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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

竹内栖鳳 近代日本画の巨人 その2

栖鳳展の続き。
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高島屋で働く間、出勤簿にちゃんと名前をチェックする。律儀に働く画家たち。
事務職ではなく、意匠の仕事についていた。
それは栖鳳だけでなく、都路華香も同じで、竹内の隣の辻が即ち「都路」華香。
京都の場合、日本画の絵師たちは呉服の意匠を手がけることも大切な仕事だった。
「千聰」などでもそう。だからこそ以前に京都文化博物館で千聰のコレクション展が開かれもしたのだ。
栖鳳は高島屋専属のような形。

「ベニスの月」は高島屋史料館で仲間の「吉野の花」などと共に見ている。この絵は先日の「暮らしと美術と高島屋」にも出ていて、東京では10/8から10/14までの展示だが、その前に難波の高島屋の本店で展示されていた。
よく働く絵である。
とはいえ今回、大英博物館からこの絵を織ったものが久しぶりに帰国していた。
びっくりの出会いである。

ほかに書簡もよく出ていた。督促への返事や仕事関係のものだが、なんとなく面白くもある。

第三章 新たなる試みの時代 1909-1926
このあたりは京都で見る機会の多い絵がよく出ていた。

アレ夕立に 1909年 実はこの絵と「絵になる最初」を見たのがわたしの最初の栖鳳体験だった。20余年前の高島屋京都店での展覧会の話。
松園さんの師匠やし、こんなええ美人描いてはるし、ということでてっきり美人画の大家かと思ったら違った。
気づくのにかなり時間がかかった。
今でもついつい、この二つの美人のほかに誰ぞ描いてはらへんかな、と思うこともある。
それでもう一つショックなことがある。
これは踊りの一部を描いているのだが、わたしはてっきりこの舞妓ちゃん、腰を落としているかと思いこんでたのだが、そうではなく、立っていたことに気づいたときはびっくりしたなあ。
明治末の女の人だからそりゃ背も低いわな。自分が長身なので、まさかこんなに低いとは思わなかったのだ。

絵になる最初 1913年 モデルさんが恥ずかしがって絣の着物で自分を覆おうとする、その様子が主題の「絵になる最初」なわけだが、ここで目立つのはやはり絣の着物。
この絣の着物は栖鳳オリジナルで、実際に高島屋で販売されたとか。けっこうなことです。
モデルさんの背後にある障子の模様は胡粉で拵えられている。

散華 1910年 本願寺の天井画のためから生まれてきた絵。ウルトラマリンの背景に天女たちが飛ぶ。

素描もたくさんある。裸婦の素描は明治の女の身体。手足は伸ばされているが、ダルクローズではなく日舞の動き。
しかし結局天井画は完成できなかったのだ。

熊 1910年 ネコライオンの陰に隠れているが、このクマが実は人気ものだった。
京都市美術館でも人気のクマ。赤い葉っぱがポイント。
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船と鴎(未完) 1911年 京都市美術館の下絵展のチラシに選ばれている。ということは本展ではないのに出るわけか。

雨 1911年 これは嫌がらせを受けて、墨を塗られたそうだ。弟子の松園さんも「遊女亀遊」の顔にいたずらされたが、昔の京都にはいやなことをする輩がいたのだ。
寒村を描いたもの。

喜雀図 1912年 金屏風の六曲一双で、左はわいわい集まって歌い、右は飛び方に個性を見せている。

日稼ぎ 1917年 行方不明だったそうで初公開というような感じだが、京都市美術館の企画展で見たような気がする。下絵を見たのだろうか。お東さんの庫裏で汗を拭き拭き水を飲む娘。

遅日 1918年 二色の籠の上にとまるカラス。のんびりした風情がある。

街道午蔭 1919年 室内で昼寝する人を遠くから捉える。
この絵は前にも見ている。日本画で居眠る人を描く絵といえば、この絵と深水の居眠る美人が思い出される。

群鴉 1921年 今は個人蔵となっているが、以前は霞中庵(竹内栖鳳記念館)所蔵のものだったと思う。
金屏風に黒々と鴉。

潮沙永日 1922年 苫家と青い海。90年前はまだこんな風景があったのだ。

さて、大好きなおネコ様に会おう。東京では後期展示だった。山種美術館のベスト3に入る名品だとわたしは思っている。(炎舞、裸婦図、班猫)

班猫 1924年 このお猫さんは沼津から来たお猫さんで、白地にキジの載った、凄くかっこいい猫。この猫と栖鳳との関わりについては、山種美術館から刊行されたリーフレットに詳しい。

日本画の猫絵のうち、春草「黒き猫」とこの「班猫」は間違いなく2トップ。三匹めの猫は自分の好きな猫絵を選ぼう。

浮沈追逐巧相親 1924年 エイとイワシ。さすが料亭の息子だけに海の幸・山の幸・陸の幸、このあたりの描写は本当にうまい。おいしそうというのではないが、いい感じ。
所蔵先の海の見える杜美術館の図録で見たのが最初だったか。

林塘雪寒 1926年 池に鴨がいる。とても寒そう。

矢の根 1926年 これは随分前の大丸での展覧会のチラシに選ばれていた。栖鳳の戯画の見始めだった。歌舞伎の「矢の根」の五郎が馬と大根とで「ヤットコトッチャウントコナ」。この時代だと誰の五郎を見たのだろう。六代目も演じていたか。稚気あふれるところに五郎の良さがある。戯画も理屈に落ちないところがいい。


特集展示2 旅
まだ若い頃、師匠の幸野楳嶺とお東さんの大谷家のつながりから、北越ツアーにお供して、あちこち風景を写生している。
1889年の話。こういうのを見るのも楽しい。
そしてヨーロッパツアーという大きな転換期があった。

羅馬古城図 1901年 サンタンジェロが素敵。わたし、実はこの絵を見てから実物を見たのだった。

和蘭春光・伊太利秋色 1902年 屏風は配置の関係で左6扇から見ることになる。高校男子二人組がそのことで悩んでいたので話しかけ、いろいろ説明する。わかってもらえよかった。彼らも喜んでくれたようでよかった。
イタリーのアカンサス装飾の柱、オランダの風車、共に情緒がある。

1926年頃には中国ツアーをして、その風情に溺れる。
同時代のほかの人々もこの時代、中国の風景・文物にのめりこむことが多かった。
その時代の絵が集まる。

南支風色 町ナカの石橋を豚たちがぶうぶう言いながら走る。豚飼もいる。舟の暮らしの人もいる。のどかな光景。

南清風色 こちらは黒豚ばかりが走る。

やがて栖鳳は潮来に中国の水郷と同じ空気を見出す。

潮来風色 1931年 パステルカラーの明るさが活きる画面。

ヨーロッパからの絵はがきが集まっていた。
本人が送ったものと、買って保存してものなど。
1900年、パリはベル・エポック。


第四章 新天地をもとめて 1927-1942
晩年と呼ばれる時代、この頃にこそ自在感があり、どの絵和見ても素晴らしい。

酔興 1924年 大津絵風な。ねことねずみの楽しい宴会。
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馬に乗る狐 1924年 市女笠の狐。手には鼓がある。

おぼろ月 1928年 40年前の「枯野狐」といい対称。

禁城松翠 1928年 これは泉屋分館のもの。ちょうど今、野間記念館でも同じ題材の絵が展示されている。
皇居のお堀の藻を刈る舟。「藻を刈る」=もぉかる=儲かる。

小春 1927年 大猫親分と違い、こちらは子猫風。目つきの妖艶さが魅力的。
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冬瓜 1928年 でかっっネズミが噛んでいる。

炎暑 1930年 如雨露が一つコロン・・・83年後の酷暑なんてセンセはしらんのですなあ。

このあたりの展示はどれをみても非常にいい。
一つ一つを見て歩くのもいいが、全体としても非常に素晴らしい。
ただただ鑑賞する喜びというものを味わう空間だった。

わんこの寝る表情、潮来の水郷地帯、あひるにかつお。
情趣豊かなものばかり。

虎も描いている。わたしの好きなのはやっぱり虎の肉球。

おいしそうなタイの絵もある。大小2匹のタイ。なんだか凄い。

最後に水の写生の特集がある。
若き日の保津川などは四条派の範疇から出ていないが、どんどん素晴らしいのが出てくる。

瀑布 1932年 セキレイの可愛らしさが際立つ。このころは熱海住まいしていた頃か。
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かわいいなあ。nec621-1.jpg


東京の展示は終わったが、京都は今から。
あらためてわれらが竹内栖鳳のすばらしさを味わおう。
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