FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

興福寺仏頭展

藝大美術館で興福寺仏頭展が開催されているが、この仏像は元は平安末期に山田寺から興福寺へ移送されたのち、火災に遭って消息不明となったそうだ。それが1411年の話。
時は移り1937年、まさかのもしかで再び発見されたということで、モノスゴイ破損仏でありながらも国宝に指定されている。

わたしが最初にこの存在を知ったのは小さい頃からのかかりつけ医の待合室でのことだった。先生は何を想うたか、この像のナナメ横顔のパネルを展示していたのだ。
今思えば土門拳か入江泰吉先生あたりの写真だったのかもしれないが、子供心にもインパクトは強かった。強すぎた、と言うべきかもしれない。
わたしは本当にこの像が怖かったのだ。

それが2013年に、眷属の十二神将らと共に<一緒に展示>ということになり、600年ぶりの再会となったそうだ。
それはたいへんめでたいことだ。
めでたいが、このチラシを開いたわたしは思わず飛んで逃げてしまった。


こわいですがな~~~

白鳳時代の仏像は綺麗なものが多いが、なんだかもう本当に怖い。

手前には仏の眷属、仏を守る存在としての十二神将がずらーーーっといる。
立体的な彫像と、平面に近い彫像とそれぞれ。
みんな個性豊かでかっこよかったり面白かったりで、わたしは彼らのファンだが、その元締めと言うか大親分格の仏頭がこわくて正視できない。

それでも展覧会に行ったが、やっぱり怖くてチラチラ見るだけ。
白鳳の貴公子には申し訳ないが、小さい時からのニガテ意識は到底払拭できそうにない。
とはいえ、この写真の撮り方を見ていて、わたしとしては「聖闘士星矢」を思い出すのだが。
そう、黄金聖闘士は12星座だから十二神将と同じような立ち位置にある。
そう思うとときめくなあ。
ときめくのだが、それは別な話なのでここでは関係ない。

十二神将については特に好きなのが実は鎌倉国宝館に鎮座まします十二神将。
それからやっぱり新薬師寺。奈良博にいてはるのも好き。
興福寺のこちらさんもしみじみ拝見して、よろしいなあと思った。

ところでわたしが十二神将を知ったのは小学校低学年のとき放映されていた人形劇「新八犬伝」から。
かれらは八犬士だと自ら名乗るくらいだから、犬の神様の加護を受けている。
それであるとき伐折羅大将のお堂に行き合う話があり、それで知ったのだ。
なんだか感動した。
それからファンになったのだ。

十二神将は薬師如来の眷属だというが、この白鳳の銀面の貴公子は本当はなんなのか。
あんまりそういうことを考えるのも好きではない。

板彫は平安時代中期のもので、民芸調な面白味がある。
なんとなく表面に墨を塗って拓本をとるとか版画にするとか、そんなことがしたくなる。
棟方志功の「釈尊十大弟子」を思い出すからかもしれない。
この中でいちばん面白いのは辰年の波夷羅大将。鏃もちながらすごーーーーく困った顔している。
一体どうしたんだろうと心配になるくらいw

鎌倉時代の十二神将はさすがに動きも派手でかっこいい。
彫刻はやはりあれか全方位見学がベストなのかな。
まぁ存分に楽しませてもらいましたが。

そうそう今回のご本尊、天武天皇14年(685)製作らしい。中大兄皇子が蘇我家を滅ぼしてから40年後か。
そして同時代の銅造釈迦如来倚像が深大寺から来ていた。
鋳造。シルバーに光っている。
1300年の歳月はすごい。

最後に本当に はっ となるものを見た。
今年製作された、畠中光享さんの祖師像下絵。天竺、中国、日本それそれの祖師像を描いているのだが、当然全員若くはないし、難しい顔をしているのだが、非常にときめいた。下絵では四人それぞれの姿を一枚ずつ書いていたが、彼らはやがて法の兄弟として一本の柱に巻き付き、曼陀羅の仏たちのように、定められた位置に描き込まれてゆく。
畠中さんのいつもの静謐な画風から一歩踏み出したような、そんな絵だった。

10/14まで前期・10/16から11/24まで後期。十二神将や白鳳仏は前後期通じてお出まし。
関連記事
スポンサーサイト



コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア