美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

小林一三と近代の茶人たち

小林一三は三井銀行に入行したとき、大阪支店長の高橋箒庵のもとにいて、薫陶を受けた。
後に茶友として終生仲良くつきあったが、その分言いたいことを言い合うていたようで、巻き紙の手紙を読むと、つい微笑んでしまう。

また、三井物産の益田鈍翁に憧れて、彼に「雅俗山荘」と書いてもらい、大事にした。それだけにあの大正八年の佐竹本の籤引きに使った竹の残りを花入にしたのも、気持ちがよくわかる。
鈍翁からは他に木菟の画賛も貰っている。

このように小林一三と彼の茶友との親密な関わりを示す資料や、その人の愛した茶道具などが展示されている。
「小林一三と近代の茶人たち」とは、そうした展覧会なのだった。
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村山香雪とのかかわりが面白い。
香雪美術館は住吉にあり、阪急神戸線の御影駅から徒歩数分に位置する。
当初の計画ではその村山龍平邸の北庭を神戸線が通るルートを設定したので、村山どころか地元の御影の人々も大反対の大激怒。
阪急がルート変更するまで、小林と村山とは険悪なムードになったそうだ。
当たり前の話である。
またあの大邸宅は広々とした庭園の中に洋館・和館があり、居ながらにして深山幽谷の趣まで感じるという具合なのだから、それはもおダメダメでしょう。
しかしルート変更で現行の付設になると、互いに歩み寄り、没後にはそのエピソードを村山の周辺などにも昔話として小林は語っている。

ここにあるのはその問題が起こる大正6年の前年に村山が詠んだ俳句短冊。句はこんな。
「老樹にも 花咲かせたる 梅見哉」
軸装してるがその天地が素晴らしい。村山龍平の創立した朝日新聞から「梅」に関する記事をピックアップしたのを貼り付けているのだ。
「梅花女学校」「岡本梅林」「梅が盛りの宝塚」、ほかにも大正らしい可愛い少女絵、河内の観心寺、芦屋の山邑本店などなど、綺麗な拵え方なので、謡本を貼りつけたようにも見えるくらいだ。


小林一三は慶応大学から三井銀行へと言うあのコースを通った人である。
三井家の当主・高保(華精)が銀行総長を務めた時代。
三井高保は経済人としても茶人としても優れた感覚を持つ人だったようで、三井記念美術館でもその一端が伺える。
ここにも和歌の色紙や短冊がある。なかなか立派な文字である。
小林が活躍した時代、一流の経済人たるもの、仕事と茶道とを両立させねばならなかったのだ。

前述の高橋箒庵は「乱菊」という気軽な自作唄本まで拵えている。
狐が水鏡を見て寺小姓に化けて佇んでいると、生臭坊主がそれに戯れかかるが、寺小姓はくるっと辰巳芸者に変身する、という他愛のないものだが。

白鶴美術館の嘉納鶴翁、根津美術館の根津青山、三溪園の原三溪、彼らの書も並ぶ。
書と言えば自ら「古経楼」と名乗った五島慶太は隷書で「愛其静」と揮毫し、それを小林はジャワ更紗で表装している。

住友春翠、野村得庵、近衛虎山(文麿)などとは戦前の交流がある。
「わかもと」創立者長尾からは薩摩焼の茶碗、近所のシオノギの塩野家からは葉っぱ型の香合をもらっている。
薬師寺管主の橋本凝胤とも親しく付き合い、そこから「薬師寺会」という茶会も発足している。

川喜田半泥子のやきものや、青邨と同門の山内神斧の洒脱な絵などもある。
そうかと思えばどこから手に入れたか、烏丸光廣の達磨画賛や道入の黒樂も展示されている。
戦後すぐには赤膚焼因果経図水指も作られたようだが、その絵柄が可愛い。
みずらの少年が松の下で緋毛氈を敷いた上でくつろいでいるところへ、三人の猫か鬼かわからない頭に小さい三角耳のついた連中が来て、なんとなく和気藹々しているのだ。
とてもいいムード。
元ネタの絵因果経のそのシーンを見ていないが、とても可愛い。

追記:その絵を描いてみた。そしてツイッターにも出しているのだが、どなたかこの絵の元ねたご存知ならぜひ教えてください。絵因果経のどこのシーンなのか。奈良のか鎌倉のか。
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芦葉会の寄せ書きに「乾山荘」とあるのは御影の旧乾邸だろう。実にたくさんの茶友がいるのだ。
とても楽しく眺めた。

来年は1/18から「花」をテーマにした展覧会が待っている。
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