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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

泉鏡花生誕140年記念 清方が描いた鏡花の世界/ものがたりの水脈

生誕140年記念ということで、泉鏡花に関係の深い企画展が各地で開催されている。
金沢の鏡花記念館では養女の名月さんの所蔵していた遺品展、鎌倉の清方記念美術館では「清方が描いた鏡花の世界」展、横浜の神奈川近代文学館では「泉鏡花展 ものがたりの水脈」など。
いずれも半券を提示すれば割引サービスがあるというが、さすがに金沢は遠くていけなかった。
チラシはこちら。
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一番上にタバコ好きの鏡花が愛用したキセルと、その吸い口のホコリ封じの和紙キャップ(鏡花夫人お手製)の写真。
隣には自然主義の台頭で雌伏を余儀なくされた後の復活に際し、鏡花の本音が炸裂した一文を書いた短冊。
「ロダンやトルストイのお世話にならないことを(以下略)」
原稿の現物、師匠・尾崎紅葉からの手紙、小村雪岱の「日本橋」装丁原画、最後の「露草や あかのまんまも 懐かしき」を思わせる色紙、金沢の地図、そして鏡花の向かい干支のウサギの置物。

これらを見るだけでも鏡花の生涯がうっすらと浮かんでくる。

一方、こちらは清方記念美術館のチラシ。
大正九年の「妖魚」である。
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世間的には「築地明石町」が最大の傑作のように言われているが、大正九年頃の妖艶な作品群をどうして忘れられようか。
発表当時ベックリンの影響を受けたと言われたが、本人は「続こしかたの記」で、当時はまだベックリンの人魚の絵を知らなかったと言っている。
該当する絵をわたしも見たが、言うたらなんだが、ちっとも似ていない。これはやっぱり清方オリジナルであり、また清方にその絵を生み出させた原動力は、鏡花の幻想世界に耽溺していたからだ、と思われるのだ。
鏡花で人魚と言えば「人魚の祠」があるが、これとそれとは無縁な絵。

遊女 これは完全に鏡花の小説から材を得て描いたもので、わたしはこの絵を見てからは小説の女のイメージが固まるようになった。
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卓上芸術を標榜していた清方は手元で楽しめるものを好んで制作した。
古典で言えば「朝顔日記」や「お夏清十郎」、樋口一葉の諸作もある。そして鏡花の「註文帳」。
引き出しにしまわれた形の展示で、一段一段開いて眺めるという、楽しみをも味わった。
何度も見ているがやはり素晴らしい。
鏡花の幻想怪異な世界を表現しきっている。

鏡花の小説の口絵も何点も並んでいる。
「瓔珞品」「恋女房」などなど。
戦後には「苦楽」誌上で絵物語として数々の作品も再現している。

展示は他に「本朝二十四孝」の三幅対がある。
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清方は赤姫の八重垣姫より、腰元で大人の女たる濡衣に惹かれていたそうだ。
その気持ちもなんとなくわかる気がする。清方の世代だと六世梅幸が得意としていたろう。それを見ていよいよ好きになったに違いない。

秋の風情を描いた作品もあった。
滝野川観楓 昭和五年現在のリアルな紅葉狩りの風景。母子が緋毛氈でくつろいでいる。幼い娘は古風な稚児輪を結び、二人のパラソルがそっと置かれている。お菓子もおいしそう。
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最後に「小説家と挿絵画家」の下絵があった。本画も見知っているが、下絵は初見。
nec667-1.jpg清方の気持ちが伝わってくる。

鏡花風に言えば「楽しい、嬉しい、懐かしい」世界に引き込まれて、ただただ幸せだった。12/4まで。


次に神奈川近代文学館での鏡花展。
20年ほど前に鏡花の展覧会があり、その時も喜んで出かけた。
あのときのチケットや図録表紙には岡田三郎助「草迷宮」の絵が使われていた。

今回の展覧会は鏡花の生涯を追うという形。
小さい頃の鏡花の暮らしぶり、母や父、祖母との温かな家族関係。
9歳で母に死に別れたことが、生涯を貫く棒になったことなどが展示から伝わる。
近所の英語の先生や親戚のお姉さんたち、年上の優しい(あるいはキリッとした)女性への憧憬。
それらが作品へと昇華していった道筋。

鏡花は東京彷徨の末にようやく当初の望み通り尾崎紅葉の門下に入るが、色々あり絶望する。一旦帰郷した鏡花への紅葉の手紙がいい。
「汝の脳は金剛石」 凄いな、ダイヤモンドですがな。
そういえば紅葉の代表作「金色夜叉」で、宮さんに別れを告げる貫一のセリフが「ダイヤモンドに目がくらんだか!」でしたかね。

紅葉は胃がんで若死にする。その葬式の時のしょんぼり写真がある。同門で同郷の徳田秋声と一緒にいるが、この後で仲たがいをするのだ。
展示にはないが書いておくと、あるとき徳田秋声が師匠の死を貶める言い方をしたのを、そばで聞いていた鏡花がモノも言わずに終声にとびかかり、ポカポカポカッと秋声をぶちのめす。秋声は「ひどい」と泣き出したそうな。
それからは完全に仲たがい。
何十年後かに鏡花を囲む「九九九会」に呼んでもらえて、やっと仲たがいも終わるかと思いきや、鏡花はわざと酔ったふりして秋声の相手をしなかったというから、やっぱり生涯許さなかったのだろう。

とはいえ鏡花も神棚のように紅葉を祀り、毎朝香を焚いたり水を替えたり拝んだりしてはいるものの、女と別れろと叱られたりしたことを忘れず、それを自作に取り込んでいるのだから、シンプルな心根の人とは言い難い。

「婦系図」には酒井先生として紅葉をモデルにした人が現れる。自身をモデルにした早瀬主税が湯島の境内で恋人のお蔦と別れ話をする辺りが大人気で、新派悲劇の筆頭人気シーンになり、わざわざ作者本人が独立した脚本書くくらいでしたな。
歌も♪湯島来るたび思い出す お蔦主税の心意気~ とあるくらいだ。
わたしだってついつい湯島の天神さんの白梅を見ると、「別れるの切れるのって、そんなことは芸者の時に言うものよ」とついつい台詞を口にしてしまう。

さて先走った。鏡花は当初は観念小説(というものの正体も実はあんまりわたしなどにはわからない)を書いていた。
「夜行巡査」「夜半鐘声録」などなど。
しかしやがて鏡花は最も好むところの幻想的な世界をこの世に現出させ始めた。
「黒百合」「春昼」「風流線」「化鳥」「照葉狂言」「高野聖」・・・
わたしなぞはこの明治30年代の鏡花の幻想小説がとても好きで仕方ない。

ところがそのうち自然主義がはびこって、鏡花の特異性が疎まれた。
鬱屈しつつも、鏡花は自己を曲げることなどはしない。
やがて風潮も過ぎて、また鏡花は好きなものを書きだす。

一方、花柳小説で鏡花はよく売れてきた。
前述の「婦系図」はその系譜とはすこしずれるが「日本橋」というもう一本、今も新派によくかかる名作が世に出た。
結局「婦系図」「日本橋」が大ヒットしすぎたので、鏡花没後長らく「鏡花と言えば花柳界を舞台にした作品」という固定したイメージが世に定着した。
他にも「義血侠血」を舞台化した「滝の白糸」などがある。
「売色鴨南蛮」は「折鶴おせん」として映画化されたが、いずれもいわゆる「新派悲劇」の範疇に入る。
また芸道小説「歌行燈」も映画になってヒットしたので、いよいよ幻想小説の大家と言うことが忘れられた。

昭和50年代になって「夜叉が池」「草迷宮」「高野聖」「陽炎座」などが映画化され、鏡花の幻想小説が改めて注目された。
(昭和30~40年代でも三島由紀夫や澁澤龍彦といった慧眼の士からはその幻想性を注目されてはいたが)
とはいえ、これらの映画は悉くヒットしなかった。作品自体は非常によかっただけにまことに無念だが、一般受けしなかった。
監督がまた凄い。
篠田正浩、寺山修司、武智鐵二、鈴木清順である。
しかし、その「犠牲」があればこそ、却って数十年ぶりに熱烈な鏡花宗の門徒が新たに生まれたのである。
辻村ジュサブロー(現・寿三郎)師の人形芝居(「風流蝶花形」「化鳥」など)、坂東玉三郎の「天守物語」上演、少女マンガ家たちによるカヴァー作品の発表などなど…
これらが鏡花宗の人々を導いた。

実際のところ、今ではむしろ幻想小説の大家と言うイメージの方が強く、若い世代などでは「婦系図」「日本橋」などは読まないだろうと思う。

展示を見てゆくと、金沢の鏡花記念館から持ってきたのか、「春昼」「春昼後刻」のジオラマがあった。
思えばこれもタイトルは優しくとも不吉な物語なのである。

「草迷宮」のコーナーがあった。魔界へ入り込む少年、手鞠歌、なぞの年上の美女。
この三大アイテムが揃った作品である。

鏡花の作品には不吉な(そして懐かしい)手鞠歌や童謡がよく現れる。
手鞠歌を探す「草迷宮」を筆頭に、「長太居るか」の呪歌が流れる「山海評判記」、「縷紅新草」「天守物語」の冒頭にも歌がある。

鏡花の作品には美麗な装幀・口絵が多い。
清方の口絵、雪岱の装幀そして鏡花の文章という美しいコラボレートは有終の美を飾った。
また橋口五葉の装幀も忘れられない。
口絵では清方の好敵手でもあった鰭崎英朋の「風流線」が素晴らしい。
梶田半古、鈴木華邨の懐かしい絵もある。


展示のうち、遺愛品が現れた。ウサギコレクションである。とても大きな兎の置物もある。
びっくりした。わたしは猫グッズとちょきんぎょグッズで統一するが、鏡花は向い干支の関係で兎である。鏡花はこだわりの強い人なので、こうしたところにちょっとした面白味がある。

展覧会には出ていないが、関東大震災のときの状況を書いた「露宿」という作品がある。
番町住まいの鏡花のもとへ見舞いを言いがてら、それぞれ落ち延びてゆく知人たちの様子を描いた話である。
浅草育ちの久保田万太郎は親父伝来の「久保勘」の字入り法被を着て、奥さんは赤ん坊を十字に背中に括り付けて避難場所へ走り、続いて斜め前の豪邸が実家の里見弴は、行き合った見知らぬ美人の手を引いて、その実家へ逃げ込んでゆく。
その対比を面白がる鏡花。
そして悠々とパラソルをさして現れる岡田八千代。
彼女は夫の三郎助が「冷蔵庫に紅茶があるだろう、なんてのんきなことを言いながら絵を描いている」と呆れたように告げながら、泰然と去ってゆく。
鏡花にはこうしたユーモアがある。

最後に現代の美人画家たる金子國義の描いた鏡花作品のイメージ絵がある。
今回の神奈文のチラシでもある。
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ハリのある、いい女である。鏡花の描く苦界の女、それが目の前に現れたように思えた。
11/24まで。
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