、現代に至るまで活きている。
谷崎潤一郎「瘋癲老人日記」の作中で、主人公の老人が中国の拓本技術の精度の高さを褒め称えていた。これは老人一人の感慨ではなく、作者谷崎自身の感慨でもあるだろう。
わたしはそこまでの知識がないので、その技能の高さを完全には理解できないままである。

知識。今ここで気づいた。わたしが王 羲之の書に耽溺できないのは、わたし自身に王 羲之の書の尊さ(それ自体だけでなく、多くの人々の喜びも含めて)に対する知識が欠如しているからかもしれない。
現にわたしは蘭亭序のことを知ったのは、この七年ほどの間なのだった。
中国を筆頭にした東洋美術を愛するというてもこのテイタラクなのである。
至らないものがこんな展覧会を見て、申し訳ないような気持ちにすらなる。

その蘭亭序である。
蘭亭図巻・万暦本という素敵な作品がある。
永楽15年(1417)、憲王が拵えた図巻である。
それは書と共に北宋時代の李公麟の描いた蘭亭図を刻したものとを合わせた図巻で、チラシにもその絵が出ている。
そしてこの巻物が展示される空間には水音がし、どこか心地よい雰囲気が醸し出されている。おそらく観るわれわれにもあの会稽での楽しい詩会を味わわせよう、という意図の下での設定なのだろう。
この会では詩歌を拵えることが出来なかったものは、罰杯をあげなくてはならなかったそうだ。
図の中には、王 羲之の息子・献之の姿もある。
彼はまだ10歳だったそうで、それが詩歌を拵えることが出来なかったというが、実際に酒をあおらされたのだろうか。
そしてこの図の中ではどう見ても10歳の少年ではなく、普通のおじさんに見えてしまうのだが。
また働く侍童たちがなかなか可愛く描けていて、よく働くのもいればちょっと盗み酒するのもいたりで、面白い。

楽しい気持ちでその図巻をながめる。
そういえばところどころに王 羲之の人となりを紹介するプレートが掲げられている。
その一つによると、彼はとてもガチョウ好きだったそうだが、ここにいる水鳥は何の鳥だろう。やっぱりガチョウなのだろうか。
彼はガチョウを飼うのも食べるのも、とても好きだったそうだ。
ガチョウといえば帝釈天の乗り物がガチョウだったことを思い出す。

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書道博物館で現在公開中の戯画。

夾雪本と通称される作品があった。歴代皇帝や王 羲之父子らの書をまとめた淳化閣帖という集帖で、虫食いがまるで舞い散る雪のように見えることからそう呼ばれているらしい。
今では王 羲之父子の部分しか残らないそうだ。
李鴻章の所蔵からやがて中村不折に移る。
なるほど「夾雪本」というだけに、非常に綺麗な様相を見せている。
わたしはこの作品にときめいた。
視覚の喜びにふるえたわたしだが、純粋にこの画面にときめいたのではなく、広重の木曾山中の雪の夜の絵を思い起こしたために、歓びが倍加したのだとも思う。

しかしこの展覧会を逍遥しながら(逍遥する、としか言いようがなかった)、わたしはしみじみと、ここへお習字の先生をお連れしたかったと思うのだ。
先生は喜んでくれるだろうに。

書聖・王 羲之の作品を楽しむよりも、その空間にいて、色々と想うことに重きを置いてしまった。
とりあえず勉強しようと思う。
東京美術の「もっと知りたい 書聖王羲之の世界」が手元にある。
もっと知りたい書聖王羲之の世界 (アート・ビギナーズ・コレクション)もっと知りたい書聖王羲之の世界 (アート・ビギナーズ・コレクション)
(2012/12/26)
島谷 弘幸


こちらで学べば、もう少し王 羲之の世界に近づける気がする。
3/3まで。

なお書道博物館でも同日までこちらの展覧会がある。
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追記:王羲之の模本発見ニュース 毎日新聞より。
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