FC2ブログ

美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

石垣栄太郎展

和歌山県立近代美術館の石垣栄太郎展の感想。
申し訳ないことに今日で終わり。私が見たのは昨日。
1382255802291.jpg
生誕120年記念ということで、あちこちから集まった作品や資料。熱心な仕事ぶりを感じさせる企画展だった。
作品の多くはここの所蔵と太地町の石垣記念館と個人蔵から。

明治の和歌山の人はアメリカへ多く出稼ぎに行き、そこでがんばった人が多い。現に三尾村というところは通称あめりか村(大阪のアメ村とは違うよ)とも呼ばれていたし、寄付金もドル払いだったそうだ。

さて石垣は新宮育ちで学校の先輩に佐藤春夫がいた。
春夫も小説や詩だけでなく、学生時代は絵も描いた。二人はいつもコンクールで首位を争っていたそうだ。
この時代の新宮には大逆事件の大石誠之助(彼をモデルに辻原登は「許されざる者」を書いている)、沖野岩三郎、そして西村伊作がいた。文化的にもレベルが高い雰囲気がある。

石垣は父の誘いで16歳で渡米した。懸命に働いたそうだ。
元々メソジスト教会に出入りして英語も学んでいたようで、カリフォルニアでも教会に通っていたが、2年後に天長節の日に仏教会がご真影礼拝させたのを指弾したことで、メソジスト教会が不敬糾弾運動に晒される。口は災いの元で、石垣はシスコへ一人旅立つ。

やがてシスコで管野衣川という詩人と知り合い、数年後には彼の妻で15歳上のガートルド・ボイルという彫刻家と共にNYへ駆け落ち。時に21歳。

ガートルドの拵えた石垣像はたいへんハンサム。
本人の若き自画像も彫像に劣らぬハンサム。

ガートルドは抱き合う男女が解け合うような像を作っている。

石垣の仕事を見る。若い頃から一貫して分厚い絵である。
彼は片山潜と交流を深める。
絵は社会への告発とある種のシニカルさが生きている。

nec640.jpg

チラシの「街」は本来はもう右半分にも続きがあるのだが引き裂かれ、二枚の絵としてここにある。
1920年代ファッションに身を包んだ若い女たちと、苦々しくそれを見るシスターたち、街にたたずむ様々な人々。
いずれも重い色彩、そして重い空気。

石垣は十年目にガートルドと別れるが、ほかにも女出入りがあったようで、絵の引き裂かれ事件はその余波らしい。

コミカルさよりむしろアイロニーに満ちた風俗画が続く。拳闘、二階付きバス、失業音楽隊。
失業音楽隊は1928年作。これは前年にトーキーが始まり、それで弁士も音楽隊もみんなクビ。そのあたりを描いたのがミュージカル「雨に唄えば」、また横溝正史「悪魔の手鞠唄」もトーキーで弁士が失業したことから話が始まるのだ。
絵は楽団がフェリーで音楽をかきならすシーン。右端に立つ赤い服の女は後の伴侶となる綾子。

石垣はモダンガールに対してある種の苦みを感じていたのか、決していいようには描かない。
都市生活を享楽する女が嫌いだったのか。とはいえ彼のラブ・アフェアはいずれも都会的なものなのだが。

ところで彼と別れたガートルドは精神障害を起こしてしまう。それを知った石垣と綾子は自分たちの住まいに彼女を引き取り、三人で暮らす。
翌年、ガートルドの先夫の菅野が彼女を引き取り、今度は正式な結婚をする。
菅野は偉いと思った。

石垣はその頃、日本の独立美術協会に参加し、海の向こうから作品を送る。言われてみればその作品は確かに独美にぴったりな力強さがある。

1929年秋、左翼雑誌「ニューマッセズ」に「腕」を表紙絵として出す。この絵は翌年オランダで開催された「今日の社会主義芸術国際展」にも出る。かっこいい。

ニューマッセズと聞いて思い出すのが「世界を揺るがした十日間」のジョン・リード。
その通り、石垣は1930年に「ジョン・リード・クラブ」の創立者の一人となる。
わたしは1981年の映画「REDS」を忘れない。
あの映画の冒頭に、当時本当にジョン・リードと関わりを持った人々(老人たち)が証言者として様々な話をする。
今から思えばそのメンバーの中には、石垣栄太郎を知る人もいたに違いない。

1930年代の作品を見る。

ボーナス・マーチ ワシントンでのデモ。倒れる白人をかき抱く黒人男性。一瞬フジョシ向けかと勘違いするが、むろん違うイデオロギーの発露。

キューバ島の反乱 これなどはほかの展覧会でもよく見かける。キューバ革命。ゲバラとかカストロとかはもう少し後年か。

群像 全裸の人々が戦車に押しつぶされつつ、抵抗する。昔の若い女の体の妙な官能性に惹かれた。
どうも思想より違うものを見てしまう。

K.K.K. 不穏な存在が不穏な行動に出る姿を描く。1920年代が一番彼らが横行した時代らしい。黒人を殺そうとするのを止める人ともみ合うシーン。

人民戦線の人々 団結のイデオロギーがちょっと強すぎる。もうロルカは殺された頃か。

抵抗 バスクの逞しい女たちが次々と敵を海へ放り込む。意外とカラフル。エネルギッシュ。

さてかっこいい1920~1930年代ではあるが、同時に大不況の時代でもある。
米国の雇用促進局(WPA)からの依頼で、ハーレム裁判所の壁画制作を請け負うが、向こうの勝手な都合に振り回され、描いている最中に途中で担当を外され、出来上がりを見てみたら、色々と文句を言われてしまうことになった。
今で言うたら「炎上」状態に。
結果、気の毒に壁画は撤去。

草稿などを見ると、非常に力強い仕事をしているが、それだけに気の毒。

素描一つにしても随分たくさんある。
すべて重いものがテーマである。
K.K.K.のリンチ、中国における毒ガスと戦争など。
人体もよく描けている。マッセズ(大衆)であり、マッチョ(筋肉)である人々。

ところで石垣は社会主義を信じきっていたが、スターリンの大粛清で社会主義にがっかりした。それで絵も描けなくなった。描く理由が消失したのだ。

とはいえ、それでも「画家」として描くべきことはある。
少年と牛 日本少年が「近江のお兼」ぽいことを牛にしている。

プレッツェル売り 栃木県立美術館蔵。この美術館は渡米画家の作品をよく集めている。一度行きたいと思う。
プレッツェルはドーナツみたいに見える。カラフルな女たちが喜んで買うのだが、売り子の黒い男はぼんやりしている。

女の肖像 同じジョン・リード・クラブの一員で仲良しのグロッパー夫人。ショートカットでキリリとしている。

アーチスト・コロニーの「ヤド」と言うところはみんなのたまり場だったようで、楽しそうなダンスの絵を描いている。
また、近くにあった黒人酒場もいいムードで描く。
社会主義の風は薄れ、人間そのものを描こうとしているように見えた。

日中戦争をも描く。社会主義者としての目ではなく、人権を守りたい者の目で描く。
そして若い頃に好きだったウィリアム・ブレイクを思わせる「恐怖」「強風」という作品がある。
風は魔の風である。人々はその風にさらわれ、動きを止める。

第二次大戦後、風俗画を描く。
バーゲンセール(禁男の間) これは笑えた。個室の試着室はなくみんな一斉に試着する、それをプールの監視員のような高いイスから女がみている。

女の勝利 あのバスクの女たちにも負けぬ強さで、男たちの首根っこをひっつかまえてノシノシ歩く女たち。

一方で失意を描いた絵もある。
レジスタンス、カタストロフ、地獄へ・・・

そして1951年赤狩り。マッカーシー旋風。レッドパージを受けて、石垣は妻綾子と共に国外追放。
実に42年ぶりに日本の土を踏み、母と再会する。

三鷹に住まうが作品は米国から持ち帰ったものを発表するにとどまったらしい。
石垣は戦争中、欧州から逃げてきた日本人画家たちを国吉康雄らと共に出迎え、色々世話を焼いたそうだ。
若いうちから一貫して主義を持ち、交際も広い人だったから、世話上手でもあったのだろうか。

やがて1955年死去し、遺作展が開かれるが、詩人で作家の高見順も一文を寄せていた。
野口弥太郎は石垣を完全にアメリカナイズドされた人だと書いている。

展覧会ではほかに彼と米国で親交のあったヘンリー・杉本、野田英夫、国吉等の作品が少しばかりある。
絵よりも彼自身の生涯にわたしは惹かれている。

今更だが、面白い展覧会だった。

関連記事
スポンサーサイト



コメント
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する
最近の記事
月別アーカイブ
カテゴリー
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

フリーエリア