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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

モローとルオー

汐留ミュージアムで「モローとルオー 聖なるものの継承と変容」を二度ばかり見た。
崇高の師弟愛、とも言える関係性が展示作品からうかがえた。

モローはその作品世界において、誰に似ることなく、孤高の存在だと言えるのではないか。
しかしかれは教師としてはたいへん良き師であり、多くの画学生を導き、その個性を花開かせた。
弟子の代表であり、「聖なるものの継承」をうけたのはルオーだった。
マチスはモロー先生とは別な道を進んだ。
しかしマチスの奔放な緻密さは、モロー作品に見いだせる「未完であり完全」なものと、なにかが通じるようにも思える。

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ルオーの作品を単独で見ていると、わたしなどの目にはモローとルオーは全く別な道の人に見えるのだが、今回こうして二人の作品が並び、書簡類もあると、なるほど副題の通り「聖なるものの継承と変容」ということを感じさせられる。
単独で見たルオーの作品は、モローの作品世界からの完全なる変容であり、ルオーの世界の内で熟成された、その完成形なのだと知る。

わたしはあまりルオーを得意としない。見ていると息苦しくさえなる。
このパナソニック汐留ミュージアム、そして出光美術館が首都圏におけるルオー作品の二大コレクターだということは知っているが、ルオーばかりの中に佇むと、つらいときがある。
だからか、千葉市美術館でルオー展が開催されたとき、いつも長居する千葉市美術館から早々に撤退してしまった。
尤も「悪の華」「ユビュ親父」「ミセレーレ」などは好きなので、これはもうキリストのいる風景、もっと言えば厚塗り画面がニガテなのだとしか言いようがない。
失礼なことを言うと、焦げを思い起こさせられるのだった。

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今回の展覧会でモロー作品の多くはパリのモロー美術館から来ている。以前にあの美術館に行った時のことが思いだされる。室内で息をすればモローの絵の分子が肺に入り込むような、そんな空間だった。

モロー ユピテルとセメレ 巨大なユピテルとその雷鳴に驚くセメレ。かなり露骨なびっくり顔であり、ユピテルの象徴動物である鷲ですらもオヨヨになっている。
子細に見れば色々と面白いところも見いだせるが、大きな絵なので一目見てもハッとなる。
印象深い作品。

ルオーの修業時代の絵を見る。

ルオー ヨブ 洞窟でぐったり疲れ果てた爺さん一行。見舞いに来る人々もあるが。

ルオー ゲッセマニ 眠りこける弟子たちの中にあって、光輪をあらわにするイエス。ペテロとの対話も虚しい。まだマチエールも厚くはない。

ルオー 隠修士 預言者の老人に取りすがろうとした女、従者が引きはがそうとするのを止めると、女は深くひれ伏す。物語がある絵。

ルオー 石臼を回すサムソン 地下で敵国人のために石臼を一人で回し続けるという重労働を課せられているサムソン。監督官は容赦なく傲慢に鞭を振り上げている。周囲の見物たちも嫌な顔をしている。卑しさの表れた人々。誰彼より大きなサムソンも最早疲れ切っている。力の源の髪はまだ失われたままで、盲目のサムソンは苦役に従事させられる。
ここでのサムソンは石臼の棒を引いている。

モロー 石臼を回すサムソン(ローマ賞コンクールのための別案) 上から見る群衆。サムソンは石臼の棒を押している。

モローはルオー作品を見て、同じ構図のものをペン書きしている。
この時点で、モローがルオーを「魂の同志」と見なしていたことを示しているように思う。
モローの描く見物の中で母子がいる。母一人だけが美人。サムソンは腰布一つ。棒は後ろ手に引く。

ルオーは習作を多く残していた。
ペン画によるサムソン図は、全裸で非常にいい身体。ほれぼれする。顔は日本の靉光の顔に似ている。
鞭を振り上げる監督官も全裸で、臀部から腿にかけた筋肉の強さはたいへん見事。

足だけの習作を見るが、彫像をモデルにしただけに力強い。この絵は「ローマ賞」の課題作なので、その完成のために「ロージュ」という専用の一室で製作するのだが、そこへルオーは人体模型を持ち込んで模写していたそうだ。

わたしは旧約の中ではとにかく「サムソンとデリラ」の話が好きで好きで仕方ない。
これは大昔のセシル・B・デミル監督の映画をTVで見たときに始まる。六歳くらいに初めて見てから次に高校生で見て、それから資料をいろいろ集めたり読んだり。
サムソンがこうして敵国人に辱められ苦しめられ、ついに最後の力を振り絞り、最後の願いを神に祈った後の大混乱と大虐殺。そのカタストロフィーにも非常に惹かれている。
だから可哀そうでもやはりこの苦役に従事させられるサムソンを見ずにはいられない。

ルオー 降誕 大きな建物の内にいる母子。厩には見えない。人々がたくさんいる。白い母子。薄いランプの下で。

この時代のルオーは線描を大切にしているのがよくわかる。

ルオー ウォルスキ王トゥルスの館のコリオラヌス この話の元ネタは知らない。
調べるとこちらに詳しい。
表現が面白い。皮膚が光るような男性。暖炉に燃え盛る青い炎、その前に座すコリオラヌス。王は彼に対峙してそこに立つ。
筋肉の描き方が大変魅力的。とても素敵。

モロー マントを分け与える聖マルティヌス ルオー作品に基づいてのものか。
とにかくモロー先生はルオーが大好きだというのがよく伝わってくる。
騎馬の人を細密描写。

ルオーの男性裸体習作は非常に魅力的だった。たとえモデルがしなびていても。
写実性より主観で見ることの優越性を主張するルオー。
ああ、それはとてもこの師弟らしい。

ルオー 死せるキリストとその死を悼む聖女たち 後年のルオーとは全く別人のような筆致で、女たちの顔がどことなくダ・ヴィンチ風にも見える。
この絵をルオーでなく、イギリスのラファエル前派の誰かの絵で見てみたいと思った。
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ルオー 人物のいる風景 この汐留の所蔵品。わたしはこの絵を最初に見たとき、初めてルオーにときめいたのだった。
夜、暗い森の中の湖。巨人の影のような形の見える木々の並び。

ルオー 祈るサムエル?または放蕩息子 レンブラントの絵に類似点が見受けられる、と解説にあるがわたしにはルドンの少年に見えて仕方ない。

モロー メッサリーナ 赤というかレンガ色の背景。立ちながら片膝を折る。女は自分の身体を、欲望のありかを熟知している。白い膚、何を見るともしれぬ目。
胸の張り方の小気味よさ。

ルオー 後姿の裸婦 エネルギッシュな背中。だんだんルオーしている。お尻もはっていて、小出楢重の裸婦にも似ている。そうか、同時代の絵なのだ。


モローとルオーの往復書簡のコーナーがあった。
むろんわたしは翻訳されたものしか読めないが、深い愛情を感じる文章に、心が温かくなった。
モローはルオーに対し「わがいとし子よ」と呼びかけている。
それは初めの呼びかけや終わりの呼びかけだけでなく、文中ところどころに見受けられる。
「心からの友情と深い共感を」
46歳下の若い画学生に対する、一代の大家の言葉。
教師として以上に一個の芸術家の心からの声。
一方その文中で「もっと手紙を出して」「仕方ない人たちです」と打ち解けた小言もある。
そしてルオーからも「偉大なる父よ」と呼びかける。
ルオーは先生からの手紙を読んで、しばしば「…しまったぁ!」と思っていたかもしれない。ルオーは筆不精だったのだ。そんなことを思うのもとても楽しい。


「聖なる表現」という章の中に顕れたモローの世界は、幻想的な表現にあふれている。

モロー ピエタ 未完成の魅力。死んだ息子の首を抱く女。その息子の身体はどこか女性的な様相を呈している。黄衣の目立つひと、嘆くマグダラのマリア。

モロー ゴルゴダの丘のマグダラのマリア 「陰惨な景色」と解説にある通り、実際その残照が汚さを見せるような空、その下の無人の十字架が三本。死んだ人間の重みも消えている。マグダラのマリアは立つ気力もなくしたように、べったり座り込んでいる。十字架を見上げつつも、何も見ていないのかもしれない。
十字架の下には妙に白いたまりがある。

ルオー 洗礼者聖ヨハネの頭部 ヴェルレーヌのデスマスクをモデルにした。腫れあがる顔。横顔が銀盆の上にある。血に汚れた顔。

ルオー 三本の十字架 二枚の絵がある。一つは丘の上にただただ立つ十字架、もう一枚は十字架の前に佇む三人。

ルオー ゴルゴダの丘の聖女たち 厚いマチエール。十字架の前に三人の女がうつむく。

モロー 聖女カエキリア オルガンに向かう女。出現する亡者の如き天使。向かい合う様子はまるでゴシックロマンのようだ。
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ルオー 我らがジャンヌ 騎馬から天を仰ぐジャンヌ・ダルク。マチエールもゴワゴワしているが、色彩はまだ明るい。

モロー トミュリスとキュロスまたはトミュリス女王 キュロス大王はBC530年に遊牧民族と戦って死ぬ。敵の女王トミュリスは息子の仇キュロスの遺体から首を切り落とさせる。その情景をロングで捉えている。首のない遺体はあおむけ。氷山のような山と渓谷の中で。

モローの油彩下絵は色彩バランスを確認するための物なのだが、今それを目の当たりにすると、抽象絵画に近いように思われる。

モロー 聖セバスティアヌスと天使 つくづく綺麗だと思う。天使の羽は高く開く。セバスティアヌスの体も綺麗。

モロー ヘラクレスとレルネのヒュドラ ヒュドラは棒のように立ち、種類の違う蛇がたくさん枝分かれして、獅子かぶりのヘラクレスを恫喝する。キメラのような大蛇。その蛇柱の下には綺麗な死者たちが倒れている。死屍累累。胴のちぎれた者もいる。気持ち悪さと綺麗なものとが同居する絵。

モロー サロメのための習作 横顔のアップ。宝飾と花々。綺麗で恐ろしい表情。花を手に持つサロメ。複雑な目つきをしている。彼女の横顔のずっと向こうでヨハネ斬首が今しも実行されようとしている。
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モロー ハムレット 父の敵たる叔父に毒を飲ませようとする。足下には倒れる母など。
改めてハムレットは困った存在だと思った。

モロー 一角獣 とても好きな絵。帽子とマントを羽織っただけの裸婦が、目の青い綺麗な一角獣に寄り添って歩く。透明な官能性を感じる。

モロー セイレーンたち 三人の女が並ぶ。海は汚く暗い。人魚としてのセイレーンたち。落日の中で。

モロー オルフェウスの苦しみ ロングで捉えたその情景。もう夜。暗い中、伏せて嘆く男。しかしモローらしくその男は女のような体をしている。肌は灰色だった。

ルオー 避難する人たち(エクソドゥス) リュック背負って逃げる。希望の国のエクソドゥス、というわけでもないのだが。

最後にモロー美術館の4K映像をみる。たいへん綺麗な映像。純度の高い映像。

「京都」展の龍安寺の映像、そしてこのモロー美術館の映像。それらを同時期に見ることができたのは、やはり時代の転換期に立ち会っている、と言えるのではないだろうか。

12/10まで。
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