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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

木島櫻谷

木島櫻谷という日本画家がいた。コノシマ・オウコクという。
主に京都市美術館と泉屋博古館とに作品が多くある。
作品は彼自身の旧宅である「櫻谷文庫」にも収められていて、今回はそこからも出てきている。
しかし今や知る人ぞ知る画家になっている。

若い内からいい作品を多く描いたが、だんだんと画壇から離れて、好きな暮らしをするようになり、機嫌よく名作を生み、楽しく生きていたが、61歳の時に気の毒に事故でなくなった。
今回、泉屋博古館で回顧展が開催されている。
京都の本館では大きく二期、細かく四期に分かれての展示が12/15まで続き、次に六本木でも開催されるようだ。
これを機に櫻谷の再評価がなされればと思う。
わたしは一期と二期とを見た。
感想は織り交ぜている。
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櫻谷は今尾景年の弟子としてその塾にいたが、若い内から自分の信じた道を行く人だったようで、勝手な修行を続けたらしい。しかし景年先生はそんな弟子を優しく見守り、応援したようだ。
膨大な下絵・スケッチ・写生帖の内にも弟子時代の様子を描いたものがいくつもあるが、戯画風な絵が多く、のんびりとした時代を感じさせられる。
勝手な修行をしていても、人間関係は決して悪くなかったのだ。

櫻谷は「たぬきの櫻谷」と謳われるほど動物の絵がよく、チラシにも選ばれている「寒月」などがその代表なのだ。性格は別に「タヌキ」ではないらしい。
ところでわたしはこの絵を昔から狐だと思いこんでいて、タヌキだといわれても「・・・えっ」なのだった。
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櫻谷は動物画もよいが、金地に豪奢な櫻に柳、琳派風な花菖蒲などが目に残っている。
今回、歴史画を初めて見た。
明治から昭和にかけてたゆまぬ努力を続けた人だけに、さまざまな分野の絵が描けたのだ。
さて、展示品を見る。

剣の舞 太平記の逸話を描く。明治30年代らしい絵である。赤地の錦直垂を着た護良親王が朱盃を傾けている。その前で家来が敵の素っ首を掻っ切ったものを刀に挿して、舞い回る。その家来の胴にも矢が刺さったままである。

一夜の夢 これは実は弟・桃村の構想を元に描いたもの。弟は23才で夭折してしまい、その悲傷を抱えながらの制作。賛のようにその旨が記されている。
弟は櫻谷と違い、菊池芳文の弟子だった。芳文は歴史画の大家として「前賢故実」を残している。
武田勝頼が居城に放火し、最後を迎えようとする状況、奥方は長刀を手に立ち尽くす。その周囲には嘆く侍女たち。哀しい絵だった。


浴衣 明治の女学生が白地の浴衣を着て、膝まで水に入っている。シンプルな顔立ちだが愛らしい娘で、帯はバイオレット。

野猪 賢そうな目の猪がくつろいでいる。ブヒッと萩の野に出現。萩は墨絵だが猪には淡彩が施されている。

咆哮 ガオ~~っっっ右には三頭の虎。ひだりはその血に飢えた奴らから逃れようとパニクッている鹿ファミリー。

しぐれ 鹿のファミリーが走る走る。左は鹿ップルがいる秋の図だが、右はファミリー。バンビがいるが、ちびのくせにもう角も生えている。

万壑烟霧 六曲一双の中に二つの景色が一つの山水図として描かれている。
淡彩で山・川・民家などが描かれているが、右は中山七里、左は昇仙峡をモデルにしつつ、架空の山水図を描いているそうだ。
なお「壑」はカク・タニと読みがあり、タニは谷の意味だろう。

厩 小屋のすぐ脇に白い花が咲き、馬は静かにほほえんでいる。これは昭和六年の「トレド日本美術展」出品。

昭和五年の「ローマ日本画展」のみならず、毎年諸外国で日本画の展覧会が企画されていたことを知った。

葡萄栗鼠 もう満腹したのか栗鼠が満足そうに指先の手入れをしている。アレキサンドリアかマスカットのようなブドウ。目を閉じて耳を立てるリス。
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獅子 立派。画壇のお仲間・栖鳳の獅子とは違い、リアリズムでありつつ物語性を感じさせる顔。 

孔雀 実に立派な青い孔雀。円山派の昔から孔雀は立派に描かれている。ウツギらしい白花の咲く木に登る。羽を下ろしたままでいるが威容は変わらない。
昭和四年の「パリ日本美術展」に出たそうだ。

柳櫻図 これが六本木でしばしば出るので、関東の方も桜谷を知ることになったのだ。たいへん華やかでいい絵。

燕子花図 江戸琳派を思わせるような豪華な杜若図である。金地に群青の花が咲き乱れ、長い緑の葉が鋭く生えている。この絵も「柳櫻図」同様六本木にある。 

瀑布翡翠 オレンジ色の羽を曝しながら急降下!!

雁来紅に猫 白地に黒ぶちの猫、これは家猫でよくモデルになっていたそうだ。

月下老狸 残菊と草の隙間に狸がいる。薄い三日月。なるほど「たぬきの櫻谷」。

秋野孤鹿 秋草。ふと立ち止まる鹿。どうぶつたちへの視線がやさしい。というより、同じ視点で活きている。

老杉杜鵑 月より上に杜鵑。顔を挙げてケーーーンと鳴く。暈しとかすれの夜の絵。

櫻谷は京都画壇とも距離を置くようになり、衣笠村に広大な庭とアトリエのある邸宅を造営した。
この時代の京都画壇の日本画家には普請道楽のものが多かったように思う。
櫻谷の師匠の今尾景年の三条の邸宅は今では料亭になり、少し年長の竹内栖鳳の高台寺の邸宅は今ではウェディングレストラン「東山艸堂」になっている。その様子はこちら。
その1
その2
また山元春挙の邸宅写真はこちら。
蘆花浅水荘

今回、櫻谷の邸宅が一般公開されたので、そこへ出向いて撮影もさせてもらった。
それについてはまた別項で挙げる。
こちら

懐旧 頭を抱え込みながら巻物を読む、平安時代の山田古嗣。これは歴史画でちょっと解説がいる。唐の説話集を読んでいた古嗣は、幼時に母を亡くしたことで親孝行が出来ぬ、そのことで涙していた。菊池芳文の「前賢故実」にもその絵がある。
そしてこの絵を描いたのは、父の五十回忌にと田附将軍からの依頼。

絵の中での「この人はこのポーズ」というのは近代以降、「前賢故実」が元ネタになっていると思う。

春村帰牧 南画風の農村図。黒牛がのこのこ歩く。梅も咲く。ああ、春やなあ。
櫻谷は南画風の作品も描くようになった。中央から離れると、人は文人画に帆を進めるのかもしれない。

青竹詩画賛 自作の七言絶句と共に。郊外生活を喜ぶ気持ちを歌ったもので、少しばかり陶淵明を思い起こさせる。

峡中の秋 これは昇仙峡を言う。櫻谷は家は洛外と言ってもいい衣笠に拵えたが、若い頃から一貫して出歩くことの多い、旅好きな人だったそうだ。

明治の若いものはよく旅に出た。
江戸時代はなんのかのと小うるさい関所改めもあったが、明治は旅の時代でもあった。
明治時代に若い頃を過ごしたことで、櫻谷は旅をするのを愛するようになったのではないかと思う。

望郷 蘇武である。羊を飼って過ごす蘇武が杖を持ちつつ、天に向かって片手をあげている。異郷で果てる人は多かった。特に匈奴との関係で。
老いた蘇武の足元には羊たちがやたらといる。メエメエメエメエメエメエメエ、やたらと鳴いていそうである。
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暮秋 烏が稲掛けの竿の先に止まる。秋の田舎の風景。侘しさと妙に明るいペーソスがある。

菜園に猫 まだ青いへちまが一つ成っている、その下に白のぶち猫がいるが、身のこなし・目つきといい、ヒョウのような鋭さがある。かっこいい猫。
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月下遊狸 可愛いもこもこの狸。さすが「たぬきの櫻谷」

角とぐ鹿 これは昨秋京都市美術館で見ている。大きな目の牡鹿がすりすりすりすり…
なお、この木は櫻谷の庭の木だそうである。

画三昧 本人らしきじいちゃんが、絵を描いてちょっと一息入れて、後ろにのけぞっている。ああ、しんどの図。絵を描いて、大家族に囲まれて、楽しい暮らし。それである。

櫻谷は明倫小学校の出であり、生涯それを誇りにした。
彼は後輩の子供らのために絵をプレゼントもした。
現在は京都市学校歴史博物館に収められている絵がいくつもあるが、それらは全て後輩の子供らへの愛情に基づくものである。

修身歴史画 これなどは依頼を受けると額まで自分で拵えた連作物である。
ちゃんと校章まで入れてのデザイン。陶工柿右衛門、孝女お網、布袋と子供ら、山内千代などなど。
マジメできちんとした子供らに育ってほしいという気持ちが込められている。
しかし連作は完成しなかった。
櫻谷は途中で事故死してしまうのである。

奔馬 墨絵でササッと描いている。かっこいい。疾駆する馬。これは付立で描いている。

最後に資料いろいろ。
所用印がたくさんあった。色んな種類のもの。好きだったらしい。今でいうマイ・スタンプ。
書簡 これまたたくさんある。

写生帖が膨大。大抵はどこか田舎の風景を描いたもの・どうぶつたちである。
市原の民家(平安なら鬼童丸くらいしかいない)、貴船、空也瀧の下流、明石の浜、乱れ松、網代、鞍馬への道中、鴨川上流、若狭、下呂、飛騨川上流、甲州富士、昇仙峡の天狗岩…といった各地風景。
今尾塾の同輩たちニコニコ、鞍馬写生ツアーの就寝図などは戯画に近く、直垂、狩衣といった時代考証に必要なものはリアル、馬、鴨、サル、狐、猫、ビーグル犬…
文庫にある写生帖は500冊を数えるという。

色紙もあった。
金地のものだと雀がはばたくもの、秋の里山を行く馬、サルの家族、柳下での洗濯、竹にカタツムリ、山道を行く人、桃に牛などなど。

一休み空間へ行くと、昭和五年のある日の木島櫻谷一家の映像が流れていた。
甥が撮影したらしい。デジタル処理されたか綺麗な動画である。
衣笠の邸宅には孫子だけでなく甥の孫まで共同生活していた。
女中らしき女たちも元気そうで「イヤヤ~写さんといておくれやすぅ」とばかりに笑いながら画面に手を振って走り去る。
ちびっこたちは自転車に乗って走り回ったり、じいちゃんに抱っこされたり。
池に浮かぶ小舟や温室もある。
ここに現れる愛らしい女児はお孫さんで、後のことを思って白無垢に金で紅梅の絵を描いた花嫁衣装を支度していた。
櫻谷は煙草をふかしながら笑っていて、孫たちを可愛がっていた。

かれは秋のある日、家族や弟子たちと機嫌よく松茸狩りに出かけ、その帰りに枚方辺りで事故に遭って亡くなったのだった。
享年61歳。
もっと生きていれば、もっといい絵がもっとたくさんあったと思う。

京都では12/15まで。
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