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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

藤間家所蔵 文人名主由縁浮世絵

基本的に浮世絵は、幕末の歌川玄冶店系の絵師のものがいちばん好きだ。
いわゆる「六大浮世絵師」の作品も悪くはないが、やっぱりドキドキするのは国芳、国貞、広重、そして国芳の弟子たちの作品などである。
それはやっぱり幕末の芝居絵やドラマティックなシーンが描かれているのを見たい、という欲求が強いからだと思う。
また広重の風景画は風景そのものの良さに加えて、人の営みの面白さがにじむものが多く、そこにしびれる。

評価が高いとか低いとかはあまり興味がない。
好きなものは好きなので、それでいい。

茅ヶ崎市美術館の「藤間家所蔵 文人名主由縁浮世絵」は面白い展覧会だった。
藤間さんという名主さんが、幕末ごろに集めたリアルタイムの錦絵とやきものが展示されているのだ。
藤間さんについてはサイトに詳しい。

またこのタイトルがうまい。
「ぶんじんなぬし、ゆかりのにしきえ」である。
ちやんと奇数で外題になつてゐる。

展示室に入った途端、嬉しさで跳ねそうになった。
なにしろ自分の好きな世界が広がっている。
どれを見ても・どこを見ても楽しくてならない。

院本もの、上方の世話物は別として、江戸の芝居では化政期の南北から幕末明治の黙阿弥の芝居が面白くてならない。
黙阿弥には大南北のような奇想天外さはないが、いかにも日本でないと生まれないような因果応報とじめついた人間関係と、そして役者の美しさを際立たせる動きと台詞とがある。
それらは舞台で表現され、その舞台が良いことから絵にもなり、また逆に見立て絵が生まれることから芝居が書かれることにもなった。
そのあたりの状況がここに展開しているのだ。

幕末の芝居絵。
役者は主に三世澤村田之助のものが多かった。
わたしは三世田之助に熱狂していた時代があり、それだけにひどく嬉しい。

女形の田之助は性質は多少嗜虐的なところがありヒステリックな気配もあったようだが、役柄は被虐的なものが多かった。苛め殺されたり、責め抜かれたりするときの、その表情などが素晴らしいとも聞いている。
ゾクゾクするはなしではないか。
健全な芝居なんぞ面白くはない。嗜虐と被虐のあわい、それを観る歓びは棄てられない。

塩冶判官が若くて繊細で綺麗だからこそ、憎々しげな高師直に苛められて、ついに刃をふるう姿に観客はときめくのだ。
白い膚に藍と紅とを刻み込んだ団七九郎兵衛が黒い髪をざんばらにし、額に赤い傷の痕を見せながら、きたならしい悪者の舅を殺す姿にこそ、観客は陶酔する。
『天下茶屋聚』でも敵に傷つけられ、若く果敢無げな早瀬伊織は足萎えとなり、落ちぶれてかまぼこ小屋に住まう。そこへいかにも憎々しげな敵・東間が黒の着流し姿で現れ、元は下僕だった元右衛門と共に、伊織を嬲り殺しにする。
伊織が一太刀だけ切りつけてもそれは敵に届かず、無惨な死を遂げる姿にこそ、観客は熱狂するのだ。
『時鳥殺し』もまた、若くたおやかな女形が酷い殺され方をするのを楽しみにし、『鏡山』でも見るからに意地の悪そうな岩藤によって、慎ましく静かな中老尾上が草履打ちの辱めに耐える姿に秘かな悦楽を見出す。
それは全て観客の嗜好なのだ。

この愉しみは幕末の観客の心に活きるものだった。
だからこそ、作者たちはそうした芝居を書きまくり、元からある芝居に手を加えて上演し、その嗜好にふさわしい役者である三世田之助を大いに使ったのだ。

文明開化の世になり、そんな嗜好を嫌った九代目団十郎らによって歌舞伎は高められはしたが、その分歌舞伎の面白さの半分は失われてしまった。
ここにあるのは、それ以前の因果物的な見世物感覚も生きていた時代の芝居絵である。

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助六。

以下、長文の感想が続きます。
展示された作品はやはり圧倒的に三世豊国のものが多い。
それも嘉永~安政~文久年間と、ほぼ毎年の新作をリアルタイムに入手している。
舞台の場面を描いた三枚続のものと役者の一枚絵が多く、名主さんが茅ヶ崎から江戸へ機嫌よく出かけていたことがわかり、なおかつ芝居が上演された時期の裏付けにもなる。とても貴重な資料でもある。

芝居絵の出た年(つまりその上演の年でもある)は前述の年間なのでいちいち書かないことにした。あまりに膨大なので書いていられない、ということもある。
とりあえず三世豊国すなわち国貞の作品群。

櫻丸・白太夫 父子。nec373-2.jpg
櫻丸は三つ子の末っ子だった。後に自害しなくてはならなくなる。
櫻丸は時に女形が演じることもあるほどのたおやかさがある。
ここでも俯き加減の優しい顔である。
 
伽羅先代萩 「ままたき」の前の情景らしきものがある。ちび同士が仲良く遊ぶところ。政岡もほほえんでいる。ふくら雀が飛ぶ。
現行の芝居では「ままたき」の場はもう子供ら二人はおなかを減らしているが、ここでは和やかで楽しそうである。

恋女房染分手綱 幼い「いやじゃ姫」のお相手にとちびの馬子・三吉が招ばれて、家老のじいやと道中双六をする場面。じいやはメガネをかけている。通称「赤爺」。三吉は小生意気なところがいい。
この道中双六が楽しそうなので、「東へ行くのはイヤじゃ」と言うてた「いやじゃ姫」もわくわくして、嫁入りの道中に出るのだった。もう姫はそんな顔をしている。

雨宿りの図 題不明だが、何かの芝居または舞踊だろうか。植木屋東吉は髭の剃り痕も青々している。芝居絵や舞台での化粧では、剃り痕の青々したのは、ひどく美しい。
権八と長兵衛もいるし西行法師になんだかよくわからないのもいる。時代不同図という形だから、やはり舞踊だろう。

妹背山婦女庭訓 秋草生える中で、求女と立花姫がいる。ここでは普通の恋人同士に見える。思えば求女は悪い男である。姫は菊柄の着物に桜の吹輪。

宿花いろは本説 勘平とお軽の道行きである。腰元姿のお軽は嬉しそう。舞踊の「道行旅路花婿」でもお軽ばかりは明るいのである。

隅田川対高賀紋 傘を指す岩藤とお初のいる図。鏡山の世界だろうが、このタイトルは何か綯い交ぜにしたものだろうか。

児雷也豪傑譚語 美男で有名な八世団十郎の児雷也と田毎姫のいる図。思えばこの芝居も現代では上演されることのないものだ。

しらぬひ譚 屏風に蜘蛛の巣がモザイク状に描かれている。雪岡冬治郎と若菜姫と島谷秋作のいる図。この「しらぬひ譚」は中学の頃から憧れたままだが、到底今の劇界では上演されぬだろうと諦めている。原本でも読めたらいいのだが、どういうわけか機会がないままである。明治、大正の頃までは比較的よく読めたようなのに無念。
国書刊行会辺りから出ていたような気もするがわからない。出ているだけでなく、国貞の挿絵があればどれだけ嬉しいことだろうか・・・

与話情浮名横櫛 枝折戸越しに見詰め合う与三郎とお富さん。まだ木更津で出会った頃か。座敷には刺身の載った鉢が見える。
思えばお富さんという人は艶っぽい女だ。

都鳥廓白浪 「おまんまの立ち回り」のシーン。松若が茶漬けを食べるところへ捕り手。松若は捕り手にヤカンを投げつけている。盗賊であり傾城であり実は吉田の松若というわけのわからない正体の男が、裏切り者の手下を「実は俺もお前の下歯になりてえのさ」と誘惑した挙句に殺す。そこへ来た捕り手たち。
一方そんな旧主を探しあぐね思わぬ罪過を拵えた信夫の惣太が腹を切っている。
この芝居も長くしないが、いつか見てみたいと常々思っている。

旅雀我好話 弥次喜多はなし。喜多八が五右衛門風呂でとんでもないしくじりをやらかすところの絵。弥次喜多は夏の芝居によく掛かっていたそうだ。明るい珍道中だから、客も気軽に暑い時期に楽しめるのだ。

双蝶々曲輪日記 三枚続きの左の放れ駒長吉がスカッとしてかっこいい。中には長吉の姉お関、右は濡れ髪長五郎。背景は斜めの青白のシマ線。

五十三次のうち土山坂ノ下間鈴鹿山 女盗賊の鬼神のお松が敵と刃を交える場。その間に破戒坊主らしき天目坊がひっくり返っている。

花舞台団岩曾我 どうやら女清玄の話らしい。櫻姫と清玄(女)が争う図。三月に国立劇場で福助の女清玄を見たが、あれも面白い芝居だった。もっと突っ込んで演じてもいいと思ったが、なかなか難しいものだ・・・

明烏花濡衣 浦里がいとしい情人・時次郎を見やるシーン。
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男は火鉢の灰をいらいながら、物思いにふけっている。明日のない恋人たち。

やはり芝居絵は国貞がベストだと思う。

国芳の芝居絵も一点ある。
吾嬬下五十三駅 寺の中で暴れてる巡礼おせん実ハ盗賊お六。お三ばばも下男もこけてる。
お六と言う名からゆくと、南北の芝居の書き換えかもしれない。

絵師不明の「坂東しうか死に絵」が二枚。
閻魔としうか 閻魔もにこにこ?とウェルカムな様子でしうかを迎えている。
題不明 重ねた布団に身をもたせかけたしうかが手にするのは男前の絵。そばには「鏡山」の書き抜きもある。
坂東しうかは美貌でイナセなところのある女形で、自害した八世団十郎の仲良しだった。団十郎が自害したのを聞いたとき「俺なら何人か道連れにしてやる!」と叫んだのは有名な話。

次は実際の芝居から採ったものではなく、絵師が観客の要望を見て取り、見立て絵として描いたものが出ていた。
またそういうのを三世豊国は読み取るのが非常に巧かった。

當世好男子傳 張順に比す夢の市郎兵衛 侠客の夢の市郎兵衛を水滸伝の好漢・浪裡白跳張順に見立て、さらに役者を当ててもいる図。龍柄のどてらといい、黒めの刺青といい、とてもかっこいい。

豊国漫画図会(実際は全て旧字)もある。
弁天小僧菊之助 この絵を見て黙阿弥は弁天小僧の芝居を書き下ろしたという。
横溝正史「蔵の中」にもこの絵は出てくる。口のきけない姉が蔵の中でこの絵を見て衝撃を受け、その刺青を弟の腕に彫ろうとして暴れるシーンがあるのだ。
中学生のわたしはそれを読みながらぞわぞわしていた。
その絵とは、女装の弁天小僧が刺青の半身を露にしながら小間物箪笥に片膝を上げて座り、刀を側につきたてながら、酒を飲もうとしている構図なのだった。
緋縮緬の崩れ方、長襦袢からのぞく白い足、美しく勝気な顔立ち、後れ毛。
これぞ浮世絵の持つ退廃美の極みのような一枚なのである。

戯場銘刀揃 瀧夜叉 岩井粂三郎 両端に火のついた細い松明を銜えながら首から鏡を提げた瀧夜叉姫が瀧の前に立つ。手には抜き身の刀が下げられている。

戯場銘刀揃 若菜姫 澤村田之助 背景には別な絵師による轟く浪の絵。巻物を広げる田之助の若菜姫はにっと笑っている。
先の瀧夜叉と目を合わせて何か通じ合っているかのようにも見える。

わたしは瀧夜叉と「しらぬひ譚」の大友若菜姫の二人がとても好きだ。
世を転覆しようとする二大女首魁。とてもかっこいい。

近世水滸伝 鬼神の於松 坂東しうか やはりいなせなところのあるしうかは南北の世界に調和している。二本差しに大蛇柄の着物を着て、にやにやしている。不敵な面構えのその美しさにときめく。
仮名垣魯文が賛を書いていて、そこに「(水滸伝の)孫二娘の再来」とある。
鬼神の於松は力強くアグレッシブな女賊だが、坊やを大事にしたり旦那に親切にする面もある。近年では先年なくなった沢村宗十郎が「宗十郎の会」で演じていた。
彼のような役者がいなくなっては、こんな芝居はもう誰もやってくれない・・・

文久年間になると豊原国周の絵が現れる。

姫比花雄栗実記 これは小栗判官照手姫の芝居絵。
一は田之助の照手姫が箱車に乗る病み呆けた小栗判官(坂東彦三郎)を引いてゆくところ。三枚続きで、右には奴三千助(澤村訥升)が控えている。その背後には瀧があるので、ここが那智だとわかる。(小栗は熊野の湯の峰温泉で快癒するのだ)
二は二枚ものなので一枚失われたか。先の瀧を背景に、竹の杖にすがる小栗判官と見つめあう照手姫。

わたしは説経節の「をぐり」も、それを原典とした近藤ようこ「説経 小栗判官」も、また準拠した梅原猛「小栗判官」も、どうしようもなく好きなのだ。
そしてこの芝居はその原典からさらに離れたもので、近年ならば「當世流小栗判官」と名指されるべきものなのだった。三世市川猿之助による復活狂言を最初に見たのは'83年だった・・・

菖蒲合仇討講談 石造りの巨大な閻魔像の前で剣を抜いて闘う二人の男。大学之助は中村芝翫、高橋合法は河原崎権十郎。二枚しかないがコレも一枚失われたのかもしれない。
絵本合法ツジである。しかしどうやらこれに亀山の仇討ちも綯い交ぜにしたらしい。

他にも国明の忠臣蔵十二段絵などや芳幾の絵もあり、非常に見ごたえがあった。
図録は抜粋ものだが、それでも満足している。
百五十年前の幕末、世情は騒々しいが、粋で元気な名主さんがいたのだ。
もしリアルタイムに生きていて、話す機会があれば、さぞや盛り上がったろう。
ああ、いい展覧会だった。
好きなものしかそこになかったというのが素晴らしい。
またいつか他の絵も見せていただきたいものだ・・・6/9まで。
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