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美術館・博物館・デパートでの展覧会を訪ね歩き、近代建築を見て周り、歌舞伎・映画・物語に溺れる日々の『遊びに行った日を記す』場所です。 

井上洋介図鑑展-漫画、タブロー、絵本- その1

刈谷市美術館で井上洋介の展覧会が開かれている。
趣旨についてはサイトによると「漫画家、画家、そして絵本作家として活躍する井上洋介(1931~)。初期から現在までの代表的な絵本原画や絵画作品、漫画掲載誌などにより、独特なエログロ・ナンセンスの世界を展開してきた井上の、多岐におよぶ創作活動を紹介します。」とある。
展覧会のタイトルは「井上洋介図鑑展-漫画、タブロー、絵本-」。
わたしはそのうちの「絵本」に大いに惹かれている。

井上洋介の最新作を銀座のギャラリーで見ている。
眼と女らしき肉とを描いた、緑に灰色の混ざる、グロテスクなタブローだった。
80歳を超えて尚こんなにもエログロの世界をドロドロと描いていられるのは、やはり凄まじきものだと思った。

井上の描く女はどれもこれもむちむちに肥え太り、ぱんぱんになった肉を皮に包んでいたり衣服で隠そうとしたりするが、衣服からも皮からもはみ出す勢いがある。
少しばかり痩せていても、肉の下の骨から飛び出してきそうな肉の存在を感じる。
とはいえ、それは蔑視からではないのだ。
同じように肉付きの良い女を描いても、ジョージ秋山の女への視線は非常に冷厳であり、それは池波正太郎の描く鬼平こと長谷川平蔵の視線にも通じるところがある。
しかし井上洋介が描く肥え太った女たちはワイセツな様相を見せていても作者から憎まれても軽蔑されてもおらず、ただただ重い存在感を見せつけている。
(前述のジョージ秋山も池波正太郎も本質的なところでは、実は女と言うものが嫌いなのではないかとしばしば感じることがある)

井上の描く人物は基本的に女も男も子供も老人も、そして性別のわからない何かもみんな、悉く肉付きがいい。ただ単にニクニクしているのではなく、触ると弾力性のある肉がそこに詰まりきっていて、刃物で刺せば血よりも脂がより多くあふれ出てきそうな感触がある。
怖いことだ、とても。

若い頃からの井上の絵をこの展覧会で見続けていると、自分の考えが間違いではなく、たぶん本当のことなのだとひしひしと感じたりもする。
気持ち悪さと共に、妙ななじみ具合を感じるのは、わたしが男ではなく、ニクニクしい女だからかもしれない。

エログロを描くと言っても、実際ネトネトしたものを見せていても、こちらをそそるようなことはない。それがいいことなのかどうなのかは判別が出来ない。
井上のむちむちした女の肉がそこに開かれていてもどうこうしたいと感じるのだろうか。
そのあたりのことはわたしには全く分からない。

随分若い頃の作品を見ると、色彩感覚が非常にこわい。
敢えて本人が選んだ配色なのか(選ばずにおれずに選んだ色なのか)、それとも無意識のうちに選んだ色なのか、単にそれしかなかったのか、どうなのか。
わたしは逃げ出したくなった。
空襲を受けてぼろぼろになった遺体の塊、そんなものを目の当たりにした気がする。

1950~60年頃と言えば井上は30になるかならずの青年時代である。
その時代の求めるものがなんだったのかを考える。
希望を持つ一方で、激しい鬱屈を抱え込んだ時代。
「きもちわるい」としか言いようがない。
この辺りの作品群は、間近で眺めるのも遠くから見つめるのも、等しく気持ち悪さを感じる。
汚穢という言葉を思い出しながら見ていた。
「穢い絵」といえば土田麦僊が甲斐庄楠音の絵について放った言葉である。
それについて久世光彦が非常に興味深い文章を遺している。
死姦者の目というようなことである。田舎者で、ある意味健全な麦僊がそのことを鋭く看破して、楠音を排除したのではないかといった文だった。
なるほどとも思う。井上洋介のエログロの道筋にはそうした意味での先達者として、甲斐庄楠音が佇んでいるのかもしれない。

1961年の「巨人の死」は一種の涅槃図の構図を採っているが、井上は当時まだ「仏涅槃図」を知らなかったという。彼はその絵を「浅沼稲次郎事件の頃」に描いたという。
今も日比谷公会堂には浅沼が山口少年に刺殺される姿のレリーフがある。
その事件が井上のアタマにあったのか。
なおこの巨人の死体の周囲には、現代のマンガ家・漫☆画太郎えがくグロテスクなキャラを思わせる群衆がいる。
・・・そうか、漫☆画太郎のグロテスクさも井上洋介という先達の道に通じているのか。

グロテスクなタブローの中で、絵本作品にも通じるナンセンスさがところどころ出てくるようになると、わたしもなんとか目を開いて絵を見ることが出来るようになる。
それまでは半眼で見ていた。フィルターを掛けないと、まともに向き合うことが出来なかったのだ。

井上洋介のマンガはいかにも60年代から70年代初頭のセンスがある。
正直わたしとしてはいちばん苦手な時代である。
この時代のファッションも思想も何もかも流行もの全体が本気でニガテである。
だからか、この時代のマンガを見ていても全く楽しめない。
とはいえ、佐々木マキの作品にも通じる不条理さに+して、だれも太刀打ちできないナンセンスさがあふれかえっている。そのあたりはやはり面白い。

1964年のマンガ作品では既にそのナンセンスさが全開していた。
凄いな、としか言いようがない。
そして「話の特集」などでの口絵や挿絵がまた物凄い。
「林檎地獄」はSMとして見るべきだし、「芋虫」はただただ怖い。
1984年の「画册百態草子」に描かれたお団子顔の連結した人々、これには見覚えがあった。
諸星大二郎のホラーギャグ「栞と紙魚子」シリーズに現れる、7人で並んで一つの帽子をかぶる兄弟、あれだ。
そうか、諸星もまたこの同じ道に少しばかり顔を出していたのか。
こちらはナンセンスと言う方面で。

長くなりすぎるので続きは別。

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