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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

クリーブランド美術館展

東京国立博物館の特別展は現在「クリーブランド美術館展」と「人間国宝展」が同時に開催中。先に「クリーブランド」を見たのでその感想を挙げる。
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「名画でたどる日本の美」という副題がある。
以前に奈良国立博物館でクリーブランド美術館展が開催されたが、それ以来の再会となる作品がたくさん来ていた。
先のはインド細密画から中国、朝鮮絵画と並んでいたが、今回は「平安から明治に至る千年の美を一堂に」ということで、日本絵画が並び、さらに特別参加のような形でルソーら近代フランス絵画も少しばかり出ている。

わたしは物語性・文芸性の高い絵画・工芸品が好きなので、こうした傾向の高い作品が集まる展覧会はとても好きだ。

第一章 神・仏・人
最初に特別出品の作品がおかれ、その導入部から自然と目と足が動き出す。

釈迦如来像 元または高麗時代 14世紀 赤というか緋色がまず目に入る。布地のやや多めの緋色の衣をゆったりまとった釈迦如来。その座す蓮座は青い。そして台座にも色はよく残り、真ん中の獅子は「にゃーっ」とばかりに口を開いている。獅子の牙は鋭くもなく、四本が可愛く生えている。白い牙。
白はほかに釈迦の目にも見える。くっきりした白目が見える。そう、この釈迦如来ははっきりと目を開いて正面をみ
ている。そして釈迦の手指の爪は長く白い。
白は他にも左右に立つ仏弟子の袖口などに使われている。
色は全体に赤とその小さな白、青と緑だけだと言ってもいいのかもしれない。
赤と緑だけ見ていれば高麗の絵のようにも見えるが、専門家でない私には細かいことはわからない。
漢民族の政権下で生まれたわけではない絵。

薬師如来十二神将像 鎌倉時代 上部に四枚の色紙が貼られ、お経が書かれている。
薬師如来の放つ光は瑠璃光か、全方位に放射されている。
日光月光菩薩それぞれの手には丸い珠がある。
衣装も凝った十二神将。
薬師如来の手指や足の表現ははっきりしている。
足の大きさと掌の豊かさが印象的だった。

文殊菩薩及び眷属像 鎌倉時代 久しぶりに髭のある文殊菩薩を拝見。片膝を折り、片膝を下ろす。円満な眉に円満な伏し目。綺麗な白玉のついた装飾を胸につけている。獅子は目を怒らせ立派な歯並びを見せながら、あたりを威圧する。菩薩の下ろした足の親指が一つだけ跳ね上げられている。妙なリアリティを感じた。
眷属たちは老人・壮年・童子ら。童子は善財童子だろう。みな、表情に覇気がある。

地蔵菩薩像 鎌倉時代 立ち姿。優しいお顔。手に宝珠を持つ。素足はそれぞれ赤と緑の蓮の上にある。波のように湧き立つ雲。この素足をみて、宮沢賢治「光の素足」を思い出した。
獄卒らに突かれながら歩く子供らの前に現れる「その人」の光る素足。おごそかな声。そしてただ一人蘇生する少年。彼が見たのはこの素足かもしれないのだ。

仁王経曼陀羅 平安時代 白描の仏たち。中央に不動明王、四方に他の明王や天部たち。はきはきした線で描かれた仏たち。足の甲の盛り上がりを見ていると、浮世絵の人々を思い出す。甲高は日本人の特性の一つなのだった。

二河白道図 鎌倉時代 はっきりと色の残った図。ゴールの地には金色に輝く阿弥陀三尊。飛天もいる。緩く湾曲する橋でつながれた舞台と建物と。狭い道を一心に進む人もあれば、争うことに夢中な人や色々ややこしいことをする人もいて、さらに動物たちも出現する状況。ゴールは遠い。岸辺の手前に佇む仏にも為す術はない。もとから助ける気もないのか、助けようにもどうにもならぬのか。

上畳本三十六歌仙絵巻断簡 平兼盛 鎌倉時代 笏を顎に当ててなにやら物思いに耽っている。眉の太い人。畳はもう傷んでいるように見えるが、これは絵全体の経年劣化。描かれた当初は青畳だったというわけでもなさそう。

融通念仏縁起絵巻 鎌倉時代 これは長々と広げられていた。物語がよくわかる。念仏すると守られる、といういろんな例を描く。気の毒なのは全員で寄って念仏したら疫病神が喜んで、ここには来ないヨとなったのに、遠方にいて参加できなかった娘はアウトという話。
鬼たちはなかなか個性的なのが揃っていて、下帯一つなのから長い上着を着たものまで色々なスタイルだった。ファッションもそれぞれ違う。
鬼たちも世間話なぞしていそうなツラツキだった。

遊女物語絵巻断簡 室町時代 白描の人々、画面に直に書き込まれた詞書。台詞もそこにある。女たちの長い黒髪の質感が伝わってくる。

駒競行幸絵巻、福富草紙絵巻などもあり、にぎやかな状況になっている。

朝陽補綴図 南北朝時代 いつものわたしなら「目つきの悪いオッチャンがなんか縫い物してる」と書くところだが、あいにくこの絵は奈良での98年の展覧会で見ているので、上記のような台詞は出ないのだった。
禅関係の図は本当にいろんなポーズやエピソードを絵にする。

霊昭女 春屋宗園賛 室町時代 父の作った笊や漉し器を入れた籠を手に提げ、両手には銭。ガウン風な上衣の襟と袖には同じ布で作られたか、青海波に花丸。中には花唐草文様のキャミソ風なのを見せている。
キリッとした顔には知性がある。きちんと結うてはいるが、ほつれ髪が目立つ。
なにを見据えているのかはわからないが、近くのものを見る目ではない。

雷神図屏風 「伊年」印 江戸時代 色白の雷神は鼻下が長く、金色の歯並びをむき出してポーズをキメている。両手には鉄アレイのようなものを握る。本人がどう思っているかは知らないが、やはり面白い顔つきに見えるのだった。ちなみにでんでん太鼓のような太鼓には茨文様が入る。

琴棋書画図 伝岩佐又兵衛 江戸時代 屋敷の一郭でそれぞれ楽しむ男女。伝又兵衛だけに顎が長い。えぐみのない絵。一番奥の座敷では琴を立てながら演奏する女、廊下では囲碁の対局の男女。女の打掛は大柄な花の文様。
庭に立ち本を開く男も、先の碁の男も共にのんびりした顔つきのかぶき者。だ~らだ~らと生きてそう。
そしてそのお仲間がもう一人いて、こちらは庭に板か何かを敷いてそこで寝そべりながら絵を描こうとしている。
大木と地に広がる笹とが案外目に残る。

待人図 田村水鴎 江戸時代 振袖を翻した若い男がきて、濡れ縁の角に立つ女となにやら。その様子を興味津々な様子でみつめる三人の女たち。それぞれ綺麗な着物を着ている。畳も青々。御簾も大きく揺らぐのは、中の女がもっと二人を見ようとするから。
対しあう男女より、三人の女たちの方が表情が豊かなのも面白い。
庭には芙蓉と萩など。

遊宴図 宮川長春 江戸時代 太夫が来た瞬間、その場にいたみんなの空気が変わる、という図。寝そべっていた男女もはっ となって顔を上げる。三味線の手も止まる。変わらぬのはただ一人、太夫に背を向けている女だけ。気づかぬのではなく、気づいていてそれかもしれない。

群舞図 山本梅逸 江戸時代 これはもうびっくりした。あの名古屋の梅逸の風俗画である。配色もいつもと違う、というか、風俗画を梅逸を描いたことにびっくりする方が大きい。
どこかの大きな料亭か妓楼か知らぬが、閉めた障子に踊る人々の影が映る。みんななかなか派手に大きく踊っている。薄い色彩でのうまい表現。開いた障子からは室内が一部見え、波に水車文様の着物の女が踊る姿があらわになる。顔も簡素に描いているが、それがむしろごく近代な風に見えた。つまり大正頃の時代小説の挿し絵や口絵に見えるのだ。わたしの大好きな世界。
それにしても庭木や川にも普段の梅逸の跡は見えず、いまだに梅逸の作品とは思えない。
本当に珍しいものを見た。サプライズなプレゼントをもらった気がする。ああよかった。また他にこんな絵があるならぜひとも見てみたい。

大空武左衛門像 渡辺崋山 文政十年 実在の大巨人の図。七尺三寸というから220cmか!!!う~む、すごいな。
そして絵のすぐそばにこの人の手形の実物大のが貼ってあり、わたしもそれに合わせてみたが、とてもとても・・・
すごいわ。

唐美人図 窪俊満 江戸時代 芭蕉の生える庭に立つ美人。背景のセピアに対し、美人は薄い色だがカラフル。髪飾りの花簪もいい。

地獄太夫図 河鍋暁斎 明治時代 この地獄太夫は打掛にめでたい図柄のものを着ている。
布袋と唐子、大黒と唐子、それにえべっさんに毘沙門天などが見えるから、七福神勢ぞろいかもしれない。
そして真っ赤な珊瑚がほかの宝物と共に。
太夫の前の屏風にはツタと月の水墨画。
かっこいい図である。この対比がいい。nec767.jpg



第二章 花鳥風月
にこにこ明るい世界ではないのがミソ。

厩図屏風 室町時代 こんな厩はあんまり見ない。大抵は立派な馬しか描かれていないが、この厩はなかなかにぎやかで俗っぽい。
守りの猿がいるのは別に何とも思わないが、烏帽子姿の男や坊さんたちもいて、なんだかんだとゲームをしたり楽しそう。犬もいるし鷹もいる。将棋をして負けたか笑い合う連中がいて、それを馬が見ていたりする。
和気藹々な厩なのだった。

南瓜図 伝没倫紹等賛 室町時代 この絵は前回も「謎の絵」として記憶に残っている。南瓜をエイサラエイと曳くナゾの黒いアリ人間のような集団。上に立って笹を持ち音頭をとるもの、笛を吹いたり、カッコを打ったり銅鑼を叩くのも。働く黒い人たちについては「黒ノ人 鉄崑崙逢場云々」と賛にある。
やはりナゾはナゾなままだった。

薄図屏風 室町時代 へにょへにょした薄たち。間近くみつめると穂が見えた。草だけか、へにょへにょしてるのは。こういう植物の群生だけを描く屏風は好きだが、これはちょっと脱力してしまう。

龍虎図屏風 雪村周継 室町時代 えーと・・・龍が溺れているのを岸辺で虎が見ている図、かな。虎が丸顔で小さい牙を一本だけ見せているのもいい。指先も可愛いなあ。
龍、がんばれ。
そういえば雪村といえば大和文華館に呂洞賓図があるが、あれでも龍が頭上に立つオッチャンに迷惑な感じをちらっと見せていたが、そういうのがここの決まりなのかもしれない。

四季花鳥図屏風 伝狩野松栄・光信 安土桃山時代 あ~・・・鷲だか鷹だかが雉を捕まえて押さえつけている。
それを見るほかの小鳥たち。春の惨劇。春の弱肉強食。
秋には孔雀や鴨たちがいる静かな図。

松に椿・竹に朝顔図屏風 伝海北友松 江戸時代 松の陰に隠れるようでいながら顔を見せる白椿たち。
朝顔もひっそり咲き、竹もうっすら。
音のない静かな空間に生きる植物。


第三章 山水 
かつては苦手な世界だったが、今は好きになった。
とはいえわびしさの良さを知るには、ちょっとにぎやかすぎる状況の中にいる。

琴棋書画図屏風 室町時代 高士たちの集う空間。それぞれ楽しく過ごす。働く侍童たちが可愛い。

近江名所図屏風 江戸時代 どの辺りかはわからないが、にぎやかでいい。ああ、やっぱり山の中にいるよりにぎやかなところがいい。近江のここでもまださみしいわ、京、大坂、江戸へ出よう!!!
湖国だけに小舟がよく動く。

蘭亭曲水図 曽我蕭白 安永六年 不思議な松の生える岩山。滝はまっすぐ落ち続け、雲がそれを覆う。その滝の水は川になり、宴の現場へ流れる。
人々はごく小さく描かれ誰が誰かわからない。一見静かに見える風景にもにぎわいが封じられているのだった。


終章 物語世界 
今回はほぼ伊勢物語で占められている。

伊勢物語図色紙 住吉の浜 俵屋宗達 江戸時代 三人の貴人が住吉さんに来ている。千木が見える。
この絵は前回のクリーブランド美術館展の図録表紙になっている。

佐野渡図 江戸時代 金泥に墨で馬と人だけを描いているが、風の強さを感じさせる。

禊図 俵屋宗理 江戸時代 この画題は好きなのだが、いつも必ず「昔男」くんがヤンキー座りしてる、と思うのだった。侍童はその場に座り込んでいる。
こういう神頼みなことをしても、やっぱり昔男くんは恋に夢中になるのだった。それを知るから側仕えボーイはこの絵のように黙ってにやにや笑っているのかもしれない。

燕子花図屏風 渡辺始興 江戸時代 これにはびっくりした。金地に紺色(群青色)の花に緑の鋭い葉というパターンなのだが、花も葉っぱも半分までが金の水に埋もれている。ちょっとちょっと大丈夫ですか。
この辺りの展示にくると、もうこちらもだいぶ空間になじんでいるので妙にくつろいでいる。ははは、溺れる花だとかええかげんな明るい気持ちになっていて、面白がるのだった。

蔦の細道図屏風 深江蘆舟 江戸時代 赤みの濃い煉瓦色の山、深緑の葉っぱは線を持たず、赤い蔦も松も外線とは無縁。流れる川にだけ線が動く。人間と黒馬には無線と有線が併用され、この空間に違和感なく存在する。

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特別展示 近代西洋の人と自然
近代西洋画が現れて、いいおまけをもらった気がした。

虎とバッファローの戦い アンリ・ルソー 1908年 前述の蔦の細道の舞台たる宇都谷峠と妙にマッチする密林。
バナナとオレンジの果実がたわわ。緑はみずみずしく、茎の中にはものすごい水分が通ってそうな緑の群。
そこに妙にロン毛の虎が知らん顔した黒いバッファローにかみついている。牛は困りもしていないようだ。虎も単に噛んでいるだけにしか見えない。

読書 ベルト・モリゾ 1873年 緑の野に座って読書する白い服の女。和風な扇子が開いたままおかれている。金地に白牡丹のように見える。黒いパラソルは開いたままポイと。
「不思議の国のアリス」のお姉さまのようだ。

アンティーヴの庭師の家 モネ 1888年 柔らかなピンク色でまとまる家。優しい空間だった。

画家の妹ローラ ピカソ 1900年 深く重い配色で描く。この時代のピカソは妹をどうしてかこのように表現する。
ピンクのドレスに黒のストールか何かを巻き付け垂らす。黒髪には赤バラか。妙な官能性の漂う妹ローラの図。

たいへん長々と書いてしまったが、それだけ面白い展覧会だったことは確かだ。
また来月行く予定。併設の「人間国宝展」もよかったのだが、これはまた後日に。
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